それでは今日も、森鷗外の「早稲田文学の後没理想」を読んでいきたいと思います。
鷗外は、レッシングの思想を参考にして、個人の哲学上所見は比量智であり、詩とは現量智であるといいます。詩が現量智であるかぎり、作者の哲学上所見を詩中にあらわすことはできないといいます。哲学で、「厭世・楽天」を明白にするときは、用語を定め、その用語に解釈をつけ、解釈どおりに使い、ほかの意味には使ってはならない。しかし、詩人は音響のために言葉を変え、意義に接するに意義でもってせず、比喩を使うことを好む者である、と。この「不能の理由」だけではなく、そもそも詩人は、哲学上所見を詩中にあらわすことを欲していないといいます。この「不欲の理由」を、レッシングの思想を参考に説明します。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!