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ナチズムの理解のために〜(4)大衆を惹きつけたヒトラーの「魅力」とは?

これまで「カリスマ的性格」の持ち主の様々な事例を見てきた。その上で改めて20世紀中期のアドルフ・ヒトラーの持つ「カリスマ的性格」について考えてみよう。

再度指摘するが、カリスマに対する民衆の反応は2つあった。「畏怖の感情」と「魅惑される感情」の2つである。この2つの感情のうち、畏怖については言わずもがなである。ヒトラーは、国権の最高位「フィラー=最高指導者」であった。したがって、彼に逆らえば生きていられなかったのは、事実である。たとえ有力な党員であろうと、国防軍の将軍であろうと、有力な貴族の末裔であろうと、容赦はなかった。ヒトラーの無慈悲な処置には、多くの高位高官も震え上がっていたものである。では、その畏怖の対極をなす、「魅惑」のほうはどうであったのだろうか?

フリードレンダー「ナチズムの美学」での見解


ヒトラーの持つ魅惑については、次のような意見がある。チェコはプラハ生まれの思想家で、ナチスのチェコ併合によってフランスに亡命を余儀なくされ、戦後はイスラエルに移住した、ソール・フリードレンダー(Saul Friedlander)の見解である。

彼は著作「ナチズムの美学(Reflects du nazisme)」の中で、ヒトラーの持つ魅惑を「kitsch(キッシュ)なものだ」と指摘している。普通、キッシュと言うのは俗悪なもの、または、いかさまなものという悪い意味で使われているが、フリードレンダーに言わせると、キッシュとはそんなものではないという。

彼に言わせると、キッシュとは「単純化され、下劣なもの無味乾燥なものとはなっているが、しかしそれだけに、人々の心に染み込む力を持つ、ある種のロマンチックなものだ」というのである。

「ナチズムの美学」より

そう言われてみると、ヒトラーの多くの写真を見ていただきたい。ムッソリーニのように羽飾りのついた華麗な帽子をかぶり、高台から群衆を見下ろしているわけではない。また、伝統貴族の後継者であることを自認する尊大なチャーチルのポーズでもない。あるいは、エリート一族のエリート性を前面に出し、常に民衆を教え諭す立場を取る、あのルーズベルトの姿勢でもない。

ヒトラーの写真は、どれを見ても近づきやすいキッシュな服装であり姿勢である。彼の自殺直前に結婚することになるエヴァ・ブラウン嬢にしても、皇帝の権力を上回る権力の所有者の愛人であるのなら、もう少しましな洋服、貴婦人らしい身なりをしてもよいはずなのに、写真で見るごとく全くそうではない。

彼女の身なり、服装はどう見ても、どこででも見られるキッシュな中産階級の女性の姿そのものである。

流行歌「リリー・マルレーン」に見るキッシュの典型


フリードレンダーはナチズム時代、ドイツ軍兵士たちの間で大流行し、なんと連合軍兵士たちも同じく歌った流行歌「リリー・マルレーン」の歌にキッシュの典型を見ている。

薄情な青年と一途な思いの少女の恋物語であり、結局彼女の自殺で終わる話、これはどこにでもありそうなキッシュの話でありながら、それでいて、人々の胸に染みる歌であった。この歌はドイツ生まれでありながら、反ナチズムのためフランスに亡命し、さらにはアメリカに亡命せざるを得なかった国際的な高名な女優マレーネ・ディートリッヒによって歌われることによって国際的な流行歌にまでなったのである。

この歌はどこにでもあるキッシュの話を題材にしていながら、結局は愛のために死んでも悔いはないと歌い上げている。これを歌うドイツ軍にとってはヒトラーへの忠誠は「死」を賭けても悔いはないという思いにすり替えられてしまったのだ、という。もちろん、そんなつもりで歌われたのではないにしても、である。

以上、流行歌「リリー・マルレーン」のドイツ軍兵士たちの受け止め方の紹介は、風俗的次元に至るまでのヒトラーのカリスマ性に対する反応の例として挙げておいたものである。

しかし何はともあれ、1945年4月30日のヒトラーの自殺によって、ドイツの命運は決した。

このカリスマの死について注意すべきことは、ナチズムとそのカリスマは外的な軍事力によって潰されたのであった、という点である。この時から30数年後の社会主義が内的に崩壊したのとは大きく違う。

ナチズムとカリスマの問題は、戦後の民主主義を考えるにあたっても大きな教訓になるはずである。

父が書いてくれたメモ

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