それでは今日も、鷗外の「早稲田文学の後没理想」を、途中ですが振り返っていきたいと思います。
逍遥は、「没」の一字の義は、「埋没」でも「没却」でも「無」でも良いというし、「絶対」と「相対」に対する立場は、没理想の変化でもって変わるかもしれないと言います。
この煮え切らない態度に、鷗外は言います。
私は没理想を哲学的に追及しているが、あなたの没理想は詩的な発想なんだ、と言っているように読み取れるのですが……
そして、鷗外は「主観」と「戯曲」を定義します。
鷗外は、かつて、「没理想」のことを、「没理想」ではなく「没主観」「没挿評」「没類想」「没成心」であると定めますが、あらためて、上の定義でもって、シェークスピアの「戯曲」における「没主観」について、こんなことを言います。
ちなみに鷗外は「早稲田文学の没理想」の「附記 その言を取らず」で、「没主観」について、こんなことを言っていました。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!