自分で選べないことの責任をどのように考えるのか
個人の努力や実績が強調される現代の日本社会では、成功の尺度として、自分がどれだけがんばってきたかが注目されやすい。しかし、実際にはどんな家庭に生まれたかということが学校での成功に大きく影響している。それは自分で選べないことだ。「いい学校に入学できたのは、自分が一生懸命勉強したせいだけではありません。受験勉強が許される境遇にあったことも、学校での勉強や有利になる家庭に育ったことも、見えないところで貢献している」(p.218)と教育学者の苅谷剛彦は言う。自分で選べずに恵まれた環境にいる者こそ、その環境や境遇に自覚と責任をもたなければならない。自覚と責任をもつとはどのようなことだろう。自分に与えられた環境や境遇を力いっぱいに生きること、そこで視野狭窄や利己主義に陥ることなく、広く他者や社会に還元される取り組みをなすこと、苦労や困難や矛盾に遭遇したとしても、それはそうした恩恵の上にある苦労や困難や矛盾であることを考慮すること、そしてその苦労や困難や矛盾の中から喜びや発見や活路を見出そうとすること。そんなことが思い浮かんだ。苅谷剛彦氏が中学生新聞に寄せた連載をまとめた『学校って何だろう』(ちくま文庫、2005年)より。いま読めてよかった。