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映画「ルックバック」6,349字渾身実況レビュー。全ての表現者へのあまりに尊く切実なラブレターに涙が止まらない。

なぜかわからない。見始めて数秒で泣きたくなった。
そして、ラスト20分は涙が決壊して、止まらなかった。
でも、心に残るのは温もりのある愛だった。

Voicyでも話しています。


【映画概要】

「チェンソーマン」で知られる人気漫画家・藤本タツキが、2021年に「ジャンプ+」で発表した読み切り漫画「ルックバック」を劇場アニメ化。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」や「君たちはどう生きるか」などさまざまな話題のアニメに携わってきた、アニメーション監督でアニメーターの押山清高が、監督・脚本・キャラクターデザインを手がけ、ひたむきに漫画づくりを続ける2人の少女の姿を描く青春ストーリー。

学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメイトからも称賛されている小学4年生の藤野。そんなある日、先生から、同学年の不登校の生徒・京本の描いた4コマ漫画を新聞に載せたいと告げられる。自分の才能に自信を抱く藤野と、引きこもりで学校にも来られない京本。正反対な2人の少女は、漫画へのひたむきな思いでつながっていく。

しかし、ある時、すべてを打ち砕く出来事が起こる。

ドラマ「不適切にもほどがある!」などで活躍する河合優実が藤野役、映画「あつい胸さわぎ」などで主演を務めた吉田美月喜が京本役を担当し、それぞれ声優に初挑戦した。

【映画レビュー】

なぜかわからない。見始めて数秒で泣きたくなった。

このレビューは、映画を観ながら同時に書いている。

この映画を見て感じた感情をその場で掴みたかった。

たった数分でも記憶を劣化させたくはなかった。

だから映画実況レビューとも言えると思う。

夜空が回転してゆく。

心の琴線に触れる旋律が流れる。

書きながら頭を抱える少女の後ろ姿。

白文字のタイトルが出た時にはすでに

まだ知らない彼女に共感していた。

彼女の名前は藤野。

4コマ漫画が浮き出しアニメーションになる斬新さ。

学年新聞に藤野の4コマ漫画が掲載されて
同級生は大爆笑。本人は鼻高々。

すると先生に呼ばれて、4コマの1枠を
不登校の京本に書かせたいと言われる。

その京本の漫画は、藤野とは全く違う
水彩画のような美しい絵だった。

今まで藤野の絵を絶賛していた男子がぽつり。

京本の絵と並ぶと藤野の絵って普通だな

藤野は悔しくて悔しくて汗と涙にまみれ田んぼの道を走り、
「京本のヤツ、私が学校言ってる間、絵の練習してんだ」
「4年生で私より絵うまい奴がいるなんて絶対に許せない!」

画用紙を書き、「よしっ!」と呟き、
殴り書くように絵を書き始め、苦悩し、
机で突っ伏して眠り、夜も書き、苦悩し、
教室では眠り、家族のいるリビングでも書き、
公園でも書き、デッサンの教本も揃え、書いて、
眼はうつろになり、教本を読み漁り、
「とにかく描け!バカっ」と殴り書きし、
書いて、書いて、書きまくる、昼も夜も。
季節は流れ、四季は移り変わり、画用紙は積み重なり
書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて……

もうこの時点で私の心は鷲掴みにされていた。

「藤野ちゃん、何書いてんの?」
「人の骨格」
「ねえ、私たち6年生だよ」

そして6年生で配られた学年新聞を見て
並んだ自分と京本の絵のあまりの違いを
じっと見つめて、「や-めた」と呟く。

そして、卒業式。

卒業証書を藤野は京本の家に届けに行く。

「留守? 開いてる。いんじゃん」

うず高く画用紙が廊下を埋め尽くしている。

茫然とする藤野は画用紙の上に四コマ漫画用の切れ端があり、
そこに「出てくるな!」「出てこい!」と書き連ね、
「京本引きこもり大会優勝」のギャグ漫画を思わず書くと、
その4コマ漫画がスルりと京本の扉の下から部屋に入ってしまう。

