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自分の言葉で理解して、相手の言葉で説明するんだ

こんにちは、はらのです。
いつの間にか2025年も一か月ほど経過しましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
 
私は今年も楽しく植物(3種)のことを考えております~
でも今、3種のうち2種に関する考え事が佳境を迎えていて、少々お疲れ気味。
 
全部一区切りついたら、いや、一区切りなんてつかなくても、二月になったら遊んでやるからな!!!
 
……と書いた2時間後、南部の森へ遊びに行きました。私は今日も元気です(おい)
 

沖縄の森は今年もえろい


というわけで今現在やることいっぱいなので(自業自得)、今回は私の脳内に居座る植物のうち、ゆるゆるっと自己主張してくるヒカンザクラについて、さくさくっとお話して早急に撤退しようと思います!
 
全部しっかり読まなくてもいいので、ひとまず気になったところだけ追いながら、でも最後まで読んでもらえるととても嬉しいですー!
 

私を悩ませる植物の一つ、ガジュマルFicus microcarpa。この写真を撮影した直後、大学の仕掛けたオートロックの罠にはまることを、この時の私は知らない(しかも大晦日)。ロック解除してくれたお兄さんマジでありがとう、、、!

さて、先ほども述べたように、現在の私はガジュマルともう一種の植物に頭を悩ませる日々を送っています。
私の趣味というか、大昔からの癖なんですけど、目の前の作業に飽きてきたり、疲れて思考が停止し始めたりすると、ひとまず外に出て無限に歩く習性があります。
 
歩きながらいったん頭を休めて机に座り直すと、また新たな気持ちで考えられるようになるから、歩くの好きなんですよね~
 
ま、歩いてもリフレッシュできない時もありますが。
そんなときはお酒を飲んで寝ます(腕力)
 
今年の年末年始はいっぱい歩いたなーあ。
そしてお酒もいっぱい飲んだ。
 
そんなこんなで、年末年始の喧騒から少し離れた静かな場所で、散歩しながらいつもののんびりとした日々を過ごしていた私。
そんなお散歩中の私の目に、まるで春を告げるような、色鮮やかな赤色の花が飛びこんできました。

おっ、ヒカンザクラじゃん

こちらはヒカンザクラCerasus campanulataと呼ばれる沖縄の桜。
ヒカンザクラは、本州などで見られる桜のソメイヨシノより赤みが強いのが特徴です。

本州などで見られるソメイヨシノ。私の写真フォルダにはこいつしかいなかった。今年はいっぱい写真撮ろうっと。

こちらのソメイヨシノは、冬の寒さが終わり、気温が上昇し始める3月末から花を咲かせ始めます。
一方のヒカンザクラは、1月末の寒い時期から、本州に先駆けて花を咲かせています。
このように、ヒカンザクラは寒い時期から咲く緋色の桜なので「緋寒桜」と呼ばれ、沖縄で多くの人に愛されています。

寒いのに咲くなんて、酔狂な桜だねー(沖縄の冬はそんな寒くないけど)

さて、ここまでの文章を読むと、まるで私が、
「散歩中に出会った花に興味を惹かれたから、今回はヒカンザクラの話にしよう」
と決めたかのように思えます。
 
しかしながら私、残念ながらそんなにナイーブな性格ではありません。
上手くいかなかったら酒飲んで寝るような奴だぞ?なめんな??
 
もちろん、ここまでの話はすべて事実です。
でも、実は三か月前から、
「新年一発目はヒカンザクラの話をしよう」
と決めていました。
 
ではなぜ、上の話題から話を始めたのか。
どうして今年はヒカンザクラの話から始めようと思ったのか。
 
 
そこには三か月前のヒカンザクラに関する一冊の本との出会いと、ふたつの「小さな後悔」があったからでした。
 


こちらの本は、三か月前の私が「面白そう!」と思って図書館から借りてきた本。
「桜の咲く日はどうやって予測されているのだろう?」という筆者自身の疑問を深く掘り下げ、具体化し、調べて解決するまでの道のりを、筆者の視点でわかりやすく説明した本です。
 
