【食べ物に感謝?】出来るワケがない!
食べられることが当たり前の時代
食べ物に対する価値観は
日々どんどん変わっていきます
家でお母さんが台所に立ち
包丁やまな板を使い
グツグツ・コトコトご飯を作ることは
当たり前ではなくなりました
お父さんが作るかもしれないし
お手伝いさんが作るかもしれないし
誰も作ってくれないかもしれないし
配達で注文するだけかもしれないし
冷凍食品等の時短調理だけかもしれないし
外食しかしないかもしれないし
【ご飯を食べる】という行為の幅は広く
環境も内容も人それぞれ
本当に大きく異なります
コンビニご飯・ファストフードご飯
冷凍食品ご飯・配達ご飯など
昔は【手抜きご飯】と言われていたものが
今では当たり前のように重宝がられ
何の違和感もなく
みんな「おいしい!おいしい!」と
食べるようになりました
自分は少し変わった?体質のため
コンビニやファストフード
冷凍食品や配達系などのご飯は
基本的に食べません
みんなの当たり前が
当たり前のように出来なかったのです⇧
そんな自分は
たまに自然栽培の畑で遊んでいるのですが
畑で思うことがあります
自然栽培を知らない方はどうぞ⇩
1年に1度のタイミングでしか
収穫できない野菜たち…
自然の流れに寄り添った栽培の場合
1年中収穫できることはありません
どんなに食べたくても育てたくても
10年で10回…
30年生きたとしても
30回しか育てられません
その年のお野菜の育ち具合の風味は
本当にその時だけのものです
そしてそれを育てて食べている自分も
本当にその時だけの自分です
歳を重ねれば味覚も変わり
体調も変わり
それは地球も同じことで
歳を重ねれば風土は変わり
具合はどんどん変わっていきます
畑に立ち 土に触れ 風を感じ
太陽を浴び 虫と戯れ 息を吐く
わたしたちは
「食べる」という行為を
「食材」という食べ物を
どこか遠くへ切り離し過ぎて
しまってはいないでしょうか
⇧コチラにも描かれていますが
【循環】にある意識
【循環】にある体感
【循環】にある食
味わっているでしょうか
無理して社会に合わせて
キレイごとを並べて
食べ物に感謝する必要はありません
昔の人のように
貧しい経験等がない場合
そこまで感謝ができないことは
ある意味 自然です
ただ
だからと言って
感謝しなくてイイとか
食は雑でイイということではなく
自分自身を好きになれなかったり
自分自身が大嫌いだったりするのは
いつも当たり前のように繰り返している
食生活に何かヒント(宝)が
隠されているかもしれないということです
繋がっているかもしれないということです
切り離された食生活より
繋がり循環している食生活へ…
最後までお読みいただき
ありがとうございます