クリアウォーター

哲学史や哲学の本など、哲学にまつわることを書いていきます。父は有名哲学者。 2018年…

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哲学史や哲学の本など、哲学にまつわることを書いていきます。父は有名哲学者。 2018年から東京から地方移住。現在、千葉県南部に住んで、ときどき東京に行く二拠点生活者。女性です。好きなものは、コーヒー、紅茶、酒粕を使った甘酒。

マガジン

  • 私が哲学史を書く理由

    私と哲学との関わり、哲学を書く理由についてまとめています

最近の記事

父と哲学と死と(1)

父、心不全と腎不全が悪化し、「命は持って今年いっぱいまで」との余命宣告を受けてしまいました。 この夏くらいまで元気だった父は、体調を崩し、急遽、入院することに。今まで父から哲学に関する話を聞いてまとめて来ましたが、しばらくは哲学者である父の老いと介護を通じて、私が感じたことをメモ的に記述していきたいと思います。 悲しいという言葉で言い表せないくらい悲しいのですが、こういう時ほど、自分の心に蓋をしたり、自分の感情を誤魔化さない方がいいと思うのです。 このnoteでは、哲学

    • 【読書記録】「世界哲学」のすすめ(筑摩新書、納富信留著)

      「こんな哲学の見方があるんだ」と気づきを与えてくれる本だった。そして、とても読みやすい。こう書くと、新手の初心者向けの入門書と思うかもしれないが、そうではない。 本書は、「哲学」を開いていく本である。なぜ、哲学を開いていかねばならないのか? それは、哲学が硬直化した学問であるからだ。 そもそも日本の大学で「哲学科」というと、西洋哲学を学ぶところを指す。そこには、インド哲学や東洋哲学が含まれることはない。哲学とは、ドイツ、フランス、イギリス、北米の人たちのみの思索であり、そ

      • 夢は個人が見るものか? それとも集団の夢もあり得るのか?

        フロイトは、あくまでも医学としての精神分析であるので、夢は個人が見るものであった。これに対して、フロイトの弟子のユングは、あくまでも「集団で見る夢」の存在を主張していた。この決定的な違いは、例えば1913年10月に見たユングの夢の解釈によって説明されている。 1913年10月に見たユングの夢とは、次のようなものであった。 「恐るべき洪水が北海とアルプスの間の北の低地をすべて覆ってしまい、そこには巨大な黄色い波や文明の残骸が浮いていて、無数の溺死体が見え、やがてあたり一面、

        • ジグムント・フロイトの生涯と業績

          時代が前後してしまうが、フロイトの業績について補足をしておく。 フロイトは当時、オーストリア・ハンガリー帝国のモラビアの小さな街に生まれたユダヤ人であった。3歳の時にウィーンに移転したという。当時、ユダヤ人が人々に認められるには弁護士になるか医師になるかしか道がなかった。そこで彼はウィーン大学医学部に入学する。専攻は神経科であった。 フロイトの本格的研究は、当時、神経科係の最高の教授、パリ大学のシャルコー教授のもとで学び、ウィーン大学に帰ってきて、パリ大学シャルコー教授と

        父と哲学と死と(1)

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        • 私が哲学史を書く理由
          3本

        記事

          ナチズムの理解のために〜(4)大衆を惹きつけたヒトラーの「魅力」とは?

          これまで「カリスマ的性格」の持ち主の様々な事例を見てきた。その上で改めて20世紀中期のアドルフ・ヒトラーの持つ「カリスマ的性格」について考えてみよう。 再度指摘するが、カリスマに対する民衆の反応は2つあった。「畏怖の感情」と「魅惑される感情」の2つである。この2つの感情のうち、畏怖については言わずもがなである。ヒトラーは、国権の最高位「フィラー=最高指導者」であった。したがって、彼に逆らえば生きていられなかったのは、事実である。たとえ有力な党員であろうと、国防軍の将軍であろ

          ナチズムの理解のために〜(4)大衆を惹きつけたヒトラーの「魅力」とは?