さてさて、今更ですが、私は本が好きです。
小説からマンガ、論文に至るまで、ひとつの物語として成立しているものなら何でも好き。
 
また、本好きに加えて、何かを見て「おもしろ!」と思ったことを人に話して、自分と同じ気持ちになってもらうことも好きです。
逆に、相手の話を聞いて同じ気持ちになることも好き。
よく友だちと一緒に喜んだり笑ったり、友だち以上にキレていたりします。
 
とまあ、このような性格なので、面白い本を読み、その熱が冷めきらないまま友だちや好きな人に遭遇すると、間違いなくその本の話を始めます。

たとえ読みかけでも、
「この本、面白くてむらむらするんだよ……」と話し始めちゃう。
 
そして上の本も、「面白かったんだ……!」と伝えたくなった本の一冊。

しかしこの本、子ども向けに書かれているものの、取り扱われている話の内容が少し複雑で、理解できていない部分があったんですよね。
自分でも理解度が低いことは自覚していました。
 
でも面白かったから、誰かに話を聞いてもらいたい…!!
 
そんな熱だけを持て余した状態で、話を聞いてくれそうな相手に遭遇。
たとえ内容を十分に理解できていない自覚があっても、話を聞いてほしい相手に遭遇してしまったら、見切り発車でも話し始めてしまうのが私。
もちろん話し始めましたとも。
 
しかしさすがは見切り発車。
案の定、自分の熱を伝えることに失敗しました。
 
まーあ、びっくりするくらい伝わりませんでしたねーーー!
 
あ、自分が伝えたかったことなんも伝わってなーい!ってなりました。
しかしお相手のお方はとてもお優しい方だったので、私が傷つかない言葉を選びながら、優しく会話全体を包み込んで話を終わらせてくれました。泣いた。
 
これがひとつめの後悔です。
 

後悔は2つ

 
ふたつめの後悔は、とてもシンプル。
 
それは、上の出来事があった翌日のこと。
上のような失敗があったため、私は自分で説明することを諦め、後輩に要点がまとめられた部分をそのまま見せてしまったこと。
当時の私は、自分で説明するより、元の資料を見せる方がわかりやすいだろと考え、思考を放棄したわけです。
 
これはまじでよくなかった。まじで後輩に甘えすぎたなと後で反省しました。
甘やかしてくれる人がいるとすぐに楽な方に流れて行こうとするのが、本当に自分の良くないところ。
 
そしてそんな優しい後輩が、私のような悪い輩に捕まっていないか心配になります。
後輩よ、ダメな時はちゃんと逃げるんだよ……!
 
まあ私は…この後輩が逃げたら追いかけるけど……(逃げろ)
 
とまあ、このように、自分の中で説明から逃げたことに対する後悔があったので、
「いつかどこかのタイミングでヒカンザクラと向き合い直そう」
と、心に決めていたわけです。
 

後悔や失敗は、きちんと向き合えば反省になって、次に進むための力になる(と思う)

 ヒカンザクラと向き合い直さなければ。
そうは思いながらも、なかなか重たい腰が上がらない私。
 
どうしてそんなに「説明」から逃げようとするのか。
そこには、自分の中に「物事を理解して説明する」ことに対する苦手意識があるからです。
 
先ほども述べたように、私は自分の感じたことを誰かと共感するのが好きなので、好きな人にはいろいろなことを話します。
しかし、自分の中で上手く説明できる時とできない時があって、その違いが自分でもよくわからないまま放置されているため、苦手意識が拭い去れないままいるわけです。
 
「物事の説明が下手」という意識はけっこう昔から根深くあって、説明が上手い人に「どうやったら説明が上手くなるんだ?」と聞いては、「うーーーん」と唸り、自分なりの答えがだせないままでいました。
 
