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管理を臨む

このコロナ自粛スタートから、コッテでは、後藤てるみでは何を考えていたかと言うと、システムをどうしようか、ということです。

数年前からオンライン授業へのスタートを考えていたので良い機会といえば良い機会。ただ大枠でも既に始めていたらもっと楽だったのにな、と少し後悔。(後悔もします) キャッシュレス化は既に始めていたし定着もしていたので一安心。持続可能な仕事をしていく上で、やりやすそうなことを見つければ、即実践。しかしなかなか「やりやすそうなこと」っていうのが見つからない。(慎重です)

教室運営というのは選択肢として大正解。日々教えていく中で自分もブラッシュアップできるので一生続けていかれる仕事になりました。(もうすぐ8年。) 教室ではなく当初パン屋経営をしようとしていたのでその進路ではなくて良かったと安堵。(わたしには向いていません) 生き物(食べ物)を扱うことは日々劣化していくスピードに私自身追いついていかれません。イーゼルは腐らないし、キャンバスも、なんなら絵具も(実は)腐りません。15年前の油絵具だって使える。(20本中11本くらい,自分が使う分には) 

あと大事なことは、子どもを持っていてよかった、ということ。毎日一緒に寝られるからホカホカして気持ちいい。(それだけ)

ああ、あと、もうひとつ大事なこと。それは自宅兼オフィスということ。まあ自宅兼スタジオ でもある。これは非常に自覚的で(こだわりでもあり、)家賃払えないっつーの。てことです。何かあったとき、最低限住まいへの家賃は払える(払えるように努力をした場合)可能性は高いが、+オフィス(やスタジオ)への家賃となると首を絞めやすい。もちろん仕事に活気が出てくれば収支上可能であるが、それでもわたしは辻堂駅前(FAS:藤沢市アートスペースのもろ近所,ゼッタイ引っ越ししないでね!唯一の光なんだから)に自宅兼インターナショナルアートスクール(1.ピロティ建築で 2.ガラス張りの渡り廊下で生徒たちがシアターへ課外授業へ行く,で 2.ピロティ下は芝生でテーブルセットがあり,で 3.外壁はホワイトキューブ的ホワイトとガラスのコンビネーションで、4.軽トラ1台、5.黄色いesseが1台、6.2階のシアターは40人収容でポップコーン置き場付き、7.スクール棟へは吹き抜けのアトリエ完備だから大型の彫刻作品も可能で、8.住居棟とスクール棟の二棟式だが生徒は住居等のシアターへ行くし住居等のマンモスオープンキッチンへ行くので常にシームレスな動線で、9.屋上庭園と、10.渡り廊下の両取り合い部にSECOMと、 11.学生棟の入り口ガラスドア式で、 あ、こんなもんか。)を4年位前から設置目標としています。

とにかく、ずっと続けたいの。コッテというアート機関を死ぬまで続けたいの。だから効率の良いシステムを作らなきゃ途中で嫌になっちゃったり、破綻したり、自分に嘘を付きながら運営していくことになる。嘘はきらい。気が乗らないことも抵抗があるし悩ましいことはしないようにしている。身体的な反応に過敏になっていればそれを回避することが出来るネ。

だから持続可能ていうのがすごく大事です。争いごともきらいなので、だったら一人で居るほうが良いし、ましてや自分から誘うことなんて保育園時代ダンゴムシいじってた孤独な人間からすると恐れ多くて出来ない。(告白とか営業できるひとってスゴいね.わたしはみんなのことが大好きだから傷つきやすいの)

そんなわけで全部カタカナでこの時代に対応する生き方として

・サスティナブル ・キャッシュレス ・ホームオフィス ・シームレス ・ノマド(カタカナ?) ・クラウド

現時点でこれくらいは完全対応したわけだけど(システムほか考え方も)、この先の完全な導入見込みとしては、

・オンライン ・セルフ ・コミュニティ ・パートナーシップ 

てとこです。で、例えばコミュニティに関してがコロナ禍とか関係なくキーなわけです。先日(コロナ前)地域のある集まりで、いかにその地域を中心として幅広い年代でコミュニティの形成が可能か、ということを中心に話していったのですが、(そこに芸術を配置するとどうなのか、など)単純にスペースとして(ここでは実空間)成立させたいからそれにはどんな仕掛けが必要か、っていう。

わたしはボイスが作ったような事務所のような公益スペースを臨んでいるんですが、仮にコミュニティ「スペース」を作ったとて、そこへ行くひとと行かない人に格差が生じてしまうのから、内容やシステムを賢く構築していこう、とか乱立したコミュニティすらひとつのテーブルで話し合おう、というものでした。

しかし実空間だけではやはり物足りないのです。例えばアプリの開発などで互いに何かしらの「口実」で(例えばよくある清掃活動など)必ず会わなくてはならないようなキッカケを作ってあげる、とか。小さな集落であれば、互いに自給自足で担当する野菜なんかをシェアすることが出来るけど、そんなような「必須な」キッカケをオンライン上で(コロナ後も)出来ないかなあ、と考えています。アートだと、仕事においてだと何でしょう。

それで、よくオンライン飲み会とか(アートで言えばオンライン制作会とか)が行われているわけですが、そのような行事を2ヶ月、3ヶ月、1年、2年、5年と続けるためには(デバイスなどの仕様が更新されても)、どのようなシステムが必要か、ということを日夜リサーチしたりなんだりで考え中です。長らく続く友達関係と近いのでしょうか。メンバーが変わりながらも継続させることは出来るでしょうが、メンバー入れ替えは互いに精神的苦痛を伴うことが予想されるでしょう。だからもっと、フラットに。なのかも知れません。

しかもこのコミュニティ育成には多くの、多様な業界や地域のひとが集まる、ダイバーシティでの成功を臨みます。それにはやはり地理的解決ができるオンラインが不可欠で、システムの枝葉の部分にアプリがあれば良いと思います。ムラ社会のような形成ではなく、オープンで意欲的な目的をそれぞれが持って、て、やっぱ内容はアートになるのだろうけど。具体的にどんな、どうやって?てとこでは、やっぱりシステムで自動的に管理されたい、てことです。自動化は持続可能性とセットです。

ノートブックに書き書きしていた時代を考えれば、経理も自動化されて非常に楽。あと、他力本願ではなくレジなんかのセルフもすごく良いと思う。ヨーロッパなどもラッピングもロールの包装紙とかあってセルフで当たり前だ。コッテの教室はSka vi fika?(スウェーデン語で,お茶しませんか)とセルフドリンクを掲げて早4年。日本では自ら行動を起こして「ちょっとだけがんばる」てことがヒントになりそうな気がする。それをうまく仕事や生活に組み込み、このコロナ禍も含めて社会的インフラになってしまえば無自覚にコミュニティが形成される。

ちょっとだけがんばる。

でそれがコミュニティにもなる仕組み。

なんだろう。と日夜リサーチ中。こうやって、人は自らあったかい交流のために管理を臨んでいくし、機械は非常に便利なものだと実感中。

(だから制作というアナログだけ残せば機械との対比が望めるのでしょうネ。バランスってだいじ。芸術だいじ!)