後藤てるみ

作家としての芸術考察。 現代美術家|またはkotte運営者 https://www.terumigoto.com/

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最近の記事

絵画は死ぬとか死なないとかではない

いつの間にか21世紀は絵画をやることをまるで悪いことをしているかのようになってしまった。もともと絵画をやっていた多くのアーティストは絵画を捨て、新しいメディアで活動している。 わたしも絵画をしばらくやめてみたのに、あるときこっそり始めてしまった。周囲から後押しをしてもらいながら、なんとなく、なんとなく、ずるずると再開してしまったら、絵を描く生活に慣れ、気が付くと絵について考える生活に移り変わった。定期的に訪れる、自責の念に駆られながら。絵画をやることに理由をつけながら。非絵

    • これはただの日記ですいつまでも雑でありながら場面で そういえばnoteのことわすれてた

      ここでは誰もわたしのことなんか見てないから好きにいろんなこと書けると思ってはじめたノートだったわすれてた、 わたしはアーティストですしかししがないアーティストなのでみんなよりスタートは遅く大事なキャリア形成期につまずいて逃げてキラキラの世界からいったんしりぞいてパンつくったりしてたらあらやだもうこんな歳、 久しぶりに会ったみんなは順調にキャリアを重ねドイツに行ったりアメリカに行ったり大学院や下手すれば博士号なんぞ取ったりしてるからわたしにはチンプンカンプン、 あれ、アートって

      • アートの乖離症状

        死への不安、それは確かにあると思う。健康な状態ならまったく感じないけれど、体に不具合が生じたとき、女性なら乳がんや婦人系の病気を。 なんとなく体の奥底が痛い。放って置いているから半年は経つだろうか。決まって胸の下あたり、肋骨の内部が痛い。しかし気のせいで済むレベルだから、日常生活に支障はない。病院に行くにもどこを受診したらいいかわからない。看護師の母親にはもう頼りたくない。 さて、何年も作家としての解離症状に悩まされていて、もう辟易どころかうまく付き合っていかなくてはなら

        • アーティストにとっての岡本太郎

          太郎先生とは岡本太郎先生のことである。わたしは会ったことも話したこともない。心のなかのわたしの太郎先生。 太郎先生の作品もよく知らないし、絵が好きでもない。太郎先生はいつだって、わたしのすぐ後ろにいる。 アートをやりはじめて19年になる。高校3年生のときに急いで大学受験のことを考えはじめて入った予備校。初夏。 ひとり遅れて受験勉強。2浪した。 武蔵野美大に入ってから、たくさんの仲間に囲まれて毎日幸せだった。 作品は相も変わらず目覚める前だった。 わたしはよく教授から叱られ

          橋の上の花 生きるとはなにか

          藤沢駅へ向かう途中、線路沿いの引地川に架かった橋の上に、お花がある。ビニールに包まれた、置かれてから何日も経った花がある。今日は三つあった。もともとドライフラワーなのか、しおれていい感じにドライになったのか、故人がそういうのを好きだったのか、わからない。まあ、故人が好きだったとは考えにくいので、何日か経ったのだろう。なんとなく、ドライフラワーからイメージして、亡くなったのは若い人だったのだろうかと考えた。そういうことじゃないけど、ちょっと派生しながら考えていると、自転車でそこ

          橋の上の花 生きるとはなにか

          【今日の授業を終えて】#2

          正確には昨日ですが、授業日記です。まず、ペインターのAmi Hirata(画像左の絵)がマレーシアに拠点を移すので、旅立ち前に作家HPなど作成に関しての授業を一通り行い、作品撮影しながらいたって順調に作業を終えました。彼女の絵画構造的にはいろんなタイプの作品があるんですが、かなりフラットに・余白を持つような感覚で、美術やペインティングを捉えているので、アーカイブ自体は非常にシンプルな作り。 シュウサン(画像右の絵)は30年前から作家として活躍されているので、秋の個展に向けて

          【今日の授業を終えて】#2

          【今日の授業を終えて】 # 1

          日常的に授業は行っているわけだから、講師として考えたことを日記にしていこうと思います。 午前中は大学生の授業で、古代美術史(原始美術〜ギリシャ・ローマ美術)を材料にしながら主に講義でした。美術史といってもその時代や時代を少し越えて関連した話を交えながら会話をしました。ギリシャ哲学の話のなかで、感覚的に考えたことや起こした行動原理についてを話し合い、最後はコロナショックでの今後についてとか、いま考えていることだとか、なぜ解決策がなかなか見つからないのだとか、美術史とは関係もな

          【今日の授業を終えて】 # 1

          立ち返る 美術の整理

          まあコロナ禍というのもあってか?ペインターの福島淑子とRemix × Relax at Insideという展示でリレー式のペインティング?(特に決めないでやる意向,2007年にRemix × Relax という二人展をやってから、この状況下でなぜかふとしたタイミング?で再実践しようという試み。 )をやることになったからか??はたまた運営している美術学校での美術史のレクチャー(1960年代のアートその1・その2という2枠)を今日行ったからか??? よくわからないが、(あとにな

