ジェイムズ・リーバンクス『羊飼いの暮らし』を読んで美しさについて考えた
「羊」ということばが好きだ。「羊飼い」ということばも。
どれくらい好きかと言うと、人よりも羊の数が多いというニュージーランドの「善き羊飼いの教会」で結婚式を挙げ、結婚パーティのテーマを「羊」にし、毎日「羊文学」の音楽を聴くくらい好きなのだ。(「羊文学」はあんまり羊そのものには関係ないのだけど、もしバンド名が他の動物だったら聴こうと思わなかったかもしれない)
だからこの本のことを知って、すぐに読んでみようと思った。
『羊飼いの暮らしーイギリス湖水地方の四季』
この本は、イギリス湖水地方で代々つづく羊飼いの暮らしを描いたものだ。
この表紙とタイトルを見て、のどかな湖水地方のゆったりとしたスローライフを勝手に想像していたら、大間違いだった。実際、イギリスの湖水地方にはそんなイメージを持って観光にくる人たちも多いのだという。なにしろワーズワーズの詩にも詠まれた風光明媚な観光地だ。ところが実際にそこで暮らす羊飼いの生活は、思っていた以上に過酷なものだった。
雨、長い雨で羊の飼料である牧草がみんな腐ってダメになってしまうこと、冬の寒さ、羊の病気、大忙しでまさにカオスな出産期、独特のコミュニティ、土地への帰属意識、同じ羊飼いである父との確執…。
やがて思春期には父親と気まずくなり、町にも嫌気がさし、(ちょうどトレインスポッティングが流行った頃)筆者はオックスフォード大学に進学するために街へ出る。(いやそれがすごいんだけど。オックスフォード大学って…)そしてしばらく街で暮らすも、やがて筆者は羊飼いとして故郷に戻ることを選択する。
冬の厳しさと春の喜びについて
羊飼いの仕事や天候の厳しさについての記述は多くあったが、とくに雨や冬の寒さについての描写がもうリアルすぎて、読んでいてこちらが辛くなるほどだった。
雪国生まれのわたしは、冬の雨の日に長靴に水が入ってきたときのことを思い出す。ほんとうに、足が濡れているというのは相当みじめなもので、それだけで陰鬱な気持ちになる。文章がリアルすぎて、読んでいるだけで足元が冷たくなってくるようだ。ところが筆者はこう続ける。
そう、冬には息を飲むほどに美しい瞬間がある。
晴れた日の真っ白な新雪、雪の影は空を映して青く、光の当たっているところがラメみたいにキラキラ輝く。吐く息は白く、指先は冷たくて凍えているのに、あまりの美しさにそこから動けなくなることがある。
そしてその厳しい寒さを乗り越えた春の喜びは格別なのだ。積もった雪の層にうっすらと大陸からの黄砂が混じり始める。やがて雪が溶け出すと、土の匂いがする。この土の匂いを嗅ぐと、冬眠から冷めた動物のような感じでワクワクと血がさわぐのだ。世界が喜びに満ちていて、光に溢れているのを感じる。あのどうしようもなく胸がときめく感覚、そういえば都会に住んでいると薄れてしまったなあと思う。
あれはやはり、厳しい冬の寒さがあったからこその感動だったのだと気がついた。
考えたのは、「美しさ」について
ところでこの本には、美しさに関する記述がたくさん出てくる。前述のような風景の美しさや、羊の美しさについてだ。そういえば「美」という漢字の語源は、「大きな羊」だという説があることも思い出した。イギリスの羊飼いと中国の漢字とは直接関係ないかもしれないが、「美」と「羊」には、人類共通の感覚として何か関係があるのかもしれない。
実際、品評会では「羊の美しさ」が重要な意味を持つ。優秀な羊の群れをつくるためには、地域の品評会で優秀な羊を見極めなくてはならない。その際に重要な基準となる条件のひとつが羊の「美しさ」なのだ。そして、それを羊たちもちゃんとわかっていて、人に見られているときにはその美しさを誇るような仕草をする、という部分も面白いなと思った。
美しさには機能的な意味がある
わたしはこの本を読んでつくづく、「美しさ」には何かしら、「機能的な」意味もあるのではないかと考えるようになった。
この文章には「春の夕焼けの美しさは、冬の終わりがきたことを知らせるものだ」とある。これは土地と結びついている羊飼いの祖父の考えであるが、このようなことが、もしかするとどのような仕事にも何かあったりするのではないかと思った。
たとえばわたしのウェディングドレスの仕事でいうと、仕事の道具を美しく整えること、左右均等につくること、バランスを取ること、整合性が取れていて自然であること。それから、パターンの線そのものの美しさ。
行き過ぎた美の追求は「ルッキズム」につながってしまったりして問題も出てくると思うのだが、ほんらいの美しさには、見た目だけのことじゃなくて、やっぱり何か見た目だけではない意味もあるのではないか。そんなことを考えたりもした。
美しいことばかりではない
とはいえ、動物を相手にする暮らしは美しいことばかりではない。生と死、もちろん血や汚物を浴びることもある。
それでも筆者は湖水地方の山で働くほど素晴らしいことはないという。凍えるほど寒い日や土砂降りの雨のときでさえ、窓ガラスに護られた現代生活では経験することのできない活き活きとした感覚が芽生えてくるという。
雪降るまちへ
この本は、イギリス湖水地方の羊飼いの物語だ。国も違うのに、この本を読みながらわたしがずっと考えていたのは自分の故郷のことだった。
山奥の田舎町で、雪がたくさん降った。ちいさい頃から絵を書くことと本を読むことだけが好きだったわたしは、この町には何もない、早く都会に行きたいと願っていた。寒さも雪もだいきらいだった。この本の筆者のように親と衝突することもあった。
それなのに、この本を読みながら思い出すのは、あの美しい雪景色のこと。雪に閉ざされた長い冬の暮らしと、春がくる喜びのことだった。そして厳しい冬の暮らしのなかで、雪かきのことも、凍結のことも、何も考えずにのほほんと冬を過ごせるようにしてくれていた、両親のことだ。
今年の冬は、雪の降るふるさとへ帰ってみようかな、と思った。
羊飼いにまかせとけ
最後にちょっと余談。
「羊」がテーマの結婚パーティをしたわたしたちは、入場の際に会場に流すCDを何にするか悩んでいた。羊に関係する曲なんて童謡くらいしか思いつかないから、音楽はもう羊から離れようと思って、ふたりが最初に見た映画のサントラから曲を選ぶことにした。
わたしたちがはじめていっしょに見た映画は、イギリス人映画監督ピーター・グリーナウェイの「英国式庭園殺人事件」だった。お互い偶然にもイギリスとピーター・グリーナウェイが好きで、こんなマイナーな映画をいっしょに見てくれる人は、もうあとにもさきにも現れないだろうと、結婚を決めたのだった。
結婚パーティの入場曲は「英国式庭園殺人事件」のマイケル・ナイマンの音楽に決定した。
そして決めてからCDで曲名を見てびっくり。その曲のタイトルは「Chasing Sheep Is Best Left To Shepherds」、なんと邦題は「羊飼いにまかせとけ」だったのだ。そのおかげか、結婚から20年以上たってもわたしたちはまだいっしょにいる。
うん、羊飼いにまかせとけば、まちがいない。