就活レス教育への転換 ≪教育❌就活 ≫
皆さんは就活を「長い」と感じますか?
本格的な就活が始まるこの時期、就活期間は人によって短くも長くもなります。学生の多くは学校や大学で身に付けた知識とは別に「就活」の学びを始めなければなりません。それは社会に対する知識・ノウハウ習得と同時に社会の中に「自分の価値、役割、将来」を見出すことを求められるためです。これを学びの二度手間と感じる方もいらっしゃるかもしれません。それならば、就活に至るまでの「学習環境」でそれらを獲得する術があれば就活がスムーズになるだけでなく、就職先や社会とのミスマッチが軽減されるのではないでしょうか。
本稿では「学びと社会を結び付ける」をテーマに、学生(子供)の社会を知る機会創出と社会における学びの活用について話していこうと思います。以下の文章では「現在までの就活」、「学びと就活のミスマッチ」、「学びの活用」、「教育で表現する社会」、「循環型学習」、「アジャイル型教育」、「生年別教育デザイン」、「就活レス教育の意義」をご紹介します。なお、本文は就活についてよりも「教育」に重点をおいて話が進みますので、ご了承ください。
「就活の変遷」
まず、昨今の就活事情について。現役世代の皆様が経験した就職活動は12月に就活解禁、4~5月頃には内々定。あるいは、3月解禁、6月~7月内定が多いのではないでしょうか。就活に関わる取り決めは、これまで経団連が企業へ要請する形で定められてきました。狙いとしては、就職活動に時期的制約を設け長期化を抑制。学生、大学と企業にかかる負担を減らすことでした。しかし、外資系企業を中心とした独自の就活スケジュールに基づく選考、リクナビとマイナビといった就活支援サイトを介さない企業独自の就活プラットフォームの運用。さらには内定直結型インターンや採用期間の通年化など就活環境は必ずしも経団連の思惑通りにはなったとはいえません。その最中、経団連の役割に大きな転機が訪れます。就活指針の取り決め役が経団連から政府へ移行したのです。その結果何が変わったのか。就活の風物詩といえる経団連による就活指針の発表は姿を消し、代わりに政府が就活に関する指針を策定することになりました。基本的には、従来の指針を踏襲しますが、ここで重要なのは、就活に時期的制約が明言されない事です。それは企業裁量で就活スケジュールを組むことの黙認を指します。先に挙げたインターン制度では、特にこの影響が色濃く現れ、優秀な学生の囲い込みを巡って今や大学2年生が企業のターゲット層になりつつあります。
しかしながら、就活の長期化の要因は早期化ばかりとはいえません。就活期間の長期化や企業の囲い込みにより優秀な学生は複数の内定を抱え始めます。その結果、内定辞退する学生数の増加を招き、募集定員に合わせた内定者を確保できても実際の採用には繋がりにくくなりました。2021年就職白書では、学生の内定辞退企業数は0.9社、内定辞退率は5割近くにのぼります。数字だけみれば、学生は1社は内定を断り、企業は内定を出した学生の半数を採用できていない状態であることがわかります。就活ルール規定に則った企業も一次募集の終了の目安となる6月~7月で一次募集を終えますが、採用予定数には至らず2次募集、3次募集をかけることを余儀なくされます。中には、それを見越し就活スケジュールを通年化することも珍しくはなくなりました。今や就活の在り方は、現役の社会人が経験したことの無い程、多様化と長期化が進行しているのです。
ここで学生の就活事情もみてみましょう。実は就職活動に臨む学生達が抱える悩みは「長期化」だけとはいえません。志望先の選択やこれまでの学びの活用先、あるいは世の中にどんな職業があるか分からないなどがその要因に挙げられます。社会人の皆さんからすれば、そんなことも知らないとは何事か❗️とお叱りいただく事態かと思いますが、学生達が「教育」という鳥籠に捕らわれ、社会と関わる機会を得られなかったと考えることも出来ます。社会人一歩手前になるまで社会を知る機会が訪れない教育環境、私はこれに強く危機感を抱きます。教育の意義という観点からも、学校や大学での学びは実践的ではない(社会との結び付き「なぜ学ぶか」が無い)ただの頭の体操に成り下がっているのではないか。この問題は、就活の質にも直結する重要なファクターです。次項からは、学生を取り巻く就活環境を鑑み、学生が就職活動に必要な要素(自己分析、企業・業界研究)を小中高の過程で身に付ける必要性と共に、そこに至るための学びの形とその到達点(自己理解と社会認知)を検討していきたいと思います。
「学びと就活のミスマッチ」
従来の就活ではまず、自己分析と業界(企業)研究から始まります。しかし、就活間際に突貫的な分析(自他共に)を始めても、なりたいものが不明瞭で就活に踏み出すまでに時間を要します。そればかりか就活に必要な要素(自己理解と社会認知)を取り溢す恐れがあります。それならば、この工程を就活に至るまでの教育課程で養うことで就活期間の圧縮だけでなく、就活のミスマッチ(自身のイメージと実際の就職環境との乖離)を減らす事が見込められるのではないでしょうか。これがタイトルにもある「就活レス教育」の基本理念となります。あくまでも就活工程を失くすのではなく、就活に掛かる労力、無知による選択肢の制約、就活時間を圧縮して冗長的な就職活動を脱する社会構造を反映した実践的教育カリキュラムを指すものです。次項では、「学びの形」の素案について紹介していきます。
