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#認識技術
当たり前が、それぞれ違う
【はじめに…】
スマホやタブレット、パソコンなどの端末と
それぞれに伴ってのデジタルコンテンツやサービス。
それと共に生活する事が
日常となっている現代の子供達。
自分達の子供の頃は、言葉一つ調べるとなれば
国語辞典や広辞苑なんかの書籍で一枚一枚ページをめくり
言葉の意味や定義を調べていた。
今と昔を相対比較して観ると
『調べる』と言う事柄一つとっても
まず行動の仕方が違う。
そして、答えを
そもそも人それぞれ違う
学校や、職場、地域、家庭…などなど
最初は仲が良い コミュニティやパートナーも
時間が経つと 考え方の違いとかで
愚痴や避難、場合によっては 仲間外れにするって事が
世間でもよくある。
目的や目標、夢、ミッションなどの
ターゲットが一緒な時は、それに向かう『同士』
という仲間意識の元、相手との共通する部分を
会話や行動などのやり取りの中で見付けだす作業が行われ
仲の良い関係性と言うのが保たれる
総て自分が決めている。
自分は
『◯◯で、ありたい』
『◯◯な人であると思われたい』
『◯◯な人であると見られたい』
これって、各々が持っている
アイデンティティというモノが
そうさせている。
そのアイデンティティが
無限化されていなく
有限化されたままだと
自分の出来る事って限られてくる。
まずは、第一段階として、
自分が持っている
アイデンティティは
どんなモノか?
自分は
何を好んで
何を嫌っているのか?
当たり前の押し売り。
先日、仕事の際の会話にて
事務の年配のお姉さんと
家での話にて…
「私たちの頃は、そんな事ありえなかったわ…。」
「昔は、男の人は台所に立たなかったのよ。」
って会話や
年の離れた同僚の話にては、
「最近の、子達の考えている事が理解できないわ。」
「宇宙人と話してるみたい。」
「私達の若い頃は、何でも“はい。”って従う事が当たり前だった…」
って会話がよくある。
それぞれの時代の
『当たり