弱さを受容する事②~他者と繋がる為にまずは自分を大切にする~
そして、帰宅途中、運転しながら、行き交う人達を感じながら、誰もがそういうふうに生きていると。
そもそも、人は誰もが強さと弱さを持っていて、色々な気持ちを抱えながら、日々バランスをとりながら生きているんだと思いました。
誰もが心の奥には、向き合いたくない事、思い出したくない事、言いたくない事など、色々な事を抱えてる。
私もそうだった(そうである)ように、多くの人が、何かに悩み、苦しみ、なかなか人に話せずに1人で心に抱えてしまった(しまっている)事があっても、それを表面的には見せないで暮らしてる。
意識的にも、多くは無意識にも、自分を保つ為に、本音本心をありのまま表現しないで、自分を強くして生きてる。
例えば辛く苦しい(と捉えた)体験を重ねると、それまで以上に傷つきたくなくて、無意識に防衛し、思い込みをしてしまう、誰もが、そうなのかも。みんな...、強いけど...弱いんだ...。
そう思いました。
叔父、叔母も、私も、今、精一杯生きているのと同じように。両親も妹も、精一杯生きていた(いる)んだな。
誰もが、そうなんだ... ...と。
誰もが、精一杯生きている。
誰もがそもそも弱くて、弱いからこそ、強くなろうと、前向きに、明るく生きようとしてる。
だからまず...、自分を守って生きてる。
みんなが、自分を守りながら精一杯生きてる。
みんな、まずは自分の事を1番に考えて生きる。
これが、ニュートラルなのかも...、と思いました。
そういうことなんだ...と。
みんな、生きる為に、まずは自分の事を1番に考えるんだ、あ、そうか... ...、なるほど...と。
それでいいんだ、それが自然なんだと。
そもそも本能的に、そうなんだ...。と思いました。
それぞれが、まず自分の事を1番に守って生きる本能があるから、物事を自分が見たいように見て、受け取りたいように捉えて、思い込む。
そして生きている年月で身に着けたその自分バイアスで、それぞれが自分流に表現するという日常当たり前の事をする。
良いとか悪いとか正誤なんて意識しないで、当たり前に自分にとって自然で普通の、慣れた表現をする。
ただ、時にその普通に表現した言動や、相手に良かれと思って表現した言動が、不本意にも、相手にはそのように伝わらない事がある。
自分にとっては慣れた表現、言葉でも、相手にとっては慣れない、意味のわからない言葉の場合がある。
だから意図したように伝わらなかったり、意図とは真逆に伝わってしまう事もある。(例えば父親から私への愛情表現のように。私から他者へ、他者から私へも然り。)
伝える側と、受け取る側、それぞれにそれぞれ流のバイアスや思い込みの有無やその度合いは色々あって、それは1人として同じではないから、
それは、どうしようもなく、仕方のない事。
その事をわからないと、知らず知らず、自分の理想を押し付けてしまい、相手を傷つけてしまう事がある。お互いに傷つけ合ってしまう事がある。
こういうすれ違いは起こりやすいと理解した上で、自然体で対話している時や、対話中に何か違和感を感じた時など、
相手の存在そのものや、これまでの人生経験に対するリスペクトや、相手の本音の気持ちにフォーカスする配慮、そこに触れる(触れさせて頂く)事が可能なように相手に伝わる言葉を選んで、こちらから心を開いて対話しないと、相手の本当の心情を理解する事に繋がらない...。
(もちろん私自身、書いたようには全く出来ていなくて、人間関係に試行錯誤している張本人ですし、気づく為の事象が実際に起こって、気づいて今書いている感じです。)
その事に気づかずに、すれ違いが繰り返されてしまうと、端的に、自分と他者、この関係はわかり合えないと思ってしまう。自分は誰にも理解されないと寂しく、悲しく思ってしまう。
苦しいからもう傷つきたくないと、もう相手を傷つけたくないと、思ってしまう。人間関係への恐れ、怖さ、悩みになってしまう。
矛盾するようですが、...