「学びを通して社会を知る」
この言葉は以前の投稿で用いた言葉です。学び(興味関心の展開)、社会(自身が抱く社会における夢、役割、活躍の場)。これらは連動しており、謂わば学びのPDCAサイクルです。自身の持つ「興味関心」が「社会では何と結び付つくか」に至るまでを1つのサイクルと捉え、そのサイクルを回すことで自分にとっての社会の価値、社会への理解を深めることに繋がる(社会認知)。つまり、自分の興味関心(やりたい事)をクローズアップする(自己理解)ことで社会と自分を紐付ける考え方です。したがって、自分の興味関心の数だけPDCAサイクルは回り、将来の選択の幅が広がります。しかし、興味関心を社会に結び付けるには子供が社会に触れるための取っ掛かり(興味関心の発芽)が必要です。前回の投稿では、現在、各省庁で進行する子供の教育データの標準化と教育デジタル化に関連付けて「社会のデジタル情報化」の提案とその情報を検索できる教育プラットフォーム(プラットフォームHub)の活用に触れています。その意義は、現代の教育に子供を社会へ橋渡しする「学びの形」の確立。子供達が与えられたモノ(デジタル化)を自身の知識・技術へ昇華する一方で、変化をつくる(既存のモノをデジタルへ移行させる:DX化)下地を形成することが考えられます。
前回記事・・・子供と社会を繋ぐ《プラットホームHub 》
「学びの活用」
ではさらに、学びと社会を結び付け「社会を知る」とはどういう状態かに踏み込んで行こうと思います。端的にいえば社会で「学びを活用できる」状態です。皆さんは「学校の学びは社会では役に立たない、しかし、良い大学に入るには勉強しなければならない」という言葉を少なからずどこかでは聞いたことでしょう。学びが社会で役に立たないとは、それまでの学びが社会との結び付きが生まれず終わった成れの果てであるといえます。本来学びとは、社会のどんな場所で、どんな意味を持ち、どんなことに役立っているかまでを突き詰めて初めて意味を成す、謂わば未加工の「素材」に過ぎません。つまり、「なぜ学ぶか」に相当する解答が「その学びは社会で何と結び付くか」に繋がるのです。そして、学びと社会との結び付きを見出すことは学びの活用例を知ることと同義であります。「なぜ学ぶか」の回答を得られれば、自ずと身に付けた知識・ノウハウが社会で活用できる状態(学びの価値を正確に把握出来る状態)へとアップグレードされる事が期待されます。加えて、前述の「学びを通して社会を知る」と合わせると、学校で得た学びと興味関心の展開で社会に対する解像度は格段に上がり自分にとっての社会の価値(社会認知)もまた、より明瞭なものに変わっていきます。
「教育で表現する社会」
その環境に至るには、果たしてどのように「社会を知る」教育環境を整備すべきか。現在、学びは学校、学習塾を経た知識教育以外に、一般常識や社会体験を通した誰しもが身に付ける経験による社会的な教養があります。その経験値は、十人十色で同じ学習環境で過ごしても獲得するものが同じになるとは言い難いです。したがって、子供たちが社会を知るにはまた別のアプローチが求められます。さらに、目まぐるしい変化を続ける現代、日進月歩として学ぶべきポイント、知識やノウハウの必要レベルは上昇し続けます。その環境で教師陣あるいは、周りの大人たちは子供達に対してどのような教育を施すべきか。本稿ではその解答を、社会を知る過程で子供が自身の学び(素材)を実際に社会で活用される形に変換できる(加工)ようにアシストすることにあるのではないかと考えます。
あくまで主体は子供です。教育指導者は社会生活に必要な知能教育と一般教養を義務教育期間に子供達に共有する役割。そして、教えた学びが社会のどんな場面で活用されているかを伝え、子供自身が社会との繋がりを展開できる手助けする役割。この2点が教育に無くてはならないファクターではないでしょうか。具体例を挙げるなら、個人的に科学雑誌「Newton」のようなこの研究はこんなことに役に立つ、こんなことが出来る(今後期待される)が、素人にもわかるビジュアル、解説で伝えわることが理想と捉えています。この雑誌を参考として学校教育も同様に、学びを通じて社会を報せられる社会の伝道師が求められます。それが、子供の興味関心の発芽(知的好奇心の深化と多様化)と芽の成長を促すきっかけとなると考えております。
(小中高大学生問わず、是非読んで欲しい雑誌です。大人も一緒に楽しめる面白い雑誌で私のお気に入りです)
「循環型学習」
少し視点を変えて「何を学ぶべきか」についても考えてみたいと思います。皆さんは、教育を情報体としてみた時、その価値にはどんな意味があるか考えたことはあるでしょうか?