色んな人から話を聞いているうちにわかってきたのは、どうやら自分は、
「客観的な言葉で説明することがどうにも苦手」
ということ。
 
その結果として、なにかを説明する際にやたらと擬音が多かったり、ぼんやりとした言葉で片づけていたりすることが多いみたい。
 
例えば今回の記事の冒頭でも、
「ゆるゆるっと自己主張してくるヒカンザクラについて、さくさくっとお話して」
と書かれ、擬音を用いて適当に片づけられています。
ちなみに上の擬音語には、

ゆるゆる=三か月前から継続的に
さくさく=できるだけ手短に(調べもの少なめで)

という意味が含まれています。
まあ、上の文章を書いた時の自分はそんなこと全く意識していないんですけど。
上の例は、私が言葉をかなり雑に、自分の感覚で使っているという最たる例だと思います。
 
どうやら自分は感覚で言葉を使い、自分の言葉と客観的な言葉の間には、大きなズレがあるらしい。

自分と自分以外の人との言葉の感覚にズレがあることは、ずいぶんと前から自覚があります。
 
例えば誰かに、
「Aちゃんがどこにいるか知らない?」と聞かれたら、
「Aちゃんならさっき427に転がってたよ~」と私は答えます。
そして相手からは、「え?」という表情をされる。
そして私も、「え??」という気持ちになる。
 
「人が転がっている」という表現は、自分にとっては全く違和感がないのですが、どうやら相手には違和感があるらしい。
 
客観的な言葉を使えば、間違いなく、
「Aちゃんは427教室にいたよ」という表現が正しいです。
 
しかし自分にとって誰かがそこに「いる」という言葉は、その対象が微動だにしないイメージです。
でも実際には、Aちゃんが教室内で動いていることを私は知っています。
私の中でのAちゃんは、地図上のGPSの点がブレて動いているようなイメージなわけです。
なので、私の中ではAちゃんは427に「いる」のではなく、「転がっている」なんですよね。
 
この「転がっている」という自分の中での感覚は、どうあがいても「いる」という言葉で置き換えて理解することができません。

私の中では、どう頑張っても、「Aちゃんが427にいる」という現象は、「Aちゃんが427に転がっている」という言葉でしか理解できないわけです。
 
そこの部分が変えられないなら、結局自分は何から始めたらいいんだ、、、と困り果てていた時にヒントをくれたのが、最初にヒカンザクラの話を聞いてくれた方の言葉でした。
 
その方がおっしゃっていた、
「わからないことを理解するためには、まず、自分の言葉で説明できるようになること」
という言葉が、今も自分の中に残っています。

理学部玄関でもちょっと咲いてた

なぜこの言葉がずっと心に残っているのか。
それは恐らく、その言葉が、自分の中で「理解」と「説明」が混同していることを教えてくれた言葉だからだと思います。
 
「理解」と「説明」を区別しやすくするために横文字を使ってみると、理解はインプット、説明はアウトプットと言い換えることができます。
 
私の中では、
「理解ができていれば説明もできるだろ」
という認識だったのですが、それは人や場合によりけりなんですよね、きっと。
 
「理解」と「説明」は、同時に起こる場合もある。
だけど、必ずしも同時に起こるとは限らない。

理解
 
⇒ わからないことを、自分の言葉や感覚で飲み込める
説明
 ⇒ 理解したことを、客観的な言葉やキーワード、相手の言葉に変換できる

そして私の場合には、
自分の理解の言葉が相手と同じ場合には説明に成功し、
自分の理解の言葉が相手と異なる場合には説明に失敗していたわけです。
 
客観的な言葉で理解できれば、理解と説明に大きなラグが生じないので、とても思考が楽になります。
おそらく説明上手な人は、自分の言葉と客観的な言葉に、大きな差がない人なのでしょう。
客観的な言葉で素直にインプットできる人は、シンプルな言葉での説明が上手なのかな?という印象。
 
でも、必ずしもすべての物事を客観的な言葉でインプットする必要はないんですよね~

心で感じたものを客観的な言葉で表現しきるには、限界があると思います。
心に響く音楽を聴いたときに、それが「好き」という簡単な言葉だけでは片づけられない感覚と近いですね。
 
