再会からその後の気づき
今回、両親の事をとても客観的に見てしまった、見る事が出来た、自分でした。
父親は、ずっと以前から、相手の立場に立って、相手の気持ちを思いやる事はして来なかった人なんだな...と思いました。
父親は自分の思い込みに気づかず、(思い込みをしているという事にも気づかず)、もうずっと書き換える事が出来なかった。
父親は気づいていませんが、父親にとっては、宗教教義への信仰心が、父親の心そのものになってしまった。本来の父親の心が、ニュートラルな状態では無く、宗教教義へ傾き過ぎた事が私の生きづらさの体験へと繋がった。
でも父親には機能不全家族で育った影響があったから、そう傾いた事は本当に無意識です。
父親の本来の心は、とても弱く繊細なのだと思います。実の母親が幼少期に亡くなり自分の記憶に無く、成長過程で、もしかして言葉に出来ない程の孤独感を感じ、じっと耐え、我慢し続けた事があったのかもしれません。たくさんの薄いベールで心を包み、守らないといけなかったのだと思います。男性でもあるから、私のように泣いて涙と共に感情を吐き出す、そんな機会はなかなか持てなかった。辛く苦しい事は黙って堪えて我慢して生きていたのだろうと思います。
そして大人になるにつれて、思い込みの上に更に重ねて思い込みを作り、固く心を守る必要があったのだろうと思いました。父親が不憫に思えました。
親からの無条件の愛情を知らず、気づかず、宗教教義を聞いた後、自分は神様に愛されていると、教義が真理だと強く思って信じ込み、それを頼り心の支えにした。その後自分の心のバランスは意識しなかったのか、意識出来なかったのか、保てなかったのか、心は傾き過ぎて染まりきり、それが父親にとっての軸になった。
その事に気づかず、生き続けて、今現時点でも気づいていません。本当は、父親の心は、本来の心があるのだろうけど、もう父親の心は=宗教を信仰し染まりきった心。信仰する事は個人の自由ですし、人生を豊かにする物事の1つだと思います。父親の信仰心は、熱心なという意味で、素晴らしかった、素晴らしいと言えるのかもしれない。
ただ、でも、偏り過ぎて、子供への愛情表現に間違いの教えがあった事に気づかず、自分の行いに取り入れてしまった事。私と妹がその影響を受けた事。その事にも、気づいていないまま。本来の父親自身の心は失ったまま、その事に気づかないまま、ずっと長い時を生きている。私にはそう見えました。
それが良いとか悪いとか、そういうジャッジではなくて、冷静に見て、父親の、本来のニュートラルな状態の心は、胸の奥の奥の遥か彼方で、もう見えない程だと思いました。
私は今回、その事には触れませんでした。触れなくてもいいと思いました。父親が気づいていないならいい、私からは言わない、と思いました。父親は幸せそうでした。今、本人の幸せが本人の価値観で継続していて、まわりの人に押し付けていないなら、それでいいと思いました。
母親は以前と少し雰囲気が変わり、そして母親は色々わかっているように感じました。母親はかつて、たぶん、そういう変わらない父親だとわかっていて人生を選んだんだな...と感じました。
母親も昔、父親に何か自分の気持ちを伝えた事があったのかもしれません。でも父親は頑固で変わらなかった。
母親は何一つ変わらないそういう父親をわかり、父親がなぜそうなのか、その理由まで考え察して、自分が父親の生きづらさを半分一緒に持つ、そういう気持ちで、一緒に生きる人生を選んだのかもしれない... ...。そう思いました。
もしかして、母親は、わかって待っていたのかも...?私が気づき、わかり、いつかこうして帰省して来る時が来るのを待っていたのかも...?と思いました。今度、聞いてみようと思いました。
お母さん、大変だったね...と、大変手の掛かるお父さんだったね、などと...、いつか一緒にそんな話しをするかもしれない、そんな事を思いました。
母親の生き方が、実はそうだったのかもしれないと、思った時、思えた時、リスペクト出来る気持ちになりました。
良い意味と範囲とバランスでの、母親が、自分自身で決めた、自己犠牲的ではあるけど、そういう生き方。私は、母親...すごいかも...そう思えました。
愛する人の苦しみを、自分が半分持つという生き方...。母親から聞いた訳でも無く、私が、美化している?勝手に考え過ぎている?私は私の見たいように見ているのだろうか??とも思いましたが、色々な過去の場面の、母親は父親に優しかった、そういう記憶からそう思えて、もしかしたら、そうかもしれないな...と、思いました。