アッと思い「卒業証書置いておきます!」と家を飛び出す藤野。

そこに突然「藤野せんせーい!!!」と大声が聞こえて

赤いはんてんを着た京本が駆けだして外に出てきた。

「私、藤野先生のファンです。サインください!」
「藤野先生は漫画の天才です!どうして6年生の途中で
4コマ漫画やめちゃったんですか?」とたたみかける京本。

「漫画の賞をに出す話考えてて、ステップアップするためにやめたって感じだけど」ってかっこつける藤野。

「見たい!見たい!」と興奮する京本。

藤野は別れ際に京本の赤いはんてんの背中に自分の名前を書いた。

全く違う二人の出逢いは偶然で、必然だったのかもしれない。

雨の中、何とも言えない感情に揺り動かされて、スキップする藤野。

そして、泣きながら真っ直ぐな田んぼ道を走り出す。

そして、描く、描く、描く、描く、描く、描く、描く、描く。

中学生になり、藤野と京本は一緒に創作していた。
藤野の家に引きこもるようになった京本。
ずーーっと描く日々は変わらない。

でも今度は2人で。季節は廻り、
新人漫画賞に2人で1年かけて出す、
「メタルパレード」藤野キョウ
背景を京本、構成や人物を藤野が進めた。

そして、編集者に会って「最低でも佳作はいくと思うよ」
の言葉をもらってしばらく後に……

少年ジャンプに準入選で掲載!

外は吹雪く中、コンビニで2人は感動を分かち合う。

2人は唯一無二の親友になり、手を繋いで街を駆けてゆく。

「藤野ちゃん、部屋から出してくれてありがとう」と
電車でぽつりという京本。「10万でいいよ」「え?」
「嘘」と笑い合う2人。幸せな日々。

それから何度か読み切りが掲載されて……

春も夏も秋も冬も2人で描いて描いて描いて
田舎道を手を繋いで共に走り、本屋に一緒に行き、
そして高校も卒業が近づいた。

編集者に「17歳で読み切り7本になって、卒業後に
連載を任せてみようかと思っている」言葉をもらう。

その帰りの田んぼ道。

ここが2人の人生のターニングポイントになった。

ごめん、私、美術の大学に行きたいから、だから、連載手伝えない」と京本は切り出す。

「何それ急に、まあ、いいんじゃない。京本書いてるの背景だけだし……でもさ、美大なんて言っても意味ないよ、美術系の就職先全然ないらしいし、知らない人といっぱい話すことになるんだよ」「それは頑張るよ……」

「私についてくればさ、全部うまくいくんだよ」
「わたし、藤野ちゃんに頼らないで一人の力で生きてみたいの」
「そんなのつまんないよ絶対」「つまんなくないよ」
「てゆうか、あんたが一人で大学生活できるはずないじゃん」「できるよ、できるようにする」「無理だよ、だってコンビニのレジの人とも恥ずかしくて話せないじゃん」「これから練習するもん」「絶対、絶対無理!!」「でも……」「何!!?」「でも……もっと絵……うまくなりたいもん」

2人は、別れた。

夕焼けに鳥が群れをなして飛ぶ。美しい……

そして一人でアシスタントを抱えながら連載を開始する藤野。
時に泣きながら、時に般若のような表情で、絶望の日々も送りながら、描いて、描いて、描いて、掲載順位が上がっていき、、

そして辿り着いた11巻連載、、、930万部の偉業。

そして真夜中……あることが起こる。


ここからはそのまま書き続けることはできない。

作品の核心に触れる前にアニメーションの魅力について書こう。

58分間にまとめられた映画『ルックバック』にはアニメーションならではの表現の魅力が隅々まで行き渡っていた。

藤野が学級新聞に描く4コマ漫画をアニメ化して見せているのだがその「小学生にしては上手いのだけど幼稚な絵」として動かされているのも見事。

その後、藤野と京本の四コマ漫画が並んで対比されて、自惚れていた藤野が不登校の京本の絵に打ちのめされ、必死で練習して上達する成長プロセスそのものを。藤野の絵の実際上手くなっていく変化で魅せていくのが本当にうまい。

