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現代“自我”社会と狩猟社会における言葉の意味「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」🌳第三部最終回🌳

前回第二部では反省しない人々と題して「ごめんなさい」のないプナンのゆるやかな集団的自我を紹介しました。
最終回は日本社会において大事な大切な「ありがとう」がないというのはどういうことなのか、考えてみたいと思います!
レッツ・ゴー トゥ ザ フォレスト🌳🌳🌳


所有。
物欲。
これは人間は本来的に持っているものなのか。
はるか昔の縄文時代、自分のものという概念は持たず人々は分け合って暮らしていたのだろうか。
インドネシア、プナン民族は食べるために生きている。
森や川から狩猟漁労によって自然から分けてもらう食料を村人に行き渡るように配られる。現代におけるプナン社会でも基本的な生き方は変わっていない。では「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」より再び引用してみよう。

プナンにとって寛大であることは重要である。プナンは常に貰ったものを惜しげもなく誰かに分け与えることを期待されている。奥野氏が年2回のペースで訪れる際にいつもお世話になっている男性の家族にお土産として持っていく時計やポーチ、バックなどはすぐにそれらをねだる別の誰かに渡る。さらにそれは別の人へと渡っていく。
貰った贈り物を他人に分け与えることはプナンが生まれながらに持っている徳なのだろうか。いや、そうではないように思われる。奥野氏がプナンの居住地を訪れていくとホストファミリーからお土産を決して皆がいる前で見せないように言われる。何も手元に残らないことを危惧するからである。手元にものをおいておきたいのが本心であり「社会習慣」として、ものを惜しみなく与えることが行われているということだ。
ある時のことである。奥野氏が幼児に飴玉をいくつか与えると彼女はそれを独り占めしようとした。周囲にいる子どもが欲しそうにしていたが幼児は飴玉をしっかりと身に引き寄せて手放そうとしなかった。母親がそれを見て傍らにいた子どもたちにも分け与えるように促した。最初は怪訝な様子だったが母親の教えに従って幼児は飴玉を他の子どもたちに配り始めた。プナンは後天的に与えられたものを分け与えるという規範を社会に広く行き渡らせてきたのである。ものを惜しみなく分配するという寛大な精神は決して生まれながらのものではない。プナン社会においてケチの芽はただちに潰されるのだ。


プナン民族において所有欲というものは幼少時より矯正されるようである。


文化人類学的に見ると世界の各原住民的民族に贈り物の霊を見ることが出来るという。贈り物が贈り手から移動するとき一緒に移動するマナ、ハウなどと呼ばれる「贈与の霊」と呼ばれるエネルギーだ。
文化人類学者、中沢新一によるとインディアンは贈り物を自分のものにしてはならず贈り物は動いて行かなければならなかった。贈り物と一緒に贈与の霊が他人に渡される。贈与の霊は別の形をした贈り物に添えてお返ししたり別の人達に手渡して動かさなければならない。中沢新一は贈与の霊が動き流れていく時、世界は物質的にも豊かになり人々の心は生き生きとしてくるのだという。


太古の昔、おそらくは元々こういうことは自然なカタチで行われていたのではないかとぼくは思う。しかし、やがてプナンのような狩猟社会にも資本主義的物質世界は流入してくる。文化人類学者とともに。または旅行者とともに。または彼らが町へ赴くことも今ではあるのだろう。



プナン社会においては、与えられたものを寛大な心ですぐさま他人に分け与えることを最も頻繁に実践する人物が最も尊敬される。そういう人物は普通は最も質素だし場合によっては誰よりもみそぼらしいふうをしている。彼自身はほとんど持たないからである。ねだられたら与えるだけでなく自ら率先して分け与える。何も持たないことと反比例するように彼は尊敬を得るようになり人々から「ビッグマン」と呼ばれ共同体のリーダーと呼ばれるようになる。彼のもとには人々が集まり彼の言葉は人々を動かす原動力となる。バッグマンの口から言葉が発せられれば人々は狩りに出かけるし言い争いは鎮められる。


自然なカタチでこのようなリーダーとなるような人々が多かった時代もあったのであろうが、現在は伝統的生活を守るため幼少時に矯正が必要とされる。はて、これは現代社会に合う人間を作るために幼少時から幼稚園小中高校と通わせる社会と同じようなことをしてるのではないか。現代社会には現代社会的〈超自我〉があり、プナンにはプナン社会の〈超自我〉があるように思われる。(超自我とは社会的にまたは家族的にこうあるべき、〜するべきというような規範、道徳的観点)
社会形態は違えどこれは同じことではないか?