言葉にできない感覚や自分の言葉は、容易に説明できないからといって存在しないわけではありません。
そのような言葉や感覚だって、大切にしていいはずです。
 
誰かに説明したい時は、その時に、相手の言葉に変換すればいいだけ。
 
それに、変換する意識を持っていれば、物事に対する理解が深まります。
例えば、私が適当に使っていた言葉を客観的な言葉に言い換えたことで、自分の感覚を深く理解できたようなことが、他の物事でも起こるはず。
また、客観的な言葉を自分の言葉に変換するインプット作業も早くなって、いろんなことを理解するスピードが上がるかもしれません。
 
多くの物事を客観的な言葉で素直にインプットできる人はきっと、説明上手な人です。
でも、めちゃくちゃ自分の中と外の感覚がズレまくっていて、アウトプット時に変換する能力を磨きまくっている変態もまた説明上手で、そして意識的に変換できるからこそ、聞き上手にもなっていくのかもなーと思いました。
 
私の場合には、客観的な言葉で理解できるものと、そうでないものがある。
そして恐らく、自分の言葉で適当に理解しているものが他の人より多く、どうしても自分の言葉以外で理解できない部分がある。
 
だから私が目指すべきはたぶん、自分の言葉で適当に片づけている部分を、相手に伝わる言葉に変換できる変態なのだと思います。
 
まあ、本人の感覚とズレた誤変換をしている人もよく見かけるので、変換の仕方には注意しなきゃいけないですけど!
 
 
最初の方の言葉が響いたのは、恐らく、その方の言葉を通して、
「自分の言葉と感覚を大切にしていいんだよ」
と言ってもらえたような気がして、嬉しかったから。
 
だから今も心に残っているのだろうなーと思います。
 

いいかげん私の話をしてくれないか?

さて、そろそろヒカンザクラの話をしましょう。
 
いざヒカンザクラと向き合うぞ!と思い、再び本を借りた私。
しかし元来のめんどくさがりが発動して、なかなか本を開こうとしません。
正直、もう一度すべてを真面目に読み直すのがめんどくさい。
そして今は本を読むより、布団の中で眠りたい。
 
そこで本を開く前にいったん自分の頭を整理して、どこを重点的に読めばいいか考え直すことにしました。
 
本を読みなおす前の私の頭から出てきた情報は、
「本州の桜であるソメイヨシノは、南から北の順で開花する。しかし沖縄の桜であるヒカンザクラは、北から南の順で開花するらしい」
ということ。
 
なぜそのような違いが生まれるのかというと、沖縄の一年を通して暖かい気候と休眠に関する問題が絡まることで咲く順番に空間的な違いが生まれるからで、でも、生物学的には矛盾なく開花してて面白いんです!
みたいな話を、最初の方にはしたような気がする、、、、、
 
上の文章だけでは、自分が相手に何を伝えたいのかさっぱりわかりません。
なんか矛盾がないのが面白いらしい(他人事)
 
相手へ説明が伝わらなかったのは、
「時間と空間、気温と休眠など、なんかよくわからん変数が複雑に絡み合って作用している仕組みを説明できなかったからでは?」
と推測を立てました。
 
私がそう考えたのは、自分自身がそこの部分を理解できていなかったから。
そこが理解できていたら、相手の方に自分が感じた面白さを伝えることができたのになーと考えたわけです。
 
ならば、今からその仕組みを重点的に確認しなおせばいいわけだ。
ここまで確認してからようやく、本を開きました。

 ソメイヨシノの開花は「南から北へ」向かってすすみます。南の地方から暖かくなるから当然です。それなのに、ヒカンザクラの開花はなぜ「北から南へ」向かってすすむのだろう。
 種類が違うからだろうか。それとも何か特別な理由があるのだろうか。いやいや、「北から南へ」のほうがふつうで、「南から北へ」のほうが特別なのだろうか――。
 これまでうたがいさえもたなかった「春は南から北へ」が、土台からぐらつき始めました。三月にはまだ間があるのに、ぼくの頭の中は「サクラ前線」のことでいっぱいになりました。

