不幸が物語を産むのか、作者が不幸を産むのか。
私が物語を創りたくなくなった理由である、『物語を創る度に、不幸な子が生まれるから』について書いていきます。
#熟成下書き に参加している通り、殴り書きの乱文です。
ですが、私が思い詰めた結果の塊なので、良ければ最後まで見てくださると幸いです。
それではどうぞ。
空が晴れるのも、雨が降るのも、作者の都合?
あの子達はただの舞台装置?
ただ主人公を良いように見せる為だけの存在?
それなら私が今ここで死ぬのも、みんなを主人公としたら、最初のキッカケとなる事件にすぎない。人一人が死んだとて、それは物語が円滑に進むだけの設定。
もし私が大勢の前でいきなりナイフを取り出して、自分の首を搔っ切っても、それは物語の序盤を強いインパクトから始める為だけの事象。竹春雪華という人間が死んだとしても、それは物語として盛り上がるという物語を作る中では褒められる行為。
現実世界でとがめられる行為でも、クリエイターであれば褒められる行為。
彼らは架空の中で生きている。私たちとは違う世界だったとしても、彼らは生きている。その架空の彼らを不幸にする行為を、ここでは推奨している。「そうじゃないと物語が面白くないから」って。
物語の最初はマイナス地点から始めよ、とよく言う。そのマイナス地点を作っているのは誰? それは紛れもなく作者だ。クリエイターは彼らを不幸にしている。
『都合の良い理由を探してないかい? 小説を書かなくていい理由を探してないかい? 自分は正常だからって、筋の通ってない理屈で逃げようとしてないかい?』
そんな事ほざいている暇あるんだったら、さっさと小説家志望をやめろってな。小説書きたくないんだったら用済みだし、時間が無駄だろってな。そんな考え方してる奴なんてここには邪魔なんだよってな。
なんで私はここにいるんでしょうね? なんで私はまだ小説を書いてるんでしょうね? なんで私は生きてるんでしょうね? なんで私は彼らを不幸にしてるんでしょうね?
分かんないですよ。なんで私はこんな悪の所業をしたかったんでしょう。
『貴女が尊敬する小説家に対しても、そう思うのかい?』
「……思わない」
私はこう言っても、これからもエンタメ作品を見続けるんでしょう。たとえその中で架空で生きる彼らが不幸になっていたとしても。私は見るのでしょう。
もういいよ。作品を消費するだけの一般人になりたい。それだけでいい。もうやめたい。
『やめたいなら勝手にやめなよ』
何も考えずにただ呆然と見て面白いと思うだけの人間になりたいよ。そんな効果とか、展開の工夫とか考えたくないよ。そんな醜い企みを感じたくないよ。
それなら勝手にやめろよって話な。あぁ。
作家志望にもなりたくない。勝手にやめろよって話。
『作家を目指して行動しなきゃいけないと思い込んでいるから、苦しいんだよ。作家を目指して、積極的に動かないといけないって思っているから、苦しんだよ。もっと気楽になりな? 絶対に作家にならなきゃ死ぬってわけじゃないんだから』
あぁ、自分に呪いをかけたなぁ。
20歳になるまでにデビュー出来なかったら、死ぬっていう呪い。
実際は無いよ。それ。だから私は辛かったんだ。怖かったんだ。全部強迫観念だったんだ。
最後にハッピーエンドになれば、すべてチャラだって。
キャラクターにリスペクトがあればいいんだ。ちゃんと尊重しながら書いたらいいんだ。それだったら書いてもいいんだ。
そうだ。私は彼らの扱いが酷いと感じたから怒ってたのだ。ただの舞台装置だの、ただの物語の要素だの、そんな風に扱ってるんだって思ったから怒ってたんだ。
ちゃんと彼らの事を大切に思っているんやったら、私の心でも大丈夫なんだ。
ただ色んな創作の話を聞いていると、ちょっと部品チックに感じてまうからちょっと苦しいんだな。
あーやっと解決したわ。これでただの舞台装置としてやってる人を見たら「あぁ、彼らにリスペクトしていない人なんだな」って思えればいいだけの話だ。その作品を読んでから判断しよう。作品が一番だからな。
あーすっきりした。その違いか。
でも構成とか役割とか言ってたら本当にパーツのようにしか扱ってないんとちゃうかって思っちゃうんじゃが?
リスペクトしていながら役割を与えている……。うーんなんだか嫌だわ。最初からそういう能力を持っていて、それをこっちが見抜いて、それをどれだけ生かせる(魅せれる)かってのが私らの勝負所と考えたらいいのか。
自分の都合で不幸にしたのであれば、それを塗り替える程のハッピーエンドを作ってあげたら良いのでしょうか?
皆さまはどうお考えですか?
以上、竹春雪華でした~。