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Kei
2024年12月4日 07:06
実際のところ夏を越したらもう無理だろうと覚悟していました。主治医曰く「全く嚥下が出来ません。機能的には出来る筈なのですが、それが出来なくなっていますので、点滴のみに頼っている状態。胃ロウか、喉切開で栄養摂取するかという選択、或いは、このまま自然に任せるという選択、どちらかでしょう。手術は・・正直進められません、お母さんの体力がもたないでしょう」退院前、そう言われました。決断しな
2024年11月2日 07:55
もう少し、色付いているでしょうか。うらぶれ荒み絶望という、またぞろ私の求める域に到達しかけた頃この、原風景たるわたしの記憶が祖父の棲む地が祖母の声がまだだよ、と押し戻す。父と同じじゃないか。オヤジ、迎えに来て下さい!と泣く父・・似て来た自分を痛感する。おじいちゃん・・まだ、駄目?はい、弱音吐いて醜悪に這いつくばってでも生きます。頑張って、ソチラで、褒めて
2024年11月2日 07:50
くわっ!と、その目を見開き”お前は!”と、怒声を発せよ入道雲の如く大岩の如く圧倒的な畏怖をわたしに味あわせよ事の推移 わたし自身の風邪にて一週間訪れなかった間 父は隔離室に入れられ点滴を受け 頬削ぎ落ち目は窪み 久し振りに会う父は死に行く人の如く変貌遂げていた お父さん!と声を掛けても眠ったまま 「何も食べないからです。」介護士が憎憎しげに答える
2024年10月1日 07:02
あと二ヶ月で、父、奇跡の生還より丸三年経過する。脳出血で高次脳機能障害となった父は、リハビリを続けるも未だ歩けない。当初あった言語障害は回復。父の入院時より、母の認知症は悪化した。父母の三年は、私にとっても、新しい三年でありました。尊大で倣岸不遜が服着て歩いているような、巨躯の父はその肉体のみ半分になり。伊達男たる父は、全てのスーツ、ネクタイ、手を通すことも着ることも不
2024年9月27日 06:46
母は花が好きだ。ホームの玄関先に金木犀の香りが、およそ苦手な方には咽るように匂い立っている。庭には白、ピンク、濃いピンク、三色のコスモス、名の分からぬ花々。秋の日差しの中、母を連れ外に出る。以前、車椅子に乗った母は「まぁ、綺麗。」と顔綻ばせ、花を手で掴もうとした。今年の秋は母の反応が薄い。金木犀の香りが、こんなに風に乗り、貴女とわたしを包んで満たしてくれているという
2024年9月19日 06:20
緊急搬送後、しばらくナース室の前に母は移されていました。サービスステイション、見守りや検査、点滴、他、治療必要な方が入る場所。血圧、体温、他、一応安定ということで、本来ならば本日21日に、従来の父との部屋に戻すという医師、看護士さんのお達しあり。が、何しろ、父がうるさい。「夫婦を別々にするヤツが居るか~!夜、お前たちは、ずっとA子の様子を見れるんか?俺が寝ずの番をする。早く
2024年8月11日 07:07
15分も浸かれば、身体が凍え、唇の色が失せる。その上流から流れる水は、水道水とは比べようもなく美味しい。段々畑、大木、若い杉たち、蝉の声、蝶々、水桶に冷やしたラムネ。小刀を上手に使う祖父の手は、魔法の手でありました。ヤマミミズの巨大さに一瞬、身を竦め、「お・・おじいちゃん、蛇が出た!」と祖父の背中に隠れた私。祖母が夏場に借りる宿坊(?曖昧・・)より顔出して、その手に
2024年8月6日 17:31
ただ娘が居て笑い話せること至上の幸せー同じものを食べ同じものを観て同じものを聴くこれが特別でなく普通の日常になることを願いますコメント返せずごめんなさい。ご報告です
2024年8月6日 17:24
今年もこの日が来ましたね5年前、4年前、・・・遡れば20余年ーあなたはどんなに苦しかっただろうあなたの涙あなたの心あなたの叫び母なるわたしは何も分かっちゃいなかったのですねわたしはわたしであなたに向って手を広げ抱き締めたく不在のあなたを想い滂沱と涙した幾つもの夏がありましたその夏を嗚呼・・・やっと四度目、あなたと過ごしてい