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懐かしい高田馬場

 仕事で久しぶりに高田馬場に行った。戸山公園を突っ切って明治通りに向かう。まず公園がだだっ広い。そして朝だから人が少ない。公園の向こう側にファミリーマートがあり、同じ建物にプールの入り口がある。そのすぐ向こう側に、新宿コズミックセンターがあり、ここにもプールがある。なぜ二つ並んでプールがあるのか、いまだによくわからない。それから新宿区中央図書館もある。

 戸山公園はとにかく敷地が広く、誰でも入ることができる。このおおらかさが、私にとっての新宿区だ。新宿区は多様だ。人種的にも階層的にも非常に多様性があると思う。それと同時に、その多様さは緊張感にもつながる。帰りに寄った明治通りのマクドナルドは、昔からだが結構混沌としている。外国人も多く、老人も多く、早稲田理工の学生もいるし、ただロードサイドの店だからという理由でどこかから立ち寄った人もいる、ビジネスマン風の人も少なくない。

 このおおらかさと表裏一体の混沌とした感じが、この街にいてホッとする空気を作ってもいるし、どういう人がいるかわからないというオープンであるがゆえのリスクもある。それは、私が最近よく歩く文京区とは対極にある気がする。文京区の多くの街はどちらかというとクローズドな雰囲気で、階層も同じくらいの人たちが多い。真面目で、教育熱心で、比較的高齢で、というようなイメージだ。新宿区のダイナミズムに比べると保守的な印象がある。無料で入れる巨大な公園もない。

 私は以前早稲田に住んでいたので、新宿区民だった時期が長い。象徴的なのは区役所が歌舞伎町にあることだ。またコズミックセンターも基幹的な道路である明治通りに面していて、かなり活気がある。だから、新宿区と文京区について考えることが多かった。そのほかにも練馬区や中野区、三鷹市についても考えていた。でも私は、これは様々な偶然もあるので、必ずしも「選択した」とはっきり言えないが、どちらかというと文京区を選んだ。そのある種の同質性に安心感を感じたからであり、また、その古さ、古い東京という歴史的、文化的な深度にも惹かれた。

 早稲田の街は東京で最も好きだ。今もそれは変わらないが、やはりあのあたりは何かに晒されている雰囲気がある。神田川が近いからか、いや、どちらかというと新宿や高田馬場という超都心で多様性のあるダイナミックなエネルギーにどこか晒されている。閉鎖性よりも開放性が、地方出身者である私にとって風通しがよかった。文京区は、その対比で言えば、どちらかというと閉鎖的に映る。ただ、それを自分なりに掘っていく視点を持つと、その中にも歴史的な開放性ともいうべきものがあり、文化的に探究していくことが可能だ。そこにもまた、東京という都市の別の可能性が潜在している。

 高田馬場の戸山口近くにアウトサイダーというバーがあった。確か外階段を上って二階にあるバーで、バーなんて今ではほとんど行くこともないが、二十歳くらいの頃に背伸びをしてよく行っていた。学生半額だったか、そうではなかったか忘れてしまったが、高田馬場は学生の街だから、確か学生も多かった。そこでジントニックを飲んだりこぼしたりしていた。学生時代は、地理的にも歴史的にも自分のなかに蓄積がないから、それがどういう場所なのか、このあたりの街が好きか嫌いかすら、ほとんど考えることはなかった。今はその多くは、当時の記憶と今の感覚、そして他から得た知識などで、昔よりも立体的に見えるから面白い。高田馬場のどこにきても何かしらの懐かしさを感じる。

 この間人と話していて、高田馬場の芳林堂が変わってしまったことが話題になった。あのビルにはいくつか飲食店もあり、その一つ一つもなかなか味わいがあり、学生時代によくいった。最近は行っていないが、芳林堂の下にあるキリンシティも好きで何度も行った。もうほとんど記憶が薄れているのだが、昔の芳林堂は、海外文学や人文書も結構並んでいた。漫画はかなりの数揃っていた。隣のビルの二階には、クラシック専門のCD屋さんがあったが、それも気づけばなくなっていた。高田馬場では数えきれないほど(というと大袈裟だが)飲んだ。あのお店のうちのいくつが、今もあるのだろうか。そう言えば、早稲田のあゆみブックスは、古着屋になるらしい。


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