私は、現代では子供達が身に付ける教養や知識の情報価値は年々下がってきていると感じます。それは学習内容が乏しかったり、教育者のレベルの低下を指したりするわけではありません。情報化社会では、学校でなくても自分が必要に迫られれば、大抵の事象をネットを通じて解決できてしまう事が珍しくありません。加えて、以前は集団学習(寺子屋や学校)といった存在が子供の学力レベルを押し上げる事に大きく貢献してきました。しかし、現在は家庭ごとに習い事や学習塾に通わせ、子供の学ぶ機会を個別化してきています。つまり、学校で学ばなくてはならない学習容量が少なくなってきたといえます。学びの多様化という意味では学びが発展したと考えることもできるでしょう。とは言え、本当に学校は知識・教養を伝えるだけの存在で良いのか。学校の役割は今まさに新たな価値を求められているのではないでしょうか。
前項の「学びの活用」で学校の役割は、社会生活に必要な知能学習と一般教養を義務教育期間に子供達に共有する事であると論じました。その意味するところは「学ぶ術」の修得です。「学ぶ術」とは学び方(正しい情報の同定と得た情報を自他共に理解できる形に再構成できる能力)の修得です。学ぶ術がもたらす恩恵は、社会に進出後も自ら学び、修める、自発的で能動的な学習活動の展開にあります。子供がやりたいこと、学ぶ事は大人が与えるのではなく、子供自身が選択して掴んでいく。この事に教育者が意識を向けなくては子供達が自らの意思、力で学び、その「次」へと足を運ぶ(循環型学習)ことが出来きません。
「アジャイル型教育」
今度は教育指導者側の立場から「学び」について考えてみましょう。皆さんは今の教育が何を目指しているかご存じでしょうか?
現在は「現代社会に相応しい学びの形」として「子供の個性に応じた自発的で能動的な学びの実践(アクティブラーニング)」に重点がおかれています。目まぐるしく変化する社会を生きるには何が必要か。その答えは子供が「与えられた学習」だけでなく、適宜適当な情報・技術を取り入れ、新たな価値創出に取り組む能力を育める状態であるという考えのもと設定された教育指針です。この自発的で多様な学びを目指す事は間違いではないと思いますが、現状、そこに至るための教育ステップは曖昧で現場教育に十分に落とし込めていないように感じます。特に、昨今のコロナウイルス流行の煽りを受けオンライン学習が急ピッチで推し進められましたが、想定していた教育デジタル化のスケジュールを大きく前倒しした影響が各所で見受けられます。オンライン学習を運営するノウハウの不明瞭さや指導要領が浸透しきらぬまま授業を進めることを余儀なくされることからも、現場のてんてこまいさがみてとることができます。その環境下ではアクティブラーニングという言葉だけが先行して実際の教育がおざなりになっていはいないでしょうか。
私達はこの機会に「なぜ学ぶのか」その原点に立ち返る必要があります。それは前述の「学びの活用」でも触れましたが、学び(自己理解と社会認知)を社会に当て嵌める事で社会における自分の価値を可視化するためです。デジタル化で社会の在り方が変わろうとする今、ルールを作る・運用する側(特に行政機関)は変化(社会、企業、大学、学生が求める学び)へのアンテナを張ると共に、培った学びを発揮できる人材育成を目指さなければなりません。そのために、臨機応変な教育環境の整備のみならず、それらを取り巻くルールを最適化して学びのアウトラインを設計できる即応型運営(アジャイル型教育)が求められます。
「生年別教育デザイン」
少し話が飛躍しますが「学びの活用」を実現する教育制度として「生年別教育デザイン」を提案します。これは運用面から「学びの活用」を可視化するものです。教育者側が考える教育「子供達に何を求めるか」「到達点は何か」を生年(生まれてからの経過年数)毎に明文化、誰もが子供の学びの指針を把握出来る枠組みになります。具体的には、生年別に成人するまでの教育プラン(理念)を取り決め、その世代に一貫した教育(学びの理論、手段、アプローチ)を設定。その設定には教育環境をリアルモニターで観測したデータとその時々の社会変化に対応した教育カリキュラム並びに到達点の反映が不可欠です。なぜなら、目指すべきは現代社会で活躍できる人材開発だからです。現在の仕組みでは教育制度は一元的に管理され、ひと度ルール改訂が行われると、世代に依らず学習項目、学習範囲が一色単に変更されます。特に、近年は教育の基本理念となる学習指導要領も大きく改訂され、どんな学びをどの過程を経て習得するかも変更されてきました。制度が改訂されると教育工程全体が一度に変更されます。日本の教育基準を定める学習指導要領はゾーン型(幼稚園教育要領、小・中学校学習指導要領、高等学校学習指導要領)の運用形態です。改訂は随時行われますが、必ずしもそれまでの学びを加味した変更になるわけではありません。