この作品は表現者への、特に絵を描いている人へのエールになっていると思う。

絵描きのエモーションをダイレクトに出すために原画をそのまま画面に映して人間が描く絵の生々しさが心を奪う。それで本当に目が離せなかった。


ここからはまだ未見の方で、これから映画を見る方は、
読まないことをお薦めします。
作品の結末と核心に触れます。
私は泣きながら最後まで見ました。
映画のレビューもがっつり最後に書いて、6000字を超えました。

映画の核心と背景についても詳細を語っていますので、
それでも読んでもいいという方は最後までお読みください。




でも、アシスタントが根付かない悩みを編集者に相談し終えた後、

脇にあったテレビでニュースに耳が止まる。

「山形の美術大学で男が無差別襲撃した」
ハッとする藤野。京本に電話するが繋がらない。
その時、母から電話が鳴った。

京本が亡くなった。

藤野の連載は途絶える。


通夜の夜、誰もいない京本の部屋の前の
ジャンプに目が留まる。ジャンプを開くと
4コマ漫画がパラりと落ちる。

それは、藤野が初めて京本の家に行った時に
「京本出てこい!」と書いた4コマ漫画だった。

「あれ? 京本死んだの、私のせいじゃん」
「京本、部屋から出さなきゃ、死ぬことなかったのに」
絶望に崩れ落ちる藤野。

2人の手を繋いで思い出の場面が連なり、切ない。

なんで? なんで描いたんだろ……描いても、何も役に立たないのに

涙、決壊しました。もう私も同時には書けません。でも書きます。

藤野は泣きながら四コマ漫画を破り捨てる。

そこから眺める藤野の頭の中の世界。

破り捨てた最初の1コマ目の「出てこないで!」の部分だけが
スルりと京本の部屋に入ったもう一つの世界。

その世界では藤野と京本はあの日会わなかった。

京本が一人で美術大学に入り、その世界でも犯人が襲うが、
そこに藤野が登場し、空手キックで犯人を蹴飛ばし、京本を救う。

2人のもう一つの世界の出会い。

京本は藤野のファンだったということを伝え、藤野はいつか連載したらアシスタントしてねと伝える。それをきっかけに京本は藤野が自分を救ってくれた話を四コマ漫画に描く。

その京本の部屋に風が吹き、ドアの下をスルりと四コマ漫画が廊下へ。

そんなもう一つの世界からの四コマ漫画が、現実の絶望の藤野の元に舞い降りる。

真っ暗な廊下でうずくまる藤野が手にとった。

四コマ漫画のタイトルは「背中を見て 京本

そして、藤野は暗闇に包まれた京本の部屋の扉を開けて入る。

この世にもう京本はいない。でもそこには京本のすべてがあった。

部屋には藤野の連載漫画が並び、藤野の4コマ漫画が窓に貼られ、
扉には、藤野が京本に初めて会った日に京本が来てた赤いはんてんの背中に大きく書かれた藤野のサインがかかっていた。

