かる読み『源氏物語』 【夕顔】 ピュアな光源氏の夢はなかなかに叶えられないものであった
どうも、流-ながる-です。
『源氏物語』をしっかり読んでみようとチャレンジしています。今回は【夕顔】を読み、源氏の環境について考えてみました。
読んだのは、岩波文庫 黄15-10『源氏物語』一 夕顔になります。【夕顔】だけ読んだ感想と思って頂ければと思います。専門家でもなく古文を読む力もないので、雰囲気読みですね。
【夕顔】においての最大の不幸・夕顔の死を招いた要因である源氏の行動、なぜ"なにがしの院"へ彼女を連れて行ってしまったのか、について考えてみたいと思います。
想像以上に不便な身の上の源氏
光源氏という言葉は『源氏物語』を読んだことがない方でも知っていると思います。いわゆるイケメンの代名詞のひとつとして数えてもよいという名称ですね。どこへ行ってもモテモテで「素敵!」と言われて、余程のことがなければ女性に"お断り"されることもない。帝の御子であるし、暮らしも保証されて、出世も間違いなし。なんと恵まれた人なのだろうと羨ましくも思い、そんなモテ条件を揃えまくった源氏はさぞ女性とのお付き合いも楽しいのだろうと想像していました。
思った以上にこの人(源氏)不便な立場なんだな
そりゃ多少はと思いましたよ。帝の御子ですし大切にされている分、不自由もあるでしょう。しかし今回【夕顔】を読むと、「なるほどそれはかなりきついなぁ」と思いました。これはむしろ平安時代の貴族よりも現代人である自分たちのほうが窮屈に感じることでしょう。読み手の自分達は貴族じゃないですし、常に誰かしらがぞろぞろとついていくるという生活をしていないんですよね。セキュリティは大事ですが。
一日、二日、所在がわからなくなっただけで内裏(父帝)から使いがくる
夕顔との付き合いは極秘にしないとダメ(噂になるかも)
不祥事があれば人に知られないように絶対に口止め
源氏はこの頃、まだ若いとはいえ元服し大人として扱われています。しかし少しいなくなるだけで大騒ぎされてしまうのですね。親から「どこへ行くの? どこに居たの?」としつこく訊かれる感じというか、そのうえ護衛の人も当然ついてきます。あまり変なところへ行こうものなら「やめたほうが」と注意されることでしょう。
帝の御子として生まれたのなら当然で、それで良い暮らしをしているのですから仕方ないとはいえ、源氏はとにかく大事にされ過ぎているといっても良いですね。
そんな環境にいた源氏が夕顔という女性に出会って、なぜ空蝉の時みたいに失敗せず、うまくお付き合いできるようになったかをまず整理します。
小君で大失敗、有能な惟光の登場
脇役が光るといいますか、アクティブに動ける立場のほうが活躍しているように見えるというものでしょうか、源氏の恋の成就にはこういう人がいないと無理でしたという答えになっています。
空蝉とのコンタクトには源氏は空蝉の弟である小君という男の子を起用していました。空蝉は人妻で堂々とお使いを出すことが出来なかったと思われます。だから小君という空蝉のいる邸に出入りしてもおかしくない子を使うことでうまく隠していたんですよね。
では、今回登場した惟光とは何者か。源氏の乳母の息子です。当時の高貴な人には必ず乳母がつくんですね。しかも複数人。養育の責任者というか、成人しても大きな影響力を持ちますし、何かと頼りになるようです。この乳母の見舞いに訪れた源氏はこの乳母の家の隣人である夕顔に出会うんですね。
それで乳母の子どものことを乳母子と呼ぶわけですが、惟光はこの乳母子にあたります。乳母子は幼い頃から養い君(この場合は源氏)のもとで仕えるわけですから、特に信頼されますし、同じ源氏に仕える人々にも重んじられる存在です。簡単に言えば源氏の一番の側近にあたるのが惟光ですね。
