「罪と罰」ドストエフスキーの感性 (改訂版)
本文
名作として名高いロシアの文豪 フョードル・ドストエフスキー の 「罪と罰」は、長らく僕の中で、好きな小説の2番手でした。
1番はチェコの作家 フランツ・カフカ の未完の長編小説「城」で、僕はこれを ドタバタ・コメディとして、笑いながら読んだのですが、ブックカバーの裏面に
との大仰な言葉があって、またも大笑いしてしまった。
あとがきには
とあるが、「城」はKが村を訪れてからのほんの数日間の話で、それからすると、村や城が彼を受け入れないのは当然である。むしろ村人は、ある意味で心を開きすぎにも、僕には思えるのだが...。
そんな「城」と比べると、「罪と罰」は真面目すぎるように、僕には思えました。
素晴らしいと思いつつも、でも「城」の方がいいとずっと思っていました。
ところが、アメリカの作家ウィリアム・フォークナー の「八月の光」を読んだら、変化が起きた。
「城」と「罪と罰」と「八月の光」が、優劣の付けられない並ぶ名作と思えるようになったのです。
その後、フォークナーの「響きと怒り」、「アブサロム、アブサロム」も読みました。どれも名作 で、どれを先に読んでも、同じような変化が起きたようにも思います。しかしなぜそのような変化が起きたのか、未だに明確には分からない。フォークナーの作品のこの触媒的作用 は、とても興味深い と思います。
さて、この様ないきさつで、僕の最も好きな小説の1つとなった「罪と罰」ですが、これも「城」と同様、わずかな日数の話です。なのに分厚い上下巻の長さがある。まるでSly & the Family Stoneのライブのように、最初はゆるくだらっと始まりますが、乗ってくると止まらないくなる面白さがあります。(ライブ映像1969年*)
殺人事件を扱っていて、コメディとは呼べないだろが、ドタバタである事は間違いない。
殺人を犯してしまい、不安を抱えたままの主人公が、自首を決意するまでの短い期間に、いろいろな人と会います。そしてそれぞれの人物が、登場したシーンによって、全く印象が異なります。そういう事は普段の生活でもあるだろうと思います。よく知ってると思っていた人が、自分の知らない関係性の人と会っているのを見たら、全く違う人の様に見えたとか、普段底抜けに明るくい人が、ものすごい形相で歩いているのを見たとか、そういった事です。そういう感覚がこの小説では実によく現れています。思わず笑ってしまうものもあるし、感動的なものや、小説の中と分かりつつも「だめだ!やめろ!」と思わず言ってしまいたくなる場面もあります。
ロシア語は読めないから、翻訳で読んだので、訳も良いのだと思いますが(工藤精一郎訳 新潮文庫)、こういう瞬間をどうしてこうも巧みに捉えられるのだろうかと、ドストエフスキーの感性には、本当に驚きます。
ロシア人の長い名前と略称の関係が、何の説明もなく出てくるので、その点で読み難くはありますが、「カラマーゾフの兄弟」のような入り組んだ複雑さはないし、比較的簡潔で、ドストエフスキーを読む手始めとして、ふさわしい作品ではないかと思います。僕はこれを最初に読んで良かったと思っています。「カラマーゾフの兄弟」だったら、挫折していたと思います。
* 2021.12.5.改訂。内容に不確定な箇所があっため、引用を活用して、より正確ものを試みました。引用箇所に笑ってしまった事は確かですが、その内容がどうも長い年月の間に、他で読んだ事と混同されていたようです。今回改めて読み返し、思い返して、書き直しました。
引用文献*1
*1「城」カフカ 前田敬作訳 新潮文庫 昭和四十六年四月三十日発行。平成十七年一月二十五日 四十三刷改訂版
*文中のリンク映
{4K} Sly And The Family Stone October 20, 1969 Music Scene Full Live Performances Best Quality
昨年5月にブックカバーチャレンジがはやった時に、ただ本のカバーを紹介すれば良かったのを知らずにinstagram(philosophysflattail)に書いた記事その②でした。
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