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#967 いつから没理想に関するやりとりは平和の文から戦争の文になったのか

それでは今日も、森鷗外の「早稲田文学の後没理想」を読んでいきたいと思います。

逍遙子まことにこれのみにて其論辨を止めたらむに、われこれに對して言ふところあらむか。最終の言葉は我口より出づべし。若しわれこれに對して言ふところなからむか。最終の言葉は彼の口より出でし儘なるべし。
最終の言葉を出だすものには、必ず多少の影護[ウシロメタ]きところあり。奈何[イカニ]といふにその敵手の復た言はざるは、言ふべき理なきがためにあらずして、理あれども敢て言はざるがためにはあらずやと疑ふものもあるべければなり。
われ若し逍遙子が書(所謂矢ぶみ)にいへるところに隨ひて、その後沒理想論を駁せむか。これ逍遙子を影護き地位より救ひ出して、却りてみづからおなじ地位に陷るに似たるべし。この謀はわがためにいと拙[ツタナ]からむ。

1892(明治25)年4月30日発行の『早稲田文学』第14号の「小羊子が矢ぶみ」にて、逍遥は没理想論争の停戦を鷗外に申し入れます。詳しくは、#950を参照してください。

勿論逍遙子はわれに防禦せよといひて、われに逆寄[サカヨセ]せよといはず。わが防がむことをば彼望めども、攻めむことをばかれ望まざるなるべし。然はあれど筆戰墨鬪の間にては、防ぐことと攻むることとの別をなさむこと甚難し。防ぐとは我言の非ならざるを示すなり。攻むとは彼の言の非なるを示すなり。我言の非ならざるを示さむとするときは、勢かれの言の非なるを示さゞること能はず。彼の言の非なるを示さむとするときは、勢わが言の非ならざるを示さゞるべからず。
われ縱令[タトイ]逍遙子が言に從ひて、攻めずして防がむとすといへども、防禦のために放つ矢石の敵を傷[キズツケ]ること、攻戰のために放てるものに殊ならざるべし。
逍遙子既に復た出でゝ戰ふこゝろなしといふを、われ若し猶矢石を放ちてこれを傷ることあらば、たとひ我擧は我より出でたるにあらずといへども、たとひ我擧はかれの矢ぶみもて促し挑[イド]みたるところなりといへども、わが最終の言葉にはおそらくは影護きところあることを免れずして、我謀は到底太[ハナハ]だ拙[ツタナ]しとせらるゝに至らむ。
今までは逍遙子の時文評論と我山房論文と、まことに戰爭をなし居たるものとせむか。わがために謀るときは、最終の言葉を逍遙子に讓りおきて、わが軍を旋[メグ]らすに若[シ]くものなからむ。
然はあれど我が早稻田文學に對して出しゝ言を顧みるに、おほよそ三つあり、曰[イワク]早稻田文學の沒理想、曰早稻田文學の沒却理想、曰逍遙子と烏有先生と。就中[ナカンズク]初の文と中の文とは到底戰爭の文といはむよりは平和の文といふべく覺ゆれば、まことに筆鋒をかなたに向けそめたるは、おそらくは後の一文ならむ。今われ若し逍遙子の書のいふところに從ひて、最後に逍遙子が言の非なるを嗚らして止まむとせば、われは影護き地位に陷る如しといへども、われ嚴に批評の區域を守らむことをつとめて、逍遙子が後沒理想論を評すること、嘗てその沒理想を評し、その沒却理想を評せしときの如くならむか。世間おそらくは能くこれを以て我を累するものなからむ。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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