側近といっても源氏だけにお仕えしているわけではなく、ちゃんと朝廷にお仕えしている人です。惟光の呼び方に“大夫”というものが出てきますが、五位にあたる人物の呼称なので、源氏だけのことを考えているわけではないですね。とはいえこの物語は主に源氏のプライベートのお話ですから、惟光が源氏のプライベートを全般的に支えている人という認識で良いかなって感じです。
この方がどれだけ有能かというのが【夕顔】を通して描かれている気がします。源氏が気になる女性となった夕顔について、即座に調べます。探偵というか潜入捜査だとなりました。
ターゲットの家にいる女性と仲良くなって探るんですよね。そして惟光自身も恋愛上手です。そうじゃないとうまく橋渡しできませんね。そうして企業秘密だと言わんばかりに具体的に源氏が夕顔と結ばれたというシーンは書かれていません。つまり惟光にとってこの程度は朝飯前ってことなんだなと思いました。
優秀な側近という存在はその本人も高めることになります。惟光が優秀であればあるほどに源氏も優れているということも強調されたような心地です。大切にされている、そんな感じがします。
源氏はなぜ夕顔に正体を長く隠し、なにがしの院にまで連れてきてしまったのか
さて、本題です。どうにも不誠実だなと前までは思っていました。夕顔に対して源氏は自分の正体を教えません、顔を隠してわからないようにします。どこの誰かもわからない者同士が恋人になるというものです。
しかし、前回の空蝉の話をふまえると、身分がさほど高くない女性は源氏だぞ、というのを恐れるのではないかと思いました。あまりに大スターすぎて自然体でいてくれない。これも悩みでもあるのかなと思いました。
源氏は"なにがしの院"という場所で正体を明かすまでは顔をそれとなく隠し続けてきました。名乗っていません。夕顔もまたどこの誰かというのを言わないままでした。顔を見せた源氏に問われてもはぐらかします。この二人のやりとりを見て思い出したのはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』です。
『ロミオとジュリエット』ではロミオとジュリエットがお互いにどこの誰かというのを知らずに恋に落ちるという筋書きになっていて、この場合は仮面舞踏会で素性がわからないようになっています。
源氏と夕顔もまた似たようなものです。お互いにそれとなくそうではないかという見当はついていました。夕顔はあの源氏ではないか、源氏は頭中将が雨夜の品定めで語った常夏の女ではないかと。しかし源氏はどこの誰かがわからない同士の逢瀬を楽しみたかったのではないでしょうか。
どこへ行くにも帝の御子である源氏という枷を外して、どこの誰かなんてどうでもいいと思ってくれる夕顔とただひととき恋人として過ごしたい。それが"なにがしの院"へ行った理由なのではと思ったのです。結果を見るとそれがいけなかったとなりますが、そこへ行きたかったわけを考えるとわからないでもない。夕顔のいる家というのはとても騒がしく、落ち着いて過ごせる場所ではありません。だからこそ誰もいないような空間で一緒にいたかったのでしょう。
夕顔の死ってかなりショッキングで「源氏ってなんでこんな不気味なホラースポットに連れてきたんだよ」となってしまいがちでそう思ってきましたが、源氏をとりまく環境を考えれば、"可愛い恋人と二人きりで誰にも詮索されず邪魔されずに過ごしたい"とごくごく真っ当な純粋な思いからの行動だったと気づきました。
夕顔は物語で登場してすぐ儚く亡くなってしまいますが、その後の物語で強い影響を残します。源氏は"誰にも邪魔されない"というものに憧れていたのかと後の話を読んで思いました。
源氏は何をしたかったのか、という点を考えつつ読み進めたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
参考文献
岩波文庫 黄15-10『源氏物語』(一)桐壺ー末摘花 夕顔
続き。【夕顔】の帖のヒロイン・夕顔について語った記事がこちらです。
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