          ナチズムの理解のために〜(3)M.ウェーバーによる「支配の三類型」

          「カリスマ」を宗教学、神学から社会学の用語へ 宗教学者、オットーの分析を受けて、マックス・ウェーバーが「カリスマ」という用語を社会学に適用し、「支配の三形態」の1つと規定した(支配の三類型)のは、あまりにも有名である。 「カリスマ的支配」…これはカリスマ的性格を持った者によって支配される形態。原始社会のシャーマンや巫女などによる支配が、その典型である。ただし、このカリスマが特定の血統によって引き継がれるようになると、「世襲カリスマ」となり、またこのカリスマが特定の能力と

          ナチズムの理解のために〜(3)M.ウェーバーによる「支配の三類型」

          ナチズムの理解のために〜(2)「カリスマ的性格」とその支配力

          ヒトラーの「カリスマ」的性格とは何か。 それを読み解くために、カリスマという言葉について考察してみよう。カリスマという言葉は、元はと言えば新約聖書に登場するものであり、神からの賜物、恵(=charisma)を意味する。そのことを新約聖書の「コリント人への第一の手紙」の第12章10あるいは第14章26で見てみよう。 「異言」を語るとは、実際には宗教的な恍惚状態の中で発せられる言葉であるため、日常の言葉とは違うという意味で異言という訳語を与えられたのであろう。だからこそ、新約

          ナチズムの理解のために〜(2)「カリスマ的性格」とその支配力

          ナチズムの理解のために〜(1)ヒトラーの人物像

          当時の世界の指導者たちのイメージ ナチズムとは一体何であったのか。それを紐解くにあたり、当時、世界の指導者たちのイメージをまとめてみることにする。ムッソリーニ、スターリン、チャーチル、ルーズベルト、そしてヒトラーの5人を「人物像」に焦点を当てて、比較してみると面白いことがわかってくる。 ヒトラーを除いて、帝王的であったり、貴族的であったり、エリートである。これに対して、アドルフヒトラーは、第一次大戦では下士官の伍長どまり、しかも学歴も今ひとつである。ただし、性格はカリスマ

          ナチズムの理解のために〜(1)ヒトラーの人物像

          日本についてもっと理解を深めたい

          この日記を昨年書いてからずいぶん時間がたった。現在、南房総エリアで週末仕事をして、東京の自宅で哲学者の父と過ごしている。 この春からは、某私立大学の科目履修生になり、週に1回、大学の講義を聞きに行っている。大学で履修しているのは「比較文学」と「アメリカ文化」で、哲学とはやや趣が異なる。 父から聞く哲学の話に限らず、オンライン講座などを使ってさまざまな哲学の教授の話を聞いて、または、哲学とは違う学問に触れる中、自分なりの哲学との付き合いについて考えている。 日本において「

          日本についてもっと理解を深めたい

          第一世界大戦以降の「西欧」思想の変貌

          第一次世界大戦は人類初の世界戦争、そして総力戦であり、それまでの19世紀的「伝統的市民社会」を徹底的に解体させた戦争だった。現代を生きる私たちからすると、第二次世界大戦の方を「大きな戦争」と捉えがちかもしれないが、人類初の総力戦という点で、第一次世界大戦の方が世界史的に大きな戦争であったと言える。 第一次世界大戦によって、19世紀的「伝統的市民社会」≒「いわゆるブルジョワ社会」が解体されたので、それに伴う思想もまた変遷せざるをえなくなる。 第一次世界大戦とは「何かが終わり

