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テニス上達メモ035.テニスの不調、そして物価高、不況、パンデミック……こんな時代だから役立てたい「五感集中」!


▶機械は精神的に落ち込まない


人間ですから、調子が悪いときがあるのは仕方がありません。

いえ人間に限らず機械だって、調子が悪いときもあるのですから、生身の人間であればなおさら仕方がありません。

いえ機械であれば、調子が悪くたって精神的に落ち込んだりはしない。

なのに、人間だからこそ、調子が悪いときというのはどうしてもそれについて考え、精神的に落ち込んでしまいがちです。

そういう点では、機械のほうが、機械を作った人間よりも、よっぽど合理的とさえ思えてしまいます。
 
精神的に落ち込んでパフォーマンスを下げる、などという不具合は、機械にはないですからね。

落ち込むのが悪いわけではありません。

ただそうはいってもテニスは試合中など、落ち込んでいられないときもあるから困ります。

▶嫌なこと「なのに」or嫌なこと「だから」?


一方私たち人間がテニスをしていると、次のように思った経験は枚挙に暇がないはずです。

「どうして、今日は上手く打てないんだろう?」
「なぜ、普段どおりのプレーができないんだろう?」
「どうせまた、ミスするに違いない……」
 
こういう思い、あるのではないでしょうか?
 
すごくよく分かります。

「またミスした!」
「またミスするんじゃないかな?」
「またやっぱりミスした……」(以下同文)。

嫌なことなのに、忘れたいことなのに、考えたくもないことなのに、一方では、猛烈に考えてしまう。

いえ、嫌なこと「なのに」ではありません。

嫌なこと「だから」、忘れたいこと「だから」、考えたくもないこと「だから」、猛烈に考えてしまう
 
それがジレンマなのです。

機械とは違う、人間の性(さが)です。
  

▶考えているとおりに生きている


そして「どうして?」「なぜ?」「どうせ……」などとダメなことばかりを考えていると、どうなるでしょうか?

当然、私たちのプレーそのものが、ダメになります。

ダメなことしか考えていないのだから、ダメになるのは必然です。
 
思考は現実化する

不幸なのは、不幸だと考えるからであり、つまりは「考えるとおりに生きている」のです。

会社に行きたくないのは、会社に行きたくないと考えるからであり、「考えるとおりに生きている」のです。

「考えるとおりに生きている」といえば、聞こえはよさそうだけれど、「考えたくもないことも考えてしまう」から、生きづらくもなる(※注1ではどうして、考えてしまうのか?)。

眠れない夜に、「眠れないのはなぜだろう?」などと考えると、かえってますます眠れないのではないでしょうか?

「考えるとおり」に生きているのです。

そうしてミスについて(考えたくないのに)考えてしまう。

上手く対処するには、一体どうすればいいでしょうか?

調子が悪いとき。

精神的に落ち込んだとき。
 
生きる希望が見い出せないとき。

考えたくないのに考えてしまうとき

これだけ、覚えておいてください。

▶普通の見方をしない

 
「五感集中」。

テニスでいえば、こうなります。

「ボールに視覚的集中」。

「ボールに視覚的集中」とは、ただ普通にボールを見るだけではありません。

「特別な見方」をします

ボールの回転やフェルトの毛羽、縫い目(実際には合わせ目)、印字など、できるだけ細かな対象に目のピントを合わせる作業です。

そうすれば、頭の中に渦巻く「なぜ?」「どうして?」「どうせ……」の思考を追い払える。

なぜか?

