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#989 全世界を造りし究竟の目的は何だ!先生、これを教えよ!

それでは今日も、森鷗外の「早稲田文学の後没理想」を途中ですが振り返っていきたいと思います。

鷗外は言います。

さるに逍遙が鴎外の理想の何物なるかを問ひしとき鴎外がこれに答へざりしは不親切なりといふ。……されど逍遙子はいまだ明にわが理想といふものを一の用語として問ひしことなし。逍遙子は唯相對の象の絶對の體より生ずる究竟の目的は何ぞと尋ねつることありしに、われ答へて、ハルトマンの烏有先生これを聞かば、我無慮識の哲學を讀めといはむ、われは衆理想の象の沒却理想の體より出沒する究竟の目的は何ぞと反問せむのみといひき。おもふに我を不親切なりと難ぜらるゝは、わが草紙のハルトマンが無意識哲學を鈔録し若くは講述せざるがためなるべし。(#978参照)

かつて逍遥は「烏有先生に答ふ」の「其三」で、こんなことを言いました。

われいまだハルトマンに通ぜざるがゆゑに、所謂想と実との関係を審かにせず、否、無意識に於ける智と意とが、如何にして全世界[ユニヴルス]を生みけるかは、われほのかに知り得たれど、そが究竟の目的に於ける哲理は、われいまだ解すること能はず。ましてや、先生が意識を経て生まれいでぬる無意識の哲学は、そもまた如何なる形をもてるか、我れいまだ知ることを得ず。先生の謂ふ無意識の精霊は、客観の実体か、そが全世界[ユニヴルス]を造りし究竟の目的は何ぞ。彼れは何が為にとて意識を造りしぞ。先生乞ふ、これを教えよ。(#710参照)

で、これに対して、鷗外は「逍遙子と烏有先生と」で、こんな返答をしました。

逍遙子のいはく。相対の象の絶対の体より生ずる究竟の目的は何ぞと。
ハルトマンの烏有先生これを聞かば、唯わが無意識の哲学を読めといはむ。
われは唯反問して、衆理想の象の没却理想の体より出没する究竟の目的は何ぞといはんのみ。嗚呼、我と逍遙子とはいづれか学に志すものぞ、いづれか修行地にあるものぞ。(#735参照)

そして、今回は、こんな返答をします。

われは果して逍遙子に對して不親切なるか……さればこそ我は烏有先生をして無意識哲學を讀めとは答へしめしなれ。我親切こそはこれのみにて足らんずらめ。……早稻田方はいかなる手段を用ゐて、いかなる方角より攻寄すといへども、そはわが問ふところにあらず。獨りかなたにては、我討論法に不親切なるところありと認め、或傍觀者も亦これと共に我討論法の過失を責む。われこれにおどろかされて窃[ヒソカ]にその當れりや否やをおもふに、逍遙子がわれに問ひしところのハルトマンが哲學系の世界究竟の目的をば、われ必ずしもこの紙上に寫し出すべき責なきに似たり。(#978参照)

結局、「写し出す責なし」と言って答えないわけですね!w

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!



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