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アーティストにとっての岡本太郎

太郎先生とは岡本太郎先生のことである。わたしは会ったことも話したこともない。心のなかのわたしの太郎先生。
太郎先生の作品もよく知らないし、絵が好きでもない。太郎先生はいつだって、わたしのすぐ後ろにいる。

アートをやりはじめて19年になる。高校3年生のときに急いで大学受験のことを考えはじめて入った予備校。初夏。
ひとり遅れて受験勉強。2浪した。

武蔵野美大に入ってから、たくさんの仲間に囲まれて毎日幸せだった。
作品は相も変わらず目覚める前だった。
わたしはよく教授から叱られ、きみのは美術じゃない。作品じゃないと言われた。あまりに恥ずかしかったから、彫刻科のゴミ箱に捨てたり、ゴミ箱に捨てたり、ゴミ捨て場に捨てたりした。

それはやっぱり未熟だと思った。
レイチェル・ホワイトリードからアートに入り、目に見えない空間を可視化することに拘っていた時期や、新たなプラクティスとして『畑』をテーマに絵画、映像、音声、土、ドローイングなどで《収穫展》を開いたインスタレーションもやったが、それはやはり未熟だと思った。

2浪の時から身につけた東京アートシーンウォッチングは、ただのアートかぶれに見えた。
きっと現代美術「的」な手法に身を投じてマウントをとっていただけなんだなあ、と思うと、あのゴミ箱に捨てた《毛穴パックの標本》作品にも教授と同じく呆れてムカムカしてくる。と思えば、やっぱり捨てたの惜しいな、と思ったりする。まあ、どっちでもいいか。

記憶はどんどん薄れてくる。大学3年の春に太郎先生が降臨してから14年になる。それからは、わたしのアート活動のひょんなタイミングで、不定期に太郎先生の声を聴く。
きっと、多くのアーティストがそれは同じで、太郎先生はいろんなアーティストのところに出没する。
死者の声というのは、ふいに私たちのことを説得力を持って呼び掛ける。
いつだってそうだ。亡くなった先輩や友達が、“てるちゃん、大丈夫。てるちゃんならやれるよ” と勇気付けてくれる。それは思い込みや妄想であったり、死者を自分の都合の良いように解釈している姿だ。
私たちは昔から死者や先祖などの代替である神を、宗教的に、神秘的に利用してきた。
私たちはいつだって「見えない力」を信じている。
現実での多様な困難は、現実世界での人からの「背中押し」だけじゃハックできなくて、目に見えないものに縋る。

太郎先生、わたしは太郎先生の名前だけしか知らなかった時期に、どうしてわたしの元へ降りてきてくれたんですか?

これまで何度も太郎記録しているなかで、“5円チョコのおみくじに『ゲイジュツはバクハツだ!』と書かれていた”とありますが、あの印字されたうす茶色の文字は、いまでも鮮明に覚えているし、わたしが太郎後に5円チョコを買ったのか、5円チョコを買ったから太郎を意識するようになって、太郎の肉声が聞こえたのか、14年も経って時系列がめちゃくちゃになっている。
ただ、一切の太郎以前の作風へ戻ることはなく、太郎以降は自動記述と図像のスピード定着の方法で太郎先生から応援してもらったのは確かだった。

今朝ふと、太郎先生を思い出した。
手近な紙に、『太郎先生との出会い.』と書いておいた。思い出すタイミングで、心機一転の気持ちや状況は様々だ。太郎はいつだってわたしに『アートは大事だ』と教えてくれる。まるで確かめるように、都度都度再確認しながら𠮟咤し、拠り所にさせてくれる。
赤瀬川原平の、『今日の芸術』のまえがきと同じように、太郎先生の声は私の身体の真後ろから聞こえ、また日々やり直している。

太郎先生は、
“いけ!”としか言わない。

(アーティゾン美術館《STEPS AHEAD》展鑑賞前の今日のわたしの太郎先生についての気持ち,2021.3.5)