当たり前の押し売り。
先日、仕事の際の会話にて
事務の年配のお姉さんと
家での話にて…
「私たちの頃は、そんな事ありえなかったわ…。」
「昔は、男の人は台所に立たなかったのよ。」
って会話や
年の離れた同僚の話にては、
「最近の、子達の考えている事が理解できないわ。」
「宇宙人と話してるみたい。」
「私達の若い頃は、何でも“はい。”って従う事が当たり前だった…」
って会話がよくある。
それぞれの時代の
『当たり前』がある。
戦国時代では、男性が
チョンマゲであった事が
当たり前だったり…
同じ時代であっても
地域によって電車が
1~2時間に1本って
地域もあれば、
5分おきに次の電車が
来るのが当たり前の
地域の人もいる。
それぞれの時代、地域性、
価値観や時代背景、
生活習慣、風習があり
当たり前が違う。
家族の時間を
大切にしてきた家庭で育った人は
家族の時間がある事が
当たり前。
一人の時間を過ごす事が
当たり前になってる人は
一人で行う事が当たり前で
物事や予定を組む。
自分の中にある当たり前は
おかれている環境や教育によって
自分が
“そういうものなんだな”と、
自分で決めているにすぎない。
自分の当たり前が、相手にとっては
当たり前じゃない事も多々ある。
世間でも
『多数派が常識』
『少数派は非常識』
って事をよく目にしたり
経験したりする。
自分の当たり前を
相手に押し付けてはいけない。
それって、つまりは
『当たり前の押し売り』
にすぎない。
相手にも、
それが当たり前となっている
背景がある。
大事なのは、その背景も含めて
相手と向き合うこと。