コトデルのタキダアユです。 人の中に本来あるコトを言葉にして引き出す。そのためにまずは自分が見えること、感じたことを出し惜しみしない。それが「コトデル」の考え方。と、はじめてのnoteに記しました。 それ以来「コトデル」について触れてきませんでしたので、今回は改めて想いを綴っていきます。 大学を卒業しておよそ一〇年間、自分の作品を書くことができませんでした。 学生時代も決してアイデアが湯水の如く湧いていた訳ではありません。毎日毎晩パソコンの前でのたうち回りな
一年前、母方の祖父が亡くなった。晩年はだいぶ弱った印象であったが、認知症のようすもなく、意思のはっきりした人であった。 それでも、祖父の最期を見届ける数年は怒涛の日々だ。とくに祖父の実子である私の母を取り巻く状況は、息をつく間もないほどで、なにかあれば施設や病院へと駆けつけ、祖父のようすを見ていた。ようだ。 私は実家を飛び出し、自分自身の面倒だけ見て過ごしていた。家族という社会から逃げたのだ。たとえ不幸があったとしても、正直連絡など来ないのではという覚悟でいた。が、
執筆時間と文字数を記録するようになってから、以前より意識して、机に向かえるようになった気がする。 その甲斐あり、四〇〇字詰十枚程度の作品なら、四日もあればエンドマークをつけられるようになった。時間数だけで言えば、たった五時間半程度の作業量だ。我ながらだいぶ書き上げる力がついてきたのではと思う。 記録しているのはあくまで「本文の執筆時間」であり、その前にはストーリーを考えたり構成を組んだりする時間がある。作業の中に「プロット」という工程があるのだが、これがどうやら重要
小説を書こう、と決めたとき、まず掴まなければと思ったのが「枚数感覚」だ。 「四〇〇字詰原稿用紙×枚分」で一体どれだけのスケールで物語を書くことができるのだろう。テレビドラマの脚本の場合、一枚でおよそ一分間の映像になると教わった。一時間番組なら、だいたい五〇枚から六〇枚程度。なのだから、小説だって、五〇枚のものと二五〇枚のものが同じ規模の話になるはずがない。 富山県の北日本新聞社が主催する「北日本文学賞」という賞がある。この文学賞の応募規定は、本文四〇〇字詰三〇枚だ。
この半年、短歌を好む人とのご縁が増えた。好きな歌人がいて歌集を愛読する人はもちろん、自身で日常的に創作する人にも出会う。 触れたことのなかった分野だが、まわりで楽しそうに魅力を話しているのを見ると興味も湧く。ためしに入るには、どこから踏み込めばいいのだろう。 と、考えているときにすすめられた本が「月のうた」(左右社)だった。一〇〇人の現代歌人がそれぞれ詠んだ、月にまつわる歌集だ。ひとり一首のアンソロジーは、好みのひとつを見つけるのにちょうどいい。 けれども、近所
「第二四回女による女のためのR18文学賞」へ、小説を応募した。ひとり三作品までの応募ができるため、この賞のために書いてきた一編と、過去に書いたものに推敲をした一編の二作品を出している。 一次選考通過作品から、しっかり氏名とタイトルを発表する賞なので、たいへんありがたい。自分の力量が、現在どれほどかを知ることができる。 見えずに曖昧にしていたことが、突如目の前に現れ押し寄せることは、心臓をひゅっとされるような寒さを伴うが、そんなことは言っていられない。まずは一二月下旬
十代の頃、何もかもが楽しくなかった。それもこれも、こんな田舎に生まれてきてしまったからだ。そう本気で思ったことがある。 都内の大学を受験し無理矢理に実家を出た。が、卒業の時点で就職先が決まらなかったために、転がり込むように地元へ戻る。一体この街の住人はどこでどのようにして遊んでいるのだろう。イオンモールを除いて! そう苛立っていた二十代だ。 三十代も半ば、在籍する東京の小説教室の同期を甲府に招いた。クラスが解散してからも、新宿や渋谷で集まっては食事をしたりと親交を深
ママ、あのね。今まで内緒にしていたけれど、ほんとは僕ね、パパに会ったことがあるんだよ。そう、パパ。僕が生まれたのと同じくらいに、死んじゃったパパに。 パパが病院に来た頃、外は凄い雨だったよね。時々びゅうと風が吹いて、窓を揺らしていたけれど、救命救急センターは慌ただしく人が動き回っていて、外のことなんて誰も気にしていなかった。パパが何人ものお医者さんに囲まれて横たわる部屋の扉のすぐ向こうで、棟梁が手を組んで力強く祈っていたよ。 「山田さん、しっかり! 奥さんと赤ちゃん、
