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ナチズムの理解のために〜(3)M.ウェーバーによる「支配の三類型」


「カリスマ」を宗教学、神学から社会学の用語へ


宗教学者、オットーの分析を受けて、マックス・ウェーバーが「カリスマ」という用語を社会学に適用し、「支配の三形態」の1つと規定した(支配の三類型)のは、あまりにも有名である。

マックス・ウェーバーによる「支配の三類型」

「カリスマ的支配」…これはカリスマ的性格を持った者によって支配される形態。原始社会のシャーマンや巫女などによる支配が、その典型である。ただし、このカリスマが特定の血統によって引き継がれるようになると、「世襲カリスマ」となり、またこのカリスマが特定の能力と結びつけば、官職カリスマとなる。例えば、神おろしの能力が強ければ、「神官」という職能カリスマとなる。

「伝統的支配」…これは長い歴史を持つ者に対する敬意の念によって成り立つ、支配形態である。

「合法的支配」…これは共通の「ノモス」(法秩序)を是認した共同体において成り立つ支配形態。近代社会が、その良い例である。ただし、この支配形態は、その「ノモス」を了解する専門知識が必要とされ、それに基づく官僚制が成立する。また、その「ノモス」の一部の知識によって専門官僚制が生まれ、「規則の鉄の檻の支配」が生まれる。

※マックス・ウェーバーは、近代社会が合法的支配によることを主張してはいるが、「法と規則の鉄の檻」と言って、必ずしも全面的に賛成しているわけではない。

以上の「支配の三類型」は、時代順に並べているようではあるが、実は共時的にもあり得るものなのである。近代の合法的支配の元でも、カリスマ的支配はあり得るし、また伝統的支配もあり得る。

近代社会におけるカリスマ的支配の例が、現代におけるヒトラーの支配であったし、また、近代社会において長い歴史を持つものに対しての畏敬の念もある。例えば、数百年の歴史を持つ「虎屋の羊羹」と、最近開店したばかりの新参の和菓子屋の羊羹のどちらを手土産として、訪問先に持っていくか。答えは明確である。

以上の「支配の三類型」の中で、ここで特に問題とすべきは、やはり共時的に存在する「カリスマ的支配」である。

カリスマ的支配の2つの要素

宗教学者オットーが指摘し、社会学者ウェーバーも是認したごとく、カリスマ支配には2つの要素があり、「人々をして畏怖の念」もしくは「魅惑の情」を抱かせるかである。


カリスマ的性格を持った者は、人々をまず恐れ慄かせる。それでいて、彼は、人々を魅了する側面も持つ。このような相反する2つの性格を持つフィギュア(像)を民俗学的に尋ねるなら、すぐにも了解されよう。

例えば、東北の秋田地方に残る「なまはげ」である。「なまはげ」の異様な面と風貌は、尋常のものではない。子供たちをまず慄かせる。しかし、どんな家庭も、恐ろしいなまはげに訪問してもらいたくて、各家庭はご馳走を用意して待っている。異様ななまはげは、子供たちに幸をもたらしてくれる側面を持っているからである。まさに、なまはげは、恐れと喜びの両方の性格を持ち、神によって与えられた「聖なるもの」なのである。

ジャンヌ・ダルクなど歴史上の具体例

ところで、この「カリスマ的支配」を具体的に歴史上に求めることは可能だろうか。十分可能である。まずヨーロッパ史から。

BC 4世紀、マケドニア王アレクサンドロスとペルシャの大王ダレイオス3世との戦いについて見てみよう。今日残されている石版で見る限り、ダレイオス3世はいかにも皇帝然とした装いと風体であるのに反して、若いアレクサンドロスは一般兵と大して変わらない風貌である。この顔を見る限り、アレクサンドロスは軍事的才能を持っていたのは言うまでもないが、多くの非マケドニア兵をも心服させる魅力を備えていたようである。

BC 1世紀共和制末期のローマ、三頭政治家の1人、カエサルが他の2人を圧倒して、帝政への道を切り開いたも、彼のカリスマ的力量があったからではないか。

中世に入ってなら、AD 14世紀から15世紀にかけて、英仏間で戦われた100年戦争の末期、意思薄弱なフランス王シャルル7世を助けて、イギリス軍と戦ったジャンヌ・ダルクを思い返していただきたい。

彼女は神からの「啓示」を受けたとして、フランス軍の先頭に立ち、フランス軍を叱咤激励した。彼女はまさにカリスマ的性格であったと言える。それとも、周りのものが彼女をカリスマに仕立て上げたのかもしれない。もし彼女がイギリス軍に捕まり、魔女として火振りされなかったら、シャルル7世との関係がどうなっていたのか面白いところである。

当時、新興国であったロシアでも同じことである。モンゴルからロシアの自立を勧めていたイワン4世を考えていただきたい。彼のひげ面を、当時の貴族たちがこぞって真似しようと競い合ったほど人気を持っていた反面、彼は「雷帝」ともあだ名されるほど厳しい側面を持っており、貴族たちに恐れられていた。まさに、「魅力と畏怖の両面」を備えたカリスマ的君主であったと言ってよい。ヨーロッパ近世近代史で、カリスマ的性格の君主政治家を求めたらキリがない。

日本史の中のカリスマ

ところで、日本史にカリスマを求めたらどうなのであろうか。初代、神武天皇は賊徒を討伐しようとした際、弓の先に金色のトビが止まり、賊徒はその金色のトビに目が眩み、討伐されてしまったという。天皇を、神から与えられた光で飾り立てたエピソードである。社会学的用語で言うなら、「カリスマ的意向」で飾り立てたということになる。神話時代の帝王の姿は、どこの国を取ってみても、このスタイルをとっている。魏志倭人伝の伝える、卑弥呼も典型的なこれである。

歴史時代に入って、カリスマ的性格の持ち主として誰しも知っている人物は、おそらく織田信長であろう。彼は、人材登用に抜群の能力を持ち、多くの有能な人材が彼の元に集まった。しかし、彼はその人物を意に沿わぬとみなせば、容赦なく切り捨てたのであり、恐怖の対象でもあった。


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