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『14歳からの哲学 考えるための教科書』 食べるために生きるのか、生きるために食べるのか

初めて彼女の本を読んだ時に感じたのは、こんな天才、良い意味でこんな変態がいるんだ! と。何の天才? まさに思索(考えること)の神様のような人だと思った。どういうことかというと、物心ついた時から思索をはじめ、ずっと生とは死とは、存在とは、宇宙とはをずっと考え続けてきた人。この言葉だけ聞くとほんと変態というか、変人だと思うことだろう。天才とはある種のそういう変わった人たちの呼び名でもあると思うので、あえてここではそういう言葉を使ってみた。天才というとなんだか近寄り難いけど、変わった人であればもう少し親近感が湧くのではないだろうか(笑)

もうひとつ天才的だなと思うのは、誰もがわかる平易な言葉で哲学について、すなわち考えることについて述べることが出来ること。これもまた衝撃的なのだ。哲学の本なんて読んだことはなかったので他の人の文章がどうかはわからないけれども、でも、この凄さと苦労は読めば読むほどわかるのである。そこにはものすごい情熱が、愛が感じられる。なんだか読んでいるだけで涙が出てきそうになるくらいそれを感じる言葉がそこにあるのだ。哲学について書かれた本なのになんでだろうか。言葉はむしろ論理的で、理性的なのに、不思議である。本物の言葉にはきっとそういう力があるのだ。

そして、そんな彼女が14歳に向けて書いた本。考えるとはどういうことか、そして、どのように考えていくかのヒントが書かれているのが『14歳からの哲学 考えるための教科書』である。子ども向け? と思うかもしれないが、きっと読んだらほとんどの大人たちがビックリするだろう。どう感じるかは人それぞれだと思うが、中学生でも読める言葉で本当のこと、すなわち物事の本質が書かれているのである。

まずそもそもそんなことが可能なんだ、と驚いた。本当のことを伝えるのにたしかに難しい言葉はいらない。当たり前のことではあるが、実際にやるとなるとそれはとんでもなく難しいことになると思うのだ。あなたは中学生の語彙を使ってあなたのやっている仕事の本質をうまく言葉にすることが出来るだろうか。専門用語などをわかりやすく平易な言葉に置き換えられるだろうか。本当にすごい。凄すぎるのだ。

また、その思索の過程の美しさ。多くの哲学者、哲人が生まれてきたように、思索の方法は人それぞれである。でも、彼女の言葉に案内されながら、ひとつひとつ考えていくことはまるで森の中でひとつひとつの花や木、虫などを発見しながら一緒に歩いているような気持ちになる。ひとつひとつの不思議に驚きながら、それはなんだと思う? と問いかけてくる。そうやって僕たちを導いてくれる。本だから構成はもちろん考えられているだろうと思うかもしれないが、人がどう思索するかを考えてこんなにもきれいに形作ることができるというのも神業ではないかと思うのである。彼女に促されるままに一緒に考えていくといつのまにか、森を抜けて広々とした草原に出て行く。そこは広い広い美しい草原。それを人は宇宙というのかもしれない。そんなところへ人を連れて行ける人というのは限られているのではないだろうか。

これもまた相当な情熱と愛のなせる業なのではないかと思うのである。もちろん、ひとつひとつのテーマも深い。僕は先に『14歳の君へ』を読んでいたので、そこですでに自分の思考の浅さに愕然として、考えていたと思ったことがどれほど考えられていなかったのかということを思い知らされた。当たり前と思っているテーマどれをとっても深い思考された、内省された言葉が出てこない。説明はできるかもしれないが、それはどういうこと、と聞かれたら答えることはできない。自分がわかるというところまでとことん考えたことがなかったことに気がつかされる。この歳になっても全然考えるということがどういうことかわかっていなかったのだ。

そして、今回、この本を読むことで、思索するとはどういうことか、考えることはどういうことか、というのがかなりわかってきた。こういう考え方、思索の道筋があるんだと。考え方のことなんて考えたこともなかったので、そんな思索方法があることも驚きだった。

でも、本当はみんな考えることはできるのに、なぜ考えるのをやめてしまったのだろうか。子どもの頃はきっとどうしてだろう? なんで?なんで? と考え続けていたと思う。拙い言葉で自分の中で深く思索していたのではないかと思う。大人になってからの方が考えなくなってしまったのではないか。いつの間にか知ったかぶりをするようになる。考えたふりをするようになる。ただ情報を知るということと、本当に知るというのではまったく違うのだ。知るというのはちゃんと自分で内省してわかることであるのだ。そんな当たり前のことを思い出すと、自分がどれほど考えなくなってしまっていたかに気づかされるのである。

彼女はたしかにある種の天才である。彼女だからできたんでしょ? それはそうだ。物心ついた時から死ぬまでずっと考え続けてきたのだ。40代で亡くなってしまったが、そのキャリアを考えると30年以上子どもの頃からずっと思索し続けてきたのだ。たしかにそんな人には敵わないだろう。でも、別に比べる必要はない。それは彼女の言うところの彼女の魂の体質、魂の癖であって、そうとしかできない個性であるのだから、それは彼女だけのものだ。でも、この世界の本当のこと、つまり真理というのは、誰のものでもない。真理は常に普遍であり、全員が同じ答えになるから真理なのである。だから、彼女とは違った方法で僕たちもそこへ辿り着くことができるし、自分の頭さえあればいつでも考えることができるのだ。

考えることは面白い。こんなに面白いものなんだと思い出すことができた。子どもの頃はきっとそんなことの連続だったのだろう。「知りたい」と思う気持ちの始まりの前には、いつも驚きがあると彼女は言っている。人は何かに驚くことで、絶句することで、それを知りたいと思うのだ。本当に当たり前のことだけど、そんなことすらもいつの間にか僕たちは忘れてしまっているのである。

彼女はものすごく言葉を大切にしている。人間が言葉を使うのではなく、言葉が人間をつくるのだと。優しい言葉を使う人は優しい人、正しい言葉を使う人は正しい人。当たり前のことだけど、言葉を軽んじて消費してしまっている人たちにはそのことはわからない。だから、薄っぺらい軽い人生になるし、次々と消費されていく人生になるのだ。

彼女はまさに言葉そのものだった。言葉は彼女だった。

そんな本当の言葉に出会ってしまったら、自分の言葉がいかに薄っぺらく、嘘に塗り固められているかことかを思い知らされる。でも、だからこそ、本当の言葉を使いたいと思った。言葉の力を信じたいと思った。彼女の言葉を読んでいると彼女を感じる。厳しくも優しいその言葉。もういなくなってしまったので、会うことはできないけれども、でも、言葉のお陰でこうやって時を越えて彼女と対話することできる。言葉とはなんて不思議なものなのだろうか。

書評というよりも最後にはラブレターに近いものになってしまったけど、本当に人生で出会えてよかったなと思うのである。これだから人生は面白い。この本が、彼女の言葉(情熱と愛)、が多くの人たちに届くことを願っています。

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