それでは今日も、鷗外の「早稲田文学の後没理想」を、途中ですが振り返っていきたいと思います。
鷗外は、逍遥のことを三重で誤解している、と逍遥は言います。
1.雑誌記者・逍遥と、当世に対する逍遥の混同
2.無限の欲を持して絶対の研究に心を寄せる逍遥と、有限の欲を持して当世に処せんとする逍遥の混同
3.絶対に対する逍遥と、吾人と名乗れる逍遥の混同
これに対して鷗外は、逍遥の「個人」を三つに分類します。
1.絶対に対する没理想を奉ずる逍遥
2.シェークスピアの戯曲に対する没理想を奉ずる逍遥
3.腹稿主義を奉ずる個人逍遙
そして鷗外は、三つの「資格」として組み立て直します。
1.絶対とシェークスピアの両種の没理想を奉ずる個人逍遙
2.腹稿主義を奉ずる個人逍遙
3.腹稿主義を奉ずる早稲田文学記者たる逍遙
で、改めて、最初の三重の誤解に言及します。
こうなると、鷗外が次に突っ込むのは……
以前、鷗外は「早稲田文学の没却理想」でこんなことを言っていました。
そして、いよいよ逍遥の時文評論ではなく、逍遥自身へと言及します。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!