その本能があるからこそ、まずは意識して、自分で自分を大切に愛して守り、自分を知る事が大切なんだと思いました。
「自分」という境界線をはっきりさせて、自分を理解する事に繋がって、それが他者を理解するという事に繋がって、共に生きる為にそれはとても大事で、必要な事なんだと思いました。
そして、本能的にも、意識的にも、
自分で自分をまずは1番に大切に守りながら、
色々な思いがめぐる心に自分なりの折り合いをつけて、出来るだけ心地よく自分の機嫌を自分でとって、自立する事。
自立して、確立した「本来の自分」(思い込みのない自分。ニュートラルな自分)を育てて、他者と関わる事がきっと大切なんだと。
円滑な人間関係を作る為には、自立し合った関係性で、それぞれが、お互いに自分の気持ちや考え方、信念、価値観などを芯に持って正直に対話する事。
可能な範囲で無理をせずに、尊重しあって、相手を思いやりながら自分の本音を伝え合って、そうして初めて、理解し合える人間関係を構築したり保持出来るんだ...と思いました。
分かり合えても合えなくても、分かり合える範囲は幅広く色々でも、そうやって、人は弱くても、頼りあい支えあって、認めて補いあって、強く生きられる(生きられて来た)のかもしれない...。きっと...そうなんだと思いました。
そして、人は、自分は弱いと自覚した時に、強くなりたいと思い、強くなろうとする。
その想いは、例えば心や身体を傷めた時。病気になってしまった時。
弱いけれども誰か愛する人(人達、動物達など)を大切にしたいと想ったり、その人を守りたいと思った時。何か力になりたい、支えになりたいと思った時。
その人に幸せになってほしいと思い、
今日も笑顔で自由に楽しく生きていてほしいと願う時、より一層、自分の内側深くから、想いが自然に湧いて、強くなりたい、強くなろう、と思うものだと。
見返りなど求めない。
切ない気持ちや、悲しみや、ほかの負の感情を涙と共に心から感じきった後には、心からありがとうという感謝の気持ちが湧く。
私にそういう気持ちを抱かせてくれた、体験させてくれた存在だったと思う。
無条件に湧く、穏やかな愛と感謝の気持ち。
前を向くのにそっと背中を押してくれる気持ち。
人には、そういうふうに思える愛と優しさも、もともと備わってる。 そう思いました。
だから、弱くても愛おしい。
だから、自分は弱いと、悲嘆したい時は悲嘆し感じて泣ききって、泣ききった後には、
弱い自分も本当に大切な自分だから、弱くてもいいんだよと、寄り添い、全部受け止めて、受け入れる。
自分の弱さを心から抵抗なく受け入れる事が出来た時、いつの間にか自然に強くなろうとする。
抵抗する自分がいるのは、強くならなければいけないと思い、強く生きようと頑張っている(頑張ってきた)自分の証。
だから迷う事なく本音本心で、全身全霊をかけて自分で自分を褒める。
絶対に自分を否定しないで、弱さを認めたくない抵抗する自分ごと、全部受け入れる。
心身の力を抜いて、涙を伴うならティッシュで拭いて流れるだけ涙を流しきって、抵抗する自分も大切な自分だから、大事に優しく全部受け入れる...。
自分で自分を抱きしめながら泣ききって、落ち着くまで優しく抱きしめてる。
そんな弱い自分だけど...、精一杯やってきた...頑張ってきたと、自分で自分を心から労って受容して肯定出来た時に、心はすっきりとして、本来の強さを持っていた自分を思い出す事が出来て、既にもう強みが備わっていた事に気づける...。
人は弱い存在。弱くて健気。健気で優しい。優しくて強い。弱くて強くて愛おしい存在。
矛盾してる、人はそもそもそういう矛盾してる両面を同時に持った存在。そして矛盾の中で揺らぎやすく、バランスを崩してしまいやすい私達。
誰もがそう。そもそもがそう。ただ、忘れてるかもしれない。
私は、長い時間、忘れていたように思います。
以前よりは今、思い出せている途中のように思います。
思い出しながら、日常の中で喜怒哀楽を感じて、自分なりに表現している今のように思います。
誰もが、それぞれの輝き方で、それぞれの奏で方で自由に表現して生きていて、私もその中の1人なんだと思います。
時々...、自分との向き合いが辛くなる時は、向き合う事が果たして良いのだろうか...とも思います。でも、私自身にとっては良かったし、必要だった気がしました。
幼少期、自分の心の真ん中に作ってしまっていた思い込み、捻れが解けた今、私はこの等身大の私のままで生きていいと、心は楽に深く息を吸えるようになりました。
今まで通りの自分との向き合い方は、いい塩梅でストップする時なのかもしれないな...とも思ったりしています。
表現しながら、無理せずいい塩梅で、まだ忘れた事があるなら気づいて生きたいと思います。
喜怒哀楽や憂鬱、バラエティ豊かにいろんな日があります。心温まる日や、悲しみ、寂しさを感じて落ち込んでしまう日。その都度、まずは自分に優しく、どんな自分も大切にして全受容、全肯定をする日々です。
自分が自分の本音本心、ありのままの状態を1番わかって、どんな自分も自分だから、心から寄り添って、大切に愛して生きたいと思います。
そして、いろんな感情を体験して感じきって、
その都度私は、矛盾やグラデーションの、どの感情を自分のニュートラル地点だと選んで、信じて生きていくのだろう。
この命で生きる残りの日々を、どう生きて行きたいのだろう。
生きる事は苦しくて大変な事、という思い込みから、生きる事は楽しくて幸せな事、と深く腑に落ちてわかる事が出来たらいいなと思います。
肩の力を抜いて、心を緩めて、バランスを保って、流れに委ねようと思いました。
宝者/アイナ・ジ・エンド
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
2024.3.20
2024.4.05 再編集