そして2人の絵と向き合ってきた日々が連なっていく。

涙が止まらない……

ピアノの旋律でただただ2人の絵と戯れ、絵と格闘する日々を眺める。

2人で描き続ける日々。ずっと続くと思ってたその日々。

藤野の部屋で過ごして、絵を語り、笑い、泣き、一緒に眠り、
弾ける京本の笑顔が忘れられない。

藤野が薄暗い京本の部屋でひとしきり涙を流して、立ち上がる。

そして部屋を出て、雪道を歩いていく。

そして、東京に戻り、

また書き始める

藤野の後ろ姿がそこにあった。

エンドクレジット。

カテリーナ森の聖歌隊をコーラスにuraraが歌う
主題歌の「Light Song」も素晴らしい。

心の震えと余韻を受け止めてくれるような優しい旋律と歌声だ。

はぁ……凄かった。

凄過ぎた。

手が震える。

涙が止まらない。

何の涙だろうか。

わからない。

切実な想い。

生きるということ。

私はこの映画を何度も見るだろう。

そして見る度に涙を流すだろう。

そしてもう一度立ち上がろうと思うだろう。

この映画はあまりに真正直に描いている。

人間が表現と向き合うということに。

人間が人生と向き合うということに。

人間が人間と向き合うということに。

人間が生と死と向き合うということに。

それでも人生は続いていく。

それでも生きなければならない。

でも

あまりに悲しい。

そして

あまりに心温かい全ての表現者へのラブレターだ。


この映画を語るのに避けては通れないことがある。

「京都アニメーション」のスタジオが放火された事件からもう
5年以上が経った。

映画「ルックバック」はそこにいた人たちに想いを寄せていると思う。

でも、原作者も集英社も『ルックバック』を制作にあたり、十分な配慮を重ねていたと思う。

現実の事件のモチーフはそのまま使わず、原作者藤本タツキの姓を2つに分けた「藤野と京本」という2人の少女が主人公の原作者の自伝的作品だ。

この事件を知らない人はいないだろうと思うけど、簡単に触れよう。

2019年7月18日、京都市伏見区にあった「京都アニメーション」の第1スタジオが放火され、社員36人が亡くなり、32人が重軽傷を負った。

今年の7月18日に、現場となったスタジオ跡地では、亡くなった社員の遺族や京都アニメーションの八田英明社長ら会社関係者などおよそ140人が出席して追悼式が開かれた。

八田社長が「36人の仲間は当社を代表する、日本を代表するクリエーターでした。今後もみんながのこしてくれた志を胸に、作品を作り続け、そして届けてまいります」と挨拶した。

そして、従業員が「悲しみは変わらず胸のうちにあり、時間によって傷が癒えることがなくとも、作品を作り続けるかぎり、作品に込められたおもいや志もまた、未来へ届き続けるのだと信じています」と弔辞を読み上げた。

作品をつくり続けるかぎり、作品に込められたおもいや志もまた、未来へ届き続けるのだと信じています。

その言葉は、この「ルックバック」のメッセージとも通じると思う。

作品の中で、京本の死が自分のせいだったなのではないかと葛藤する藤野の頭の中で「何にもならないのに、なんで描いたんだろう」「藤野ちゃんはなんで描いてるの」と巡るが、作品の中のこの問いかけはあまりに深い。

きっとあの事件の後、多くのクリエイターがこの問いと向き合わざるを得なかったのだろう。

原作者の藤本タツキは、自分が東北芸術工科大学に入学した年に東日本大震災があり入学が半年延びたこと、絵描きとしての無力感の中でボランティア活動をしたこと、それが『ルックバック』の底にあることを語っている。

なので、この映画は京都アニメーション事件の追悼のためだけにフォーカスして作られたのではなく、もっと普遍的なものとして制作されたのだと思う。

東大日本震災の犠牲者の中にも多くのクリエイターがいただろうし、絵を描き続けられなくなった人もいるだろう。

更に普遍的な意味で、困難な時代の今を生きる私たちが、絵を描くことや表現することの根源的な意味を問い、そしてもう一度立ち上がる想いが込められている。

映画「ルックバック」はその想いを、
無数の表現者たちの魂を受け継いで、
真っ直ぐにピュアに真剣に作られた作品だ。

それで泣かないわけないじゃないか。

原作を読んでいる私の次男にもこの映画を見てほしいと思う。

あまりにこの映画が傑作だと言うことは知っていて、この作品と向き合うタイミングをはかりかねているようだが、是非見てほしい。

彼は中3の1学期で過敏性腸症候群で学校に行けなくなり、自宅学習を続け、受かった高校も1学期で通えなくなり、通信の学校に切り替え、その時期からずっと絵を描いている。

それが心の癒しとなり、高校3年間ほぼ毎日、自宅の部屋で絵を書き続けた。今は大学に入り、プロのイラストレーターを目指している。

そんな私の次男だけでなく、絵を通じて世界と対話し始める若者たちにとって「ルックバック」は過去への追悼であるだけではなく、未来へのエールをこめた作品になっていると思う。

だからきっと観終えた後に、心が包まれるように温かくなったのだ。

この映画は愛の映画だと思う。

絵を描くことへの愛。

絵を描く人への愛。

表現する全ての人への愛。

だから……

全ての表現者へのあまりに尊くて

あまりに切実なラブレターだから

いつまでも涙が止まらないんだ。











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天豆 てんまめ
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