ものを貰っった時、何かをしてもらった時に相手に感謝の気持を伝える「ありがとう」という表現はプナンにはない。贈り手に対して貰い手はその場では何も言わないのだ。ありがとうに相当する言い回しとしては「よいこころがけ」という表現がある。それは贈り手の精神性を称える言葉である。感謝されるのではなく分け与える精神こそが褒められるのである。


現代日本において「ありがとう」という言葉ほど強調される言葉はないのではないか。
ありがとうと伝えよう、1日100回ありがとうと言おう。SNSやこのnoteに於いてもそういう記事はよく見かける。
その「ありがとう」がないというのはなかなかの衝撃である。
その代わり「良い心がけ」という言葉がある。貰ったことに感謝するのではなく、贈ったことを褒める言葉だ。
現代日本社会においてありがとうという言葉は人間関係を円滑にし、ぼくもよく使うようにしているが「ありがとう」と言うことで相手はニコッと笑ってくれる場面がよくある。
ありがとうの代わりに「良い心がけをした」と日本で使ってみたらなんだこいつはと思われるに違いない。
ぼくらは何かを他人にしてあげたら、またはものを貰ったら感謝されると当然の如く思っているからだ。

純粋に〈ものが霊とともに循環する社会〉では本来、「ありがとう」もなく「良い心がけ」のような褒めることもないのかもしれない。ものが回るのは当たり前の事だからだ。
言葉は社会通念とともにある。
押し付けられ作られた自我同士のコミュニケーションとしてあるように思える。
よって

現代のありがとうも
プナンの良きことをしたも

外から満たす言葉なのだ。
外から包み込む言葉なのだ。

ぼくは内から何かを湧き起こらせる言葉の使い方があるのではないかと思う。
魂側から湧き起こってくるもの。湧き起こってくる言葉。
それで生きることが出来たら
人々はこの社会を変容させる事ができるのだと思う。
押し付けられたものを削いで、削いで
魂からの言葉を立ち昇らせたい。

ここまで書いてきて普段からぼくが取り組んでいるヨガの八支則に思い至った。以前の記事でも紹介したことがあるがヨガ八支則にはああしてはいけない、こういう風に生きましょうという教え、ヤマ・ニヤマというものがある。教訓的なものだ。教室に通えばたまにヨガの先生が口にすることだろう。
しかし、これもぼくは先にくるものでなく、
ヨガの目的サマーディが達成された時、内から湧き出て行動に現れるものだと思うのだ。
サマーディまでいけないとしても内側が豊かになれば自然と現れてくるもの。


結局のところ、前回記事と同じ結論に落ち着く。

心の森を豊かにしていくこと。


この記事を書こうと思っていた当初の結論とは違うところに落ち着いた。プナン的生き方は素晴らしい、本来はありがとうというも言葉は要らないのだ、というところにぼくの思考は行くと思っていたが、現代社会でもなくプナンでもないというところに結論が来た。これが書くことの面白さ思考の面白さである。
プナン的狩猟民族的生き方は出来ないし、現代社会のままでもいいはずはない。

現代的生き方、狩猟社会的生き方の差異を自分の中に取り込んでその差異は差異のままとしてこれからの生き方を今生きているこの場所で見出していきたい、生み出していきたいと思うのだ。


第一部🌳



第二部🌳




コメダ珈琲にて
紫芋シノワールを食べながら(•ө•)♡
読んで書いて。
食欲の秋🍂




参考ブログ


ヨガ八支則について



《転倒してしまった教え》

誤解されたパタンジャリ 五十嵐浩子さんの記事より。




悟りの基盤は超越の状態(存在)であるという真理が曖昧になった時、賢者が述べたゴールについての言葉は、ゴールを実現するための道であると誤解されるようになりました。
ヨーガ哲学の創始者パタンジャリについても誤った解釈が行われ、彼の説いた八つの道はその順序が逆にされてしまいました。ヨーガの実践はサマーディ(三昧)から始められから始められるべきなのですが、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)といった道徳的な行為から始めていくべきだと理解されるようになりました。サマーディはヤマ、ニヤマなどの実践によって得られるものではなく、サマーディを繰り返し、経験するからこそ、道徳性が高められるのです。つまり、八つの段階ではなく八つの手足が同時に進化して行きます。サマーディは一時的なサマーディと永続的なサマーディの二つがあります。一時的なサマーディは超越です。永続的なサマーディが悟りの状態です。また、ヤマ、ニヤマなどの解釈も本質と離れたものになってしまっています。このように、あらゆる領域が過去何世紀にもわたって、誤解され間違って解釈されてきました。

言葉で内的なものを伝えるということは
とても難しく時に危うい。言葉が先にくると本来瞑想やヨガのエクササイズで柔らかくしていく自我を
逆に固くしてしまうのではないか。


関連マイ記事


ものと精神💫💫💫




人の意識と社会変容 反集中とは何か!?➁ 《2つの世界にあるグレーゾーンに立ち続ける勇気を持とう》




この記事おもろい↑🌟



ご一読ありがとうございました!
プナンの子育て方法も面白いので紹介したかったのですがいつものことながら長くなりすぎたので、またいつか機会があったらと思います。
もしくは「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」を読んでみる事をおすすめします。
とても読みやすく示唆に富んだ良書です。



以上です!



ナマステ✨

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