そして、父親を支えて生きてきた、この母親の生き方を素敵だと思った後、これが本当の支え合いの心だよね...と思考が連鎖して、私はこの世界はそういうふうに、支え合っているんじゃないだろうか... ...と、世界は支え合って出来ている...! と、そう思いました。
辛さや、苦しさ、それをきっとみんなで半分とか少しずつとか持ち合うようにして、常に支え合っている。人はみんなで支え合って、この地球で生きている。私もその中の1人で、みんながそう。
1人だけど、独りじゃない。支え合って生きている。誰も、私も、多くの人に支えられて生きている。
今この地球でたくさんの人と繋がっていて、支え合って生きているんだと、深くからそう感じました。こんな有り難い事はない...、と思いました。これもまた当たり前にわかっていたつもりの事でした...。
今までもそう思っていたはずなのに、前職の時も、日々そういう思いで働いていたはずなのに、深く考えずに、「そう思っていると思い込んでいた」んだと思います。
この時、私の心深くからそう思い、私の中の価値観に、変化がありました。どんな形であれ、今、私と繋がってくださっている皆さんに、感謝しかない。と思いました。
私が子供の頃、父親が言っていました。この世は恐ろしい所だと。この世は怖い所、厳しい所だから、家に居る間に自分が厳しくして子供達に免疫をつけておくからと。今思えば本当に歪んだ発言だと思います。
そして父親は、そう思ってしまう経験をしていたと推察しました。私は、今まで、その父親の思い込みの影響を受けていた、と思いました。
確かに、世の中には色んな人が居て、怖いと感じてしまう人もいると思います。一概には言えない事だとも思いますが、そういう人も、幼少期から生きてきた状況環境からの思い込みで作られてしまった人格がある気がします。
父親の捉え方は偏っていたんだ、世の中は怖くて恐ろしい所ではなくて、優しさや愛がある世界なのでは、と思いました。そもそもが優しい世界、支え合っている世界、それがニュートラルな状態なんだと思いました。
続いて連鎖して、世界を怖いと無意識に思っていた私は、心の偏りがあった、と気づきました。
昔あの日母親が言った、○○さん(私)は自分の事しか考えてないんだね、というその言葉は、その通りだったのかもしれない...と思いました。(note記事 何層にもなっている感情)
冷静に思い出し、受け止めました。当時、その頃、もう私は思い込みをしていたから、私が母親の言葉を素直に受け取れていなかった。
そしてあの頃、母親にそう言われても仕方ないくらい、私は事実、思いやりの心が無かったんじゃないか...。
私は、ずっと、思いやりに欠ける人間だったんじゃないか...、そう思ってショックを感じました。
社会人になってからずっと思いやりの心を持ちたいと思っていましたが、それは本当の意味での思いやりや支え合いを知らず、心のどこかで世の中や人に対して警戒心を持っていたからかもしれない。そう思いました。
気づいたその後、少ししてから、大きなショックがやって来ました。
今までは、ショックを感じた後、大きく落胆し、すぐに自己否定まで気持ちが落ちていっていました。
今回は、気づいたら、ショックをしっかり感じて、その後、仕方ない...と、仕方がなかった...と、今は、そのままの自分でいいんだと、自分を許可して全受容しようと思いました。
弱い、情けない、出来てない...、と、そんなふうに思える自分を、そのまんまでいいと許す事。
今、素直にそのままを、受け入れて認めようと思いました。そして、そう出来たらその後、少しずつ、これから、本当の思いやりの気持ちを持って生きていけるようになろう、と思いました。
色々な事に、本当の意味で、気づいていない、気づけていなかった時には、必ずその理由があった訳だし、気づくタイミングは、今だったんだという事だと、そう思いました。
気づくタイミングは今だと、自分で設定して来ている、と思いました。
自分の心に、まだ偏りがあったという事に気づいたので、ありのまま受け止めて受け入れて、自覚して、その事を少し気に掛けていたら、その後は徐々に、ニュートラルな状態になっていく、自然と戻って行ける気がしました。
気づいて感じたら全肯定、全受容。キリがないようですが、これからも、たぶん、何回も、こうして気づき、受け入れて行くのだろうと思います。
長くなってしまいましたね。すみません。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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