どうしてわかるの? サクラが咲く日(七尾 2002)

 これは本の冒頭の部分。
確かに上の引用では、
「ソメイヨシノとヒカンザクラの開花の順番のズレ」
に言及されています。
なんだ、私、客観的な言葉での説明は出来てるじゃん。
 
でもあの言葉では、私が理解したことは全く説明できていません。
 
なぜなら、今の私がこの文章を読んで出てきた言葉は、
「沖縄の春は逆走している」
という言葉だったからです。
 
どうやら相手に自分の気持ちが伝わらなかったのは、私自身が伝えたかったことを勘違いしていたからのようです。

どうやら僕は逆走しているらしい

それでは頑張って説明していきます!

引用文でも「春(=桜の開花)は南から北へ」と表現されているように、「桜の開花が春の到来を告げる」ようなイメージは、多くの人の心にあるものではないかなと思います。
また、「春の到来」を「気温の上昇」として理解し、「春は南(=暖かい地域)から北(=寒い地域)へ」とイメージしている人も多いはず。
 
そのイメージを感覚として理解してもらいたくて、今回の記事では、年末年始の寒い時期にお散歩していた私がヒカンザクラに出会って春を感じる話から始めてみました。
 
冒頭の文章を読むことで、みなさんに感覚が伝わるといいなと思っていたのですが、どうなんだろう??
 
ちなみに「逆走」という言葉が出てきたのは、私の中では、春は暖かい場所(南)から寒い場所(北)に向かって、水の波紋が中心から外側に広がっていくような、方向性をもったものとして認識されているから。
 
ゆえに、北から南へと開花していく沖縄の桜の開花の移り変わりを通して、沖縄の春が逆走しているようなイメージを持ったのだと思います。
 
……そりゃあ相手に説明できないわけだよ!!!
自分のイメージの話なんて、誰がその場で説明できるんだよ!!!!!
 
しかも私が本当に伝えたかったのはこの部分ではありません。
 
私が伝えたかったことは、
「沖縄の春(=桜)は逆走しているように見えるけど、沖縄の桜はきちんと春を認識して花を咲かせているから、本当は逆走じゃない(=ヒカンザクラすごい)」
ということ。
 
それでは桜は、どうやって春を認識しているのでしょう?

桜の春の認識には、
桜の持つ「休眠」という機能が、重要な役割を果たしています。

えっちなうなじ(捕まれ)

 自分を含めた多くの人の中には、
「桜の開花が春の到来を告げる」イメージがあると思います。
それは先ほどまでに説明した通り。
 
さらに植物好きな私の中では、無意識のうちに視点が桜に切り替わり、
「桜という生き物は、春を認識して花を咲かせている」
というイメージを持ちました。
 
そのようなイメージを持ったのは、おそらく、
「確か桜は、休眠して寒い冬に耐えて、春になったら花を咲かすんよ……」
という、ぼんやりとした知識があったから。

どうやらここを深掘りする必要がありそうです。
 
休眠とは、植物が生長や活動をストップさせること。
寒くなるとすぐに布団に戻りたがる私と同様、植物も寒くなると眠りにつきます。
私は眠ってもせいぜい半日程度ですが、植物は花芽が「春になったら起きる」アラームを設定して、冬から春まで活動を止めてぐっすりと眠り続けます。
これが植物の休眠。
 
では桜の花芽は、どのようなアラームを設定して眠りについたのでしょうか?

