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キルケゴールの実存主義

ヘーゲルは普遍的な人間のあり方を追求しようとした。これに反発する形で登場したのがキルケゴールである。

キルケゴールは、ヘーゲル的な「普遍的人間のあり方」から「抜け出した部分」に価値を置おうとした。「共通の本質的あり方」とは違う「抜け出したあり方」に価値を求めるキルケゴールの哲学を「実存主義」と呼ぶようになった。ただし、キルケゴールのesse existentiaeを「実存」という訳語で呼ぶようになったのは、昭和に入って、あの九鬼周造らの訳語への努力の結果であった。それ以前のexistentialismには訳語がなく、そのままの形で紹介されていた。

キルケゴール(1813から1855)

デンマークの哲学者。「不安の概念」(1844)、「死に至る病」(1849)などの著作を持つ。ドイツではシェリングのもとで学ぶ。当時のドイツはシェリング的なものを超えてヘーゲル哲学が全盛を誇っている時代であった。ヘーゲル哲学は、人間の理性的なあり方を個人、家族、市民社会、国家を通して語るものであった。

しかし、キルケゴールは、そんなヘーゲル的「理性的存在」を語ることでは、人間の実際のあり方は論じられないとする立場をとり、ヘーゲル的「理性的存在」ではなく、「抜け出した存在」に、本当の人間のあり方を求めた。

つまり、人間の本質論ではない、「本質をはみ出し、抜け出したあり方」に人間の本当の姿を求めようとしたのである。

このような考え方は、当時19世紀中期の良識ある人たちからは、大変な非難を浴びせられることになった。しかし、キルケゴールの思想は、確実に一部の人々の心をとらえ、20世紀に持ち込されることになる。

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