あゆみブックスで最後に買った本/川原繁人『フリースタイル言語学』(大和書房、2022年)
最近は年齢のせいもあってか、周りで結婚式をするというのをあまり聞かないが、たぶん年齢のせいだけでもないのだろう。なんとなく、みんなで公的な場に集まるというのもめんどくさいというか、社交やら社交辞令とかめんどくさいという時代なのかもしれず、そうだとすれば結婚式や葬式などはその最たるものなので、そういう式みたいなものは全体的に減っているようにも思う。
そんな私ももう10年以上前に結婚式を挙げた。仲の良い友人に来てもらい披露宴を開き、乾杯の音頭をゼミの先輩にお願いした。とてもよい音頭だった。その中で彼が、ふとした瞬間に、私のことを「言葉への関心を持ち続けているのがすごい」みたいな感じで言っていくださった。その言葉を聴いた瞬間のことを今でも覚えているのだけど、どこか気持ちが落ち着かないというか、恥ずかしい気持ちになった。
もちろん、乾杯の音頭のなかで、社交辞令というか、何か新郎の褒めるところを見つけて褒めるのがルールみたいなものなので、そういうものなのはわかっているが、私はそれを文字通りに受け止めた。つまり、大学、大学院と文学を学んでいたので、言葉に対して敏感なのは一種の褒め言葉だと受け止めたし、当時はまだ詩のようなものを書いたりもしていた。自分のことを言葉の人間だと思っていた。
でも、その頃から、どこか自分は本当のところ、言葉に関心があるタイプではないなと薄々勘付いてもいた。当時勤めていた前職が語学の出版社で、言葉が好きな人が周りに山ほどいた。私はそうではなかった。語学もどちらかというと苦手だった。もちろん本が好きなので、人並みに言葉に興味があるが、それでもどこか、自分はむしろ言葉の人ではないと思うようになった。語学も、自分にとってはツール以上のものではなく、熱狂を呼ぶようなものではなかった。
私はむしろ、言葉が一つのリズムや音楽として流れ出ることに心地よさを感じる。あまり喋りが上手い方ではないのだけれど、文章を書くときの速度感、ものを頭で考えて、それがタイピングなり手書きなりをしている間の中で熟成して深まる感じが心地よく、もう20年くらい、ネット上に文章を書いてきた。
言葉そのものや、言葉が生み出す論理性のようなものに、おそらくほぼ関心がないので、論文を書くのも苦手だった。すべて感覚で書いているので、一つ一つをピースのように組み立てていく論文は、最も苦手な部類に入るものだったし、読むのも、あまり楽しいと思えなかった。もし論理的な文章を組み立てるのが向いている人間だったら、ぜひとも大学で教える職業になりたかったが、そうではなかったので、私はどちらにせよそういう世界にいられなかったのだと思う。
また、詩集を何冊も出している詩人の友人もいるが、私はそういうこともできない。言葉をギリギリまで凝縮して切り詰めて、ものすごい密度にして並べるようなことを私はうまくできなくて、言葉っていうのは、たぶんその人その人で、適した密度や濃度があるような気がする。自分の密度を見つけられればそれでいいと今では思える。私はたぶん、もう少し流れの中でものごとを感じたり、考えたりするタイプで、どちらかというと散文タイプだろうということを自覚したのも、ここ10年くらいのことだ。
だから、川原繁人の『フリースタイル言語学』を読んで、世の中には本当に言葉が好きな人がいるのだなと思ったし、私はそうではないと納得した。この本には著者の才能が詰まっている。まず、しゃべるように、ものすごく平易に、それでも専門的なことまで含めて言語/言語学について書かれている。これは誰にでもできるようで、実はすごく難しいことだ。普段私たちは日常会話で言葉を喋っているのだから、「喋るように書く」のなんて簡単だと思うかもしれないが、実際に喋るように書くのはとても難しい。ですます調で書けばいいってもんでもない。喋るのとも違う。
それと、この本は、著者のアメリカ留学時代のことや、子育てのことや、ゲームのことや、プリキュアのことや、学会のことや、言語学のことや、ラップのことや、慶應大学での授業のことや、メイドカフェのことや、そうしたすべてが書かれている。出し惜しみをしないのである。これらのどれか一つのトピックを選んで一冊ずつ、つまりいくらでも本を書けそうな面白いネタが満載されている。それがすごい。2022年6月1日が初刷で、2022年8月15日にはもう3刷になっている。私が買ったのはこの3刷だが、もっと刷を重ねている可能性が高い。
この本も独特の密度で書かれていて、それがちょうどいい。みっちり書かれた書籍よりも敢えて文章を少し緩いリズムにしてある。頻繁に読者への呼びかけやエクスキューズやジョークが入ってきて、だから読者が飽きて読むのを止めてしまうタイミングがない。そういう意味でも、とてもうまく作り込まれている。いくら編集者が狙っても、これを作るのは難しい。
私は、ラップの歌詞を言語学的に分析するところ、日本人の英語は母音が入ってしまったり、 英語の受動態などを表すedの音を「ト」ではななく「ド」と書きがちだとか(ハッシュドビーフなど)、ドラクエで魔法が強くなると、言葉が長くなり、濁点が増える(メラ、メラミ、メラゾーマなど)、などすごく日常的な言葉への興味から始まり、それを言語学的に分析していく手つきが、これは確かに、「フリースタイル」な「言語学」だなと思った。
ちなみに、先週、私は早稲田のあゆみブックス(現・文禄堂)を訪れ、この本を、この店で購入する最後の本として買った。よく色々な書店で表紙は見かけていて、売れているのも知っていたけれど、なかなか手が出なかった本だ。読んでみると、とてもすらすら読めて、素晴らしい本だった。あゆみブックスの方はというと、閉店間際だからか、すでに段ボールが積まれていたりして、少し寂しくなったが、店内には、当たり前かもしれないがそうした感傷的な雰囲気も特になく、店員さんも淡々とお仕事をしているようだった。学生時代からの旧友と最後のあゆみブックスに行くことができて、私の人生がまた一周したような軽い目眩を覚えた。