          第一世界大戦以降の「西欧」思想の変貌

          プラグマティズム

          プラグマティズムは、別名「実用主義」もしくは「道具主義」「実際主義」とも呼ぶ。従来の哲学に見られる人間精神の内在的本質など、いくら追求してみても意味はないとし、人間精神の実際的発現形態の分析、もしくは「言語活動」における「言語の使い方」に哲学を限定したほうがより、実際的、実用的であるとする考え方のことである。 19世紀後半のドイツ、フランス哲学にみるニヒリズム的傾向にも、プラグマティズムは反発をした。特に、アメリカ、イギリスで主張されたのが、このプラグマティズムである。

          プラグマティズム

          ジグムント・フロイト(1856〜1939)とフロイト学派、フランクフルト学派まで

          ウィーン大学の医学部教授。医師として一人ひとりの患者の面倒を見なければならない立場にあり、精神分析をした。フロイトの人間分析は三重構造であった。「超自我」「自我」そして「エス」の3つである。 フロイトの理論は、躁うつ病の研究には有効であった。ただし、分裂病にはまったく無効であった。 フロイトに対して反発したのがユングである。ユングはスイスの精神分析医。フロイトの忠実な弟子であったが、やがて反発する。第一次大戦直前、ユングは不思議な夢を見た。この夢で「集団的無意識」を主張。

          ジグムント・フロイト(1856〜1939)とフロイト学派、フランクフルト学派まで

          ニーチェ(1844から1900)

          ボンおよびライプツィヒ大学で古典文献学を学ぶ。24歳の若さでバーゼル大学教授となり、この頃からワーグナーの楽劇に心酔。しかし、ワーグナーの楽劇が反キリスト教的なものから、キリスト教受容に変化する頃、ニーチェは反ワーグナーの立場に変わる。 ニーチェの基本的姿勢は、西欧の近代を培ってきた「理性的なもの」「合理的なもの」に対する批判であり続けた。初期の代表作「悲劇の誕生」では、ギリシャ悲劇の本質を論じ、ワーグナーの楽劇理解につないでいく。 つまり、ギリシャ悲劇を「ディオニソス的

          ニーチェ(1844から1900)

          キルケゴールの実存主義

          ヘーゲルは普遍的な人間のあり方を追求しようとした。これに反発する形で登場したのがキルケゴールである。 キルケゴールは、ヘーゲル的な「普遍的人間のあり方」から「抜け出した部分」に価値を置おうとした。「共通の本質的あり方」とは違う「抜け出したあり方」に価値を求めるキルケゴールの哲学を「実存主義」と呼ぶようになった。ただし、キルケゴールのesse existentiaeを「実存」という訳語で呼ぶようになったのは、昭和に入って、あの九鬼周造らの訳語への努力の結果であった。それ以前の

          キルケゴールの実存主義

          【哲学用語】ヘーゲルの「外化」とマルクスの「疎外」

          「外化」とは人間精神が能動的に生み出したもの。ところが「外化」されたものが生み出した人間精神から、よそよそしい他者になってしまった状態、これを「疎外」と呼んだ。「外化」が「疎外」へと転化する。これはマルクスが主張したもの。この「疎外論」はマルクスを離れて、一般哲学用語となる。 「疎外」(Entfremdung) Ent→ものたらしめる fremd→よそよそしい もともとヘーゲルは、Entäußerung(外化)としていたが、Entfremdung(疎外)になってしまった

          【哲学用語】ヘーゲルの「外化」とマルクスの「疎外」

          マルクスとエンゲルス、そして資本主義の行方

          人類の歴史は、原始共同体の解体以来、支配と被支配の闘争、搾取と搾取との闘争の歴史であった。近代では、支配者としての「ブルジョワジー」と被支配者の「プロレタリアート」の闘争の時代である。しかし、ブルジョワジーとプロレタリアートの闘争は、やがてプロレタリアートの勝利に終わり、後に「支配」🆚「被支配」、「搾取」🆚「被搾取」の関係は終わり、輝かしい共産主義体制が確立されるだろう。これが1848年2月革命(フランス)の直前にロンドンで出版されたマルクスとエンゲルスのパンフレット「共産党

          マルクスとエンゲルス、そして資本主義の行方