原理原則として、人間は「一時にひとつ」の対象にしか、注意を向けられないからです。

ボールへ視し覚的に注意を向けているとき、同時には、思考に意識的に注意を向けられないように、できているのです。

現代社会ではマルチタスクがもてはやされる風潮かもしれないけれど、それは科学的に無理筋(※注2マルチタスクが無理筋な例)。

ですからこの、シングルタスクに特化した性質を、上手く逆利用するのです。

できるだけ細かな対象に目のピントを鮮明に合わせれば合わせるほど、頭の中で思考ができなくなる相関。

考えなければ、精神的に落ち込んで引きずる無駄がありません。

だから思考しないための「五感集中」なのです(※注3「人間は考える葦」だからこそ、悩みが尽きない)。

▶やっぱり「考えるとおりに生きている」


もちろんそれだけですぐに、調子よくボールを打てるまでに回復できるというわけではありません。

けれどそれ以上は精神的に引きずらないから、調子を取り戻すきっかけにはなるのです。
 
落ち込みから回復するきっかけにはなるのです。
 
希望を見出すきっかけにはなるのです。
 
不調の状態から一足飛びに、調子よくボールが打てるようになる好調を目指すのは、飛躍しすぎ。

急がば回れで、まずは不調を断ち切るところから出直すのが、早道です。

ボールに視覚的な注意を向けているとき、思考に意識的な注意は向けられません。

マルチタスクはできないのだから、ボールの回転やフェルトの毛羽、縫い目、印字に目のピントを合わせれば、不調について考えられなくなります。

不調を引きずってしまうのは、不調について考えるからであり、「考えるとおりに生きている」のでしたね。
 

▶「リア充」とは五感集中である

 
物価高、不況、パンデミック……。

こんな時代だからこそ、将来の不安もあります。

いろいろ考えるとつらくなりますが、考えるとおりに生きています。

不安についてばかり考えていると、ストレスが溜まって心身の自然治癒力も落ち、心身に悪影響も及びかねません

そこで「五感集中」(※注4味覚への集中で、生きている充実感すらみなぎる「リア充」)

いかんなく発揮されれば発揮されるほど、悩み事について、もはや考えられなくなる。

そうして頭の中を「空っぽ(空=くう)」にしてやれば、言い換えれば五感を通じた身体感覚のほうにタスクを預けてやれば、考えたくないのに考えてしまう人間の性が弱体化し、調子は速やかに、戻ってきやすくなるしだいです(※注5そして「無の世界」へ)。

▶注釈まとめ・そして「無の世界」へ
 
※注1
ではどうして考えてしまうのか?
 
「どうして?」「なぜ?」「どうせ……」などと、考えたくもないのに考えてしまうそのわけは?

それは、完璧であろうとするからです。

完璧主義ほど、完璧ではなくなったときに、完璧にしたいと考えて、かえって完璧から遠ざかります。

調子の悪さにこだわって、ミスについて(考えたくないのに)考えてしまいたくなるのです。

ですから完璧主義ほど、その内実はかえって「完璧ではない」という皮肉。

とはいえ完璧主義というのは、あらゆる思考、感情、行動のベースとなる「自己肯定感」が関わるため、すぐに捨て去れるわけではありません
 
そこで今回の話「五感集中」が役立ちます。

※注2
マルチタスクが無理筋な例
 
たとえば数をかぞえているときに、「今朝は何を食べた?」とワキから尋ねられただけで、応えようとすると、数すら数えられなくなる。

それほど、私たちはマルチタスクがとても苦手です。

※注3
「人間は考える葦」だから悩みが尽きない
 
思考について哲学では、「人間は考える葦」などといって、もてはやしもするかもしれないけれど、この「思考」こそ、人の悩みの根源。

考えたところでどうにかなるわけでもない場合には、「下手な考え休むに似たり」です。

「いくら時間をかけて考えても無駄で、時間の浪費である」という古(いにしえ)より伝わる教え。

考えるよりも身体(五感)を使い、 作業に集中せよと、先人たちは説いたのでした。

※注4
味覚への集中で、生きている充実感すらみなぎる
 
いつも、何かを見たり聞いたりしています。

その見たり聞いたりしている対象をできるだけ細かく絞り込み、それに向けてフォーカス。
 
テニスでボールを「普通に見ない」のと同じです。
 
悩み事があって食事の味すら分からないというならば、強引にでも味覚に、グググググググーッと集中。

頭の中から悩み事が、なくなるだけではありません。

そうして五感への集中を通じて、生きている充実感すら、みなぎる。
 
これが本当の「リア充」です。

また「五感集中」を日常生活に取り入れる頻度を高める=集中力のトレーニングにもなっています。
 
※注5
そして「無の世界」へ
 
「無(ゼロ)」の世界へ入るには、まず「1(イチ)」まで、注意を絞り込む必要があります。

その絞り込むべき「1(イチ)」 というのが、ここで述べている「五感集中」にほかなりません。
 
テニスではボールへの視覚的集中。

いきなり究極の集中状態である「ゾーン」や「フロー」と呼ばれる「無の世界」へ入ろうとして、入れるわけでありません。

手続きとして、「1(イチ)」を通過して「無(ゼロ)」へ入るようにするのです。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero