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プラットフォームとしての中立性

 英国のリベラル系有力紙「ガーディアン」がXへの記事の投稿を取りやめるとの報道があった。NHKニュースサイトは「英有力紙 Xへの記事投稿取りやめへ ”有害なプラットフォーム”」という見出しで報じている(2024年11月14日付)。今回のことばはそのNHKのニュースサイトからのものだ。記事によれば、英国ではXについて「プラットフォームとしての中立性を疑問視する動きが出ている」という。これを読んで、「中立性」という表現よりも、「公平性」や「バランス」といった表現のほうがよかったのではないかと疑問をもった。

 ChatGPTに相談したところ、「公平」は「物事を『偏りなく、公正に扱うこと』を指します。つまり、特定の立場や意見を優先せず、全ての立場を平等に評価することが求められます」とのこと。これに対し、「中立」は「公平とは異なり、『自分の意見や影響力をできるだけ控える』ことを指し、積極的に関与しないことでバランスを保つことに重きが置かれます」とのことだ。そして「「公平」はすべての立場を公正に扱おうとする積極的な姿勢、「中立」は立場に左右されず一定の距離を保つ姿勢、という違いがあります」とのことだった。この回答を鵜呑みにしてはいけないけれども、とりあえず読んで考えたことがある。この記事の「中立性」ということばが相対しているのはプラットフォームの能動的な姿勢なのではないか。つまり、ある種の不穏な投稿を取り上げることに積極的に関与しているようにみえるプラットフォームの不穏さこそ、この中立性の対極にあるものなのだろう。

 「プラットフォームとしての中立性」ということばは、今後も記憶に残りそうな触感がある。健全なプラットフォームが備えるのは、どの意見も平等に取り上げる能動的な性格か、それともどの意見からも平等に距離を取る受動的な性格か。「中立性」よりももっとぴったりのことばがあるという思いもいまだぬぐい切れないけれども、それはともかく、このような言論の場を構想し維持していくことはことばに携わるものみなの願いであろう。

 私たちは、どのような価値観をもつプラットフォームをめざすべきなのか。中立か公平か、それとも新しい価値観か。今後のメディアに求められる姿勢とは何かを考える必要があるだろう。

【URL】https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241114/k10014638011000.html


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