極端な話になりますが、改訂が行われた年の中学2年生が新たな環境で1年学んだ場合と小学1年生が9年間学んだ場合では得られる学習内容の質は大きく異なります。新環境で学んだ年数に応じて学生の新たな教育目標に対する学びの修得度合いは高まるといえるでしょう。にも関わらず、現行の制度変更では新環境での学習年数に依らず、同じ教育課程であるというだけで新たに設定された教育カリキュラムが定める同じ到達点に至ることを要求されます。結果として、一様な制度変更では、同じ到達点でありながらも経てきた教育カリキュラムが異なるため、世代間ごとに学びのムラが生まれることになります。この世代はこの知識がない、この事を知らずに大人になったなど各所で学び方にムラ(教育制度における到達点のミスマッチ、学習練度の差)が見受けられるのはこれが要因といえます。現在もセンター試験から共通試験への転換で、変更前の世代と同じ学びを経たはずの世代が新基準に則った到達点を目指さなければならない状況に陥っています。果たして、今年受験を迎えた子供達は、新たな到達点をクリアしたとして大人達の思惑通りの学びを獲得した学習者なのでしょうか?
その問題を解消するべくゾーン型の教育基準に代わり、生年毎に学びをコーディネートする即応型の教育体系に目を向ける必要があります。現代教育が抱える問題点はスケール(対象範囲)と制度の即応性です。そこで、世代毎に教育到達点を設定することでスケールは限定され、より実態に合う教育指針の設定が可能となります。また、一貫した学びの指針を定めれば世代間ごとの齟齬は生じにくくなり、学生にとっては自分達の世代はどんな学びで、何が求められているか把握できます。教育者も学年ごとに学びの計画や進捗を確認でき、学び漏れを防ぐことが可能です。欲をいうと、小中高の担任・副担任は同じ方が受け持ち(クラスor学年)一貫した学びの提供を目指した方が良いと思います。勿論、生年毎に教育プランを考える負担や労力は増しますが、生年に応じた学びの手段や教育者の育成はやり易くなり、教育現場の効率化が図れることでしょう。想定するイメージとしては、生年毎に成人するまでの教育コンセプト(学びの形のラフイメージor到達目標)を設定。それに基づく、教育の実施計画、制度設計、教育ノウハウの開発の立案、実施計画書の作成。実際の教育現場で働く教育者への研修、実施状況のモニターと必要に応じて修正できるアジャイル型教育の運営(教育制度、ルール、人材活用)が鍵となります。特に、後半の実施モニターとアジャイル型教育の運営には機敏な動きが求められます。きめ細やかな計画~運用のサイクル(年単位での評価)、実施カリキュラムの予後評価は制度の質に直結します。運営に関わる人材には、新教育における専門知識、制度への理解、政治的判断とその決定権を有する必要があり、それらの運用要件を満たすには、即応型の官民混成チームの存在が不可欠となります。教育を一括りに捉えるのではなく、対象範囲を限定して世代に合わせてカスタマイズされた学びを提供する。これが「生年別教育デザイン」になります。
「就活レス教育に向けて」
教育の意義は「学びの活用」を伝えることです。それは子供たちの多くが抱く疑問「なぜ学ぶのか」への解答にも通じる教育概念です。教育という視点から、得た学びと興味関心が社会ではどんなモノと結び付くのか、そこに目を向けることはそれ程難しいことではありません。誰もが持つ学びと知的好奇心を自分の中に留めない、この積み重ねが自分の能力を把握する「自己理解」と社会を自身にとっての価値に置き換える「社会認知」に貢献します。この認識を忘れること無く、大人達は教育の枠組みを整備することが求められます。自分の道は自分が気付かなければ歩むことが出来ません。今、見える道(将来)それ以外にも広がる未知の選択肢(可能性)を紡ぐためにも、目の前に広がる世界(社会)を知り、自分の持つ術(自己理解、社会認知)を深めていく事が重要です。その結果として、就活では自己の能力を把握した状態で臨め、且つ自身と社会の関係を鑑みた就職先の選択が実現できるのです。社会に「自分の価値、役割、将来」を思い描く力。変容し続ける情報化社会で自己能力を発揮する力。今の社会を生き抜く力はこの2つの視点が欠かせないと感じます。
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