          立ち返る 美術の整理

          管理を臨む

          このコロナ自粛スタートから、コッテでは、後藤てるみでは何を考えていたかと言うと、システムをどうしようか、ということです。 数年前からオンライン授業へのスタートを考えていたので良い機会といえば良い機会。ただ大枠でも既に始めていたらもっと楽だったのにな、と少し後悔。(後悔もします) キャッシュレス化は既に始めていたし定着もしていたので一安心。持続可能な仕事をしていく上で、やりやすそうなことを見つければ、即実践。しかしなかなか「やりやすそうなこと」っていうのが見つからない。(慎重

          管理を臨む

          コロナと子どもと私の芸術

          コロナ騒動で小学校が休校になり、数日が過ぎたところで、再度学校から「緊急受け入れ」の知らせが。ああ、これでようやく仕事が通常通りできる。と安堵しながら、「さて、明日はランドセルで行けば良いのか?リュックで行けば良いのか?」そんなことを考えながら、こんなことを思った。 30代のファイン系のアーティストで、他に小学生の子どもが居るのは誰だろう? 廻りではほとんど聞かず、子どもが居ても就学前児童だ。 小学生居て、アーティストで、っていう立場からSNSなどでこの特定の立場からの

          コロナと子どもと私の芸術

          表層的なアート

          今更ではあるが、表層的なアートについてこのタイミングで再考したい。(ここでのアートは現代美術を指す) わたしは予備校時代の、不毛な現役・1浪時代を過ごした2年間、講師陣から口酸っぱく言われ続けたことがある。 「後藤の作品は“表面的”なんだよ。メッセージ性がない。」 半ばピンと来ず、手紙じゃあるまいし、映画なら分かるけど美術でメッセージって..。 しかし2浪目で現代美術に出会ったので晴れてメッセージ性とは何かを知るようになったのだが、この話.......。 何かに似て

          表層的なアート

          元少年A「絶歌」と現代美術

          「読んでおいて本当に良かった」 “セーフ”といった安堵感といったところか。 実際にセーフかどうか分からないが、ひとまず滑り込みセーフの感覚だ。 事件は非常にデリケートな問題を孕んでいるので前置きすると、今回は全くの「私見」であり、誰かに読んで欲しいと促すようなものでもない。ショッキングすぎる事件故、読んで、と言われて開ける本ではないことも私は知っている。 まず、この本は2ヶ月ほど前に芸術のため、必要に迫られて買ったものだった。しかし美しくパッケージに包まれたままamazo

          元少年A「絶歌」と現代美術

          二分化した芸術 【終結】

          芸術は往々にしてアッチとコッチの二つに分かれていることを「二分化した芸術」と謳った。あれが去年の暮れだった。以降いろいろあって、もう一度このテーマを再考、アップデートしようかと思っている。前回の納得度は40%くらいだったが、今回はそれ以上になりそうだ。 つまり「狂気」に気付いたからだ。 狂気は芸術と非常に近しい距離を保っている。狂気無くしては芸術と呼べず、アッチのアートになってしまう。 あれ? アッチのアートのことを私、芸術と呼んでいない。 いや、そんなこともないは

          二分化した芸術 【終結】

          実体のないもの

          ひとは実体のあるものが好きらしい ひどく 好きらしい かわいいもの かっこいいもの ときめくもの ときめいている アート いかん またアートだ 一旦 アート は 置いておこう そう 実体のあるものは、 実際に そこ にあり、 それが 好きか嫌いか 好みか どうか 好みであれば  胸はときめき. もっと、 もっと、  もっと 欲しくなってしまう 欲しくて 欲しくて たまらない たまらない たまらない ! ! ! 際限が な

          実体のないもの

          #111アート 花房太一/有賀慎吾/武内竜一【第2章】発端・登壇者の「父母のやりとり連載」・登壇現地入り

          【第2章】では、時系列的に沿って#111アート を解説していきます。(時系列というものはつまらないですね.時系列って嘘なんじゃないですか??) 【#111アート 発端】 花房太一と武内竜一との出会いです。有賀慎吾とは武蔵野美術大学油絵学科'09卒同期、永畑智大は同大学'10年彫刻学科卒となりますのでこの二人とは同じアートトモダチです。酔っ払ったトモちゃんにチョコレートを塗る遊びが一番のお気に入りかな。 [公の時代祭]とは、あいちトリエンナーレ一連の[「表現の不自由」展問

          #111アート 花房太一/有賀慎吾/武内竜一【第2章】発端・登壇者の「父母のやりとり連載」・登壇現地入り

          #111アート を終えて。【第1章】孤独な10年間について

          ーkotte及び私の孤独な10年間についてー 昨日はkotteの授業にヒロセが来た。ヒロセは最近kotteへ入った某大学文学部の学生である。「西洋美術史・後期 Ⅰ章①,②」の受講をAM,PMと1日通しで受講する目的だった。 しかし、目的は①までしか果たせなかった。あれよあれよと、20世紀初頭の美術シーンの展開から、ヒロセの周囲(大学や友だち)の話へと変移した。要は話が外れたのである。だがそれを話が外れたと言葉にしてしまうのは失礼である。印象主義から後期印象主義、表現主義の

          #111アート を終えて。【第1章】孤独な10年間について