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夢は個人が見るものか? それとも集団の夢もあり得るのか?
フロイトは、あくまでも医学としての精神分析であるので、夢は個人が見るものであった。これに対して、フロイトの弟子のユングは、あくまでも「集団で見る夢」の存在を主張していた。この決定的な違いは、例えば1913年10月に見たユングの夢の解釈によって説明されている。
1913年10月に見たユングの夢とは、次のようなものであった。
「恐るべき洪水が北海とアルプスの間の北の低地をすべて覆ってしまい、そこには巨大な黄色い波や文明の残骸が浮いていて、無数の溺死体が見え、やがてあたり一面、血の海に変わってしまってしまう」。このユングの話は、この時から数ヶ月後の1914年勃発の第一次世界大戦を前にして、当時の人々が慄いていた様子を映し出していた。当時の人々にとっては、真実味を帯びているものではあった。しかし、あくまでも医学としての立場から夢を分析しようとしていたフロイトは、ユングの「集団で見る夢」の話は、フロイトを困らせようとして作った作り話としてしか聞こえなかった。
そこで、フロイトは、弟子のユングを破門してしまう。しかし、ユングの見た夢は、近づく大戦に慄く一般大衆の心理を反映していたものであった。
精神分析を社会科学の対象に
とはいえ、ユングの「一般大衆の心理」などは、医学の対象にはならない。そこでユングは、精神分析を医学ではなく、社会科学の対象にしようとした。ここに正統「フロイト派」から独立した「ユング派」が成立することになる。
ただし、社会科学としてのユング派は当時の社会風潮に左右されやすく、1930年代に入るとナチズムの政治風潮が旺盛になり、不幸なことながら、ユング派の一部はこのナチズムに利用されることになる。
この他、様々な分派が1920年代から1930年代のドイツで大勢になる。この時の1つの集団(主として、フランクフルト市のユダヤ人集団)は、フランクフルト大学社会研究所に拠り、「ドイツ人の意識追求」に乗り出すことになる。この追求によると、当時のドイツ人の意識は、やがて大きくなるナチズムに好意的であるという結論に到達したため、彼らは急いでスイスを経てアメリカへの亡命を余儀なくされた。
その後、この集団はフランクフルト学派として、その成果は世界的なものとなる。ホルクハイマー、アドルノ、マルクーゼ、フロムといった人々であった。