数ある「お店屋さん」の中でも、小さな頃から憧れていたのは、お花屋さんでもケーキ屋さんでもなく「本屋さん」だった。 自分の思うままに手に取り、夢中で読んだ思い入れのある本を並べた、本のセレクトショップを一日だけ開店できるとしたら。「一箱古本市」はまさにそれが叶う夢のイベントだ。 先日「こうふのまちの一箱古本市」に一日だけの古本屋の店主として参加した。イベントを知ったのは昨年の催しに参加し終えた人のSNSの投稿からだ。足を運んだことは一度もないが、出店参加に迷いはなかっ
無音よりかは、ならば雑音のある方が作業が捗る。学生の頃から勉強をするときは家族のいるリビングで取り組んだ。しんと静まる図書館や、人の気配のない自室では集中ができなかった。 執筆活動においても同じだ。一人暮らしの自宅で落ち着かなくなると、印刷した原稿とiPadを抱えて、ファミレスやカフェに逃げ込む。マシンがコーヒー豆を挽く音や、客や店員の話し声をBGMに行う作業が、一番落ち着くのだ。 作業用BGMは、意味を含まなければ含まないものほどいい。ラジオ番組や好きなアーティス
「一箱古本市」をご存知だろうか。 両手で持てるほどの箱に入れた古本を、出店者は古本屋の「店主」として自由に値付けし販売する。古本のフリーマーケットのような催しだ。全国各地でひらかれている。 来る二〇二四年九月二三日(月・祝)、山梨県・甲府市で催される「こうふのまちの一箱古本市」に出店を決めた。屋号は「コトデル」だ。 小さい頃から「本屋さん」は憧れの職業だった。長いこと接客を要する業務に就いてはいたが、やっぱりたくさんの本に囲まれながらの仕事には夢を見る。一日だけ
何かを始めるときに、カタチから入るタイプの人間がいる。まさにそれだ。まず、手元に名刺を置きたくなる。学生の頃からそうだった。新しく挑戦する自分を、誰かに認識してもらいたいのかもしれない。 名刺作りにおけるこだわりの点は二つある。ひとつは「二つ折り名刺」であること。もうひとつは「顔写真を入れること」だ。 名刺は初対面の相手に自然に受け取ってもらえ、絶対に目を通され、それでいて捨てられる可能性が低いアイテムといえる。それって、自分を知ってもらい、後々見返されながら、思い
「母さん、僕、人を殺しました」 朦朧とした意識の中、息子の声が遠くに聴こえる。卓上照明の頼りない灯りが、寝起きの視界に差し込む。開け放した窓から飛び込むのは、肌を撫でる風ではなく、燃えるような蝉の叫びだ。夏の朝はもう、涼しくなどない。 「冷房くらい入れなければ、死にますよ」 と、人を殺したはずの息子、省也は、壁にかけたリモコンを手に取り、電源を入れた。じっとりと体にまとわりついた汗に、冷風がしみる。 ちょっとの仮眠のつもりだったが、身を預けていた腕は痺れを超えて感覚がな
友人と地元にある文学館の展示を見てきた。 文学館、行ったことがあるだろうか。美術館なら絵画や彫刻、博物館なら標本や化石などが並ぶのがわかるはず。文学館はつまり、文芸のそれだ。 日本で著名な、そして地元にゆかりのある作家にちなんだ資料が展示されている。わかりやすいところでいうと、原稿だ。作家の自筆、そこに校正などの指示が書き込まれた、いわゆる生原稿である。 有名な著作、私も読んだことのある作品の原稿をしげしげと眺めて歩いた。作家によって読みやすい字を書く人もいれば
芥川賞受賞作が発表されてすぐ、朝比奈秋さんの「サンショウウオの四十九日」を、Kindleで購入して読み始めた。 頭から下肢までの半身同士がくっついた、一見して一人の人間のようだが、実は結合双生児である姉妹、杏と瞬が主人公の作品だ。設定からして斬新だが、私が注目して読んだのは作中の「視点」の変化である。 読み始めて四割進んだところで、正直「離脱を我慢」しながら読んだ。描写を簡単に言うと「瞬の視点で進行する場面で、頭の中に杏の思考が流れてきて、それを感じ取り見つめる瞬の
三三歳の春、都内にある作家の養成学校に入学した。いわゆる小説教室というものだ。地方に暮らしているので、普段は現地の教室へ通うことはない。オンライン会議用のツールを使い、リモートで、リアルタイムに授業を受けることができる。 それでもたまに教室へ足を運ぶこともあり、その機会で唯一クラスメイトとの交流があった。一年目のクラスは皆、人見知りの傾向が強かったのか、解散間際になって初めて仲間同士で食事をすることに。私も参加した。今ではバラバラの講師につき執筆をしているが、時折集まっ