桜の開花には、暖かさだけでなく冬の寒さが必要です。

桜の花芽(生長すると花になる芽)は気温の高い夏に作られ、冬になると休眠して一旦生長が止まります。そして一定期間、低温にさらされると花芽が休眠から目覚め(休眠打破)、その後は開花に向けて再び成長を始めて、つぼみが膨らみやがて花が咲きます。

休眠打破のためには、ソメイヨシノでは5℃前後、ヒカンザクラでは15℃程度の低温に、一定期間さらされる必要があると言われていますが、休眠打破後のヒカンザクラはソメイヨシノほど気温に敏感ではなく、沖縄の冬の平均的な気温で順調に生長してきます。

沖縄・奄美地方の桜開花予想 石垣島もまもなく桜開花へ(ウェザーニュース 2025)

 
引用によると、休眠から目覚めるためには、
①一定期間の低温にさらされること
②休眠から目覚めた後、生長可能な暖かな気温になること
という、2つの条件をクリアする必要があるらしい。
 
つまり桜が「春だ!」と認識して花を咲かせるには、
①めっちゃ寒い時期が長く続いたあと、
②周りがめっちゃ暖かい
必要があるわけです。

どうやら桜は、2つのアラームを設定して眠りについたらしい。
 
一般的な「春」に対する認識は、おそらく②の「気温の上昇」だけなのではないかなーと思います。少なくとも私の春に対する認識はそんな感じ。
 
しかし桜という生き物は、「気温の上昇」に加えて、①の「長くて寒い季節の次」という2つの条件で「春」という季節を理解しているのが面白い。
暖かいだけで喜ぶ私よりよっぽど頭が良い、、、!
 
そしてその2つの条件がきちんと作用していることがわかる例が、
「ソメイヨシノは南から北に咲き、ヒカンザクラが北から南に咲く」
という現象なわけです。

細かく説明するなら、

(1)ソメイヨシノの場合
寒くて長い冬がある本州で生育

そのため、休眠から目覚めるためには、
「①寒い日々が続く」ではなく、
「②暖かくなる」条件のクリアに時間がかかる。

だから花を咲かせるのは、
「②暖かくなる」条件を先にクリアした順、すなわち、
「南から北」の順番。

(2)ヒカンザクラの場合
常に暖かい沖縄で生育

そのため、休眠から目覚めるためには、
「②暖かくなる」ではなく、
「①寒い日々が続く」条件のクリアに時間がかかる。

だから花を咲かせるのは、
「①寒い日々が続く」を先にクリアした順、すなわち、
「北から南」の順番。 

となるわけです。

ここまでの内容をすべてまとめると、
「沖縄では、桜が寒い場所から開花していくから春が逆走しているように見える。だけど、桜という生き物は、春を「長くて寒い」季節の次に来る「暖かい」季節と認識していて、「寒いのが続く」と「暖かい」の2つの条件をクリアすると花を咲かせる。だから、いつでも暖かい沖縄では「暖かい」の条件クリアが容易で、先に長くて寒い期間を経験し終わる寒い場所から花が咲くだけで、本当は逆走じゃないんだよ(=サクラってすごくね?)」
となるわけです。
 
つまり私は、
「桜の春に対する認識が多角的で、どの地域でもそのルールに従っているのがすごい」
と伝えたかったわけです。
 
……これを見切り発車で伝えるのはたぶん無理wwwww


ヒカンザクラの写真ばかりでお腹いっぱいになってきたので、最後はリュウキュウコスミレの写真で。今年もよろしくお願いします!

 
今回の話はこれでおしまいです。
今回は、「物事を理解して人に説明するのって難しいよね~」というお話でした。
 
まだまだアップデートされていくような気はしますが、自分がずっと抱えていた悩みに対して、ひとまずのアンサーが出せて嬉しかったです。
読んでくれた方を置いてけぼりにしていないことを切に願います、、、!

今年もこんな感じで好き勝手にやっていくと思いますので、よければお付き合いよろしくお願いいたします。
 
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それではまた!
 


参考・引用文献
七尾純,2002.どうしてわかるの? サクラが咲く日,株式会社アリス館,東京,108pp.
https://weathernews.jp/s/topics/202501/090205/,沖縄・奄美地方の桜開花予想 石垣島もまもなく桜開花へ:ウェザーニュース,2025年1月24日アクセス.


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