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小説の書き写しって意味あるの? 他人の作品からなにを「真似ぶ」?
小説を書こう、と決めたとき、まず掴まなければと思ったのが「枚数感覚」だ。
「四〇〇字詰原稿用紙×枚分」で一体どれだけのスケールで物語を書くことができるのだろう。テレビドラマの脚本の場合、一枚でおよそ一分間の映像になると教わった。一時間番組なら、だいたい五〇枚から六〇枚程度。なのだから、小説だって、五〇枚のものと二五〇枚のものが同じ規模の話になるはずがない。
富山県の北日本新聞社が主催する「北日本文学賞」という賞がある。この文学賞の応募規定は、本文四〇〇字詰三〇枚だ。過不足なく三〇枚、多くても少なくてもならない。
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北日本文学賞は、五〇周年を記念して作品集が出版された。過去の作品を手に取って読むことができる。いい手本になると思い、さっそく購入した。目論見通り、三〇枚の小説で描ける規模がだいたい把握できる。人物の数、時間の経過、エピソードの数、構成など。審査員の宮本輝さんの選評も収録されていて、たいへん勉強になる。
しかし、いつも三〇枚の小説ばかりを書くわけではない。そこを基準として、五〇枚ならどのくらい、一〇〇枚なら、と、目測をつけやすくはなった。とはいえ、ストーリー展開のタイミングや比重など、応用をきかせないと難しい。
どうやったら感覚を養えるかな、とぼんやり考えていた。が、これはあながち悪くないのでは、と思い直した勉強方法がある。
他人の作品を四〇〇字詰原稿用紙に書き写してみたのだ。
以前から、それこそ大学時代より、作品の書き写し、書き起こしはやった方がいい、と教えられたことがある。小説に関しても同じようなアドバイスを聞く。が、なんとなくその効果がどう出るのかが想像できずに、着手することがなかった。
それは耳鼻科の診察の順番待ちである。はっきり定まらない予約スケジュールで、自分の作品を書き進めるほど没入できない。読書で時間を潰そうか。と、思ったのだが、ただ本を読むのなら、と、原稿用紙とサインペンを用意し、持っている小説を書き写すことにした。
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田丸雅智さんの「海色の壜」から「ふぐの恩返し」を頭から書き始める。診察の順番が回ってきたので中断したが、その後再開し、一日のうちに書き終えた。作品は十二枚とちょっと、の用紙に収まる。
他人の小説を書き写すのは、その人の語り口を真似して取り入れることが本来の目的、ではない気がした。もっと文章の構造的なことを分解するのに、わかりやすい手段だ。
とくに原稿用紙に書き写すことに意味があった。冒頭のボリュームはどうか。一枚でどれだけの情報を詰め込めるのか。何枚目でもっとも盛り上がるのか。一段落の長さは。結末のスピード感は。四〇〇字詰めにして読み返すことで、分析がしやすい。
「学ぶ」は「真似ぶ」が語源という。猿真似ではなく自らの解釈をもって、先人に倣いたい。作品を模写する意味の分かれ道は、その意識にありそうだ。
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