大野の民泊宿ねこばやし

福井県で「空き家を活用した大野の民泊宿 ねこばやし」を運営しています。「とほネットワーク 旅人宿の会」参加宿です。ファイナンシャル・プランナーの視点で、民泊・空き家の活用・地方移住・二拠点生活・副業(複業)について書いていきます。

大野の民泊宿ねこばやし

福井県で「空き家を活用した大野の民泊宿 ねこばやし」を運営しています。「とほネットワーク 旅人宿の会」参加宿です。ファイナンシャル・プランナーの視点で、民泊・空き家の活用・地方移住・二拠点生活・副業(複業)について書いていきます。

最近の記事

「とほ宿」への長い道:その25(完) とほ宿になった

「旅の轍」経由、とほ宿総会の会場・東大雪ぬかびらユースホステルへ2023年11月7日。年に一度行われる「とほネットワーク旅人宿の会・総会」出席のため小松空港から北海道・千歳空港へ飛んだ。1989年3月、北海道大学受験のため同じ航路の飛行機に乗り初めて北海道の地を踏んだ。受験後のあの夜のことが無ければこの世界は知らなかったかもしれない。 千歳空港に着いたら、筆者を「とほ」に誘ってくれた、追分の宿「旅の轍」宿主ののみぞう氏が迎えに来てくれていた。コロナの頃オンライン飲み会で出会

    • 「とほ宿」への長い道 その24:本州の宿主たちと会う

      初めての夏宿を開業して初めての夏が来た。 「とほ宿」は49宿中40宿が北海道にあり、カラっとして暑くない北海道にはたくさんの旅人たちがやってきて宿の稼ぎ時だ。しかし福井は都会ほどではないにせよ日中は暑い。夜は気温が下がるが・・・当宿に泊まる人は荒島岳に登る人が多いのだが、標高が1523mしかないので夏は灼熱だ。 それでもいろんなお客さん来た。 関東から九頭竜川に鮎釣りに来たグループ、関西から来たスポーツ少年団、BBQしに来た地元の大学生のグループ、中京方面から来て恐竜博物

      • 「とほ宿」への長い道 その23:開業からの半年間

        客が来ない日々2022年12月8日、ようやく「民泊ねこばやし」は開業した。開業が決まらないと予約受付は出来ないし、12月といえば多忙な時期だ。それは十分にわかっていたが、ぜんぜん予約の連絡が入らない。 心のどこかで知り合いや旅宿好きな人たちが泊まりに来るのではないかという淡い期待を抱いていたが、甘い予想だということを思い知らされた。その上、新型コロナの第8波が到来し更に水をさした。積極的に集客はできない。 年が明け、登山会の団体が連泊したり昔の知り合いが来てくれたりして泊り

        • 「とほ宿本州ブロック会議」に行ってきました!

          「とほネットワーク旅人宿の会」の宿主たちが集結ウチの宿が加入している「とほネットワーク旅人宿の会」は、年に一回北海道で宿主が集う総会があります。その前に各ブロックで意見を出す会議があり、先週行ってきました! 因みに「とほ宿」は現在49宿ありますが、うち40宿は北海道で、9つしかない本州は面積としては広大なのですが1つのブロックとなります。会場は各ブロック内で持ち回り、今年は本州最西端の宿、福山の「かがやきの花」でした。 「秋の乗り放題パス」で移動宿のある福井から福山(「かが

          「とほ宿」への長い道 その22:開業

          宿でマーケット開催、告知のためにHP立ち上げ2022年10月中旬。 宿のある蕨生でいつもお世話になっている若い人がいて、その人が近隣のオーガニック農家と結成している「わかなえオーガニックプロジェクト」の方から、宿の建物でマーケットをやりたいという申し出があった。 開催日は10/22(土)、申し出があってから1週間しかない。各メンバーが周知することになったが、場所を提供する自分も告知することになった。いつかは作ろうと思っていたホームページを前倒しで立ち上げた。 もともと自身の

          「とほ宿」への長い道 その22:開業

          Uターン13年目、田舎の民泊宿主が見た東京

          「福井県移住・交流フェア」で、2年ぶりに上京民泊宿というのは客が週末に集中するので、いつもなら土日にお出かけというのは無いのですが、筆者の本業は地方移住支援ファイナンシャル・プランナー。(宿は副業)。9/7(土)に東京・有楽町で「福井県移住・交流フェア」があり、相談員のミッションのため上京しました! 以前は航空機の早得チケットを使うことが多かったのですが、北陸新幹線の「eチケット早特14」を使えば、福井‐東京間を10,920円で行けます。空港までの交通費を考えると全然安いし

          Uターン13年目、田舎の民泊宿主が見た東京

          Uターン13年目。移住を考えている人に言いたいこと

          東京で「福井県移住・交流フェア」に出ます!今週末、宿はお休みとさせていただきます。上京して、9/7(土)に有楽町の東京交通会館で開催される「福井県移住・交流フェア」に出ます! 12:30から30分ほど、移住とお金の話をする予定です。それ以外の時間も、ブースで移住相談します! 週末の稼ぎどきに宿を閉めて出張するわけですが・・・自分の中では民泊のほうは「副業」(というか7割くらいは趣味)で、本業は「地方移住支援ファイナンシャル・プランナー」です。こういう場をいただけるのは非常に嬉

          Uターン13年目。移住を考えている人に言いたいこと

          「とほ宿」への長い道 その21:開業準備

          宿の名前は「ねこばやし」に物件も決まり、宿の開業に向けて準備を始めた。 資金は無いし、なるべく早く開業したかった。自分は宿業の経験が無いし、こっくりと計画を立てて初期投資して万難を排して開業するのではなく、まずは開業し当初は本格的な集客を行わず、1人2人と来るお客さんから直接意見を聞いてオペレーションを成熟させていきたかった。 この2年間コロナで旅行業界は大きな影響を受けたが、もうそろそろ終息してもおかしくない。2年後の2024年には北陸新幹線も福井にやってくる。そして、本業

          「とほ宿」への長い道 その21:開業準備

          「とほ宿」への長い道 その20:宿の物件が決まる

          空き家の持ち主とオンラインで打ち合わせFP仲間がSNSで拡散してくれたこともあり、大野盆地の東の端で日本百名山・荒島岳の麓、蕨生地区で宿の候補となる物件を見つけた。前年に開業していた「道の駅越前おおの荒島の郷」にも近い。2022年7月7日、関西在住の空き家物件の持ち主の方とオンラインで打ち合わせをした。 お互い自己紹介と挨拶をした後で、持ち主の方が最初に言ったのは「小林さん、あの場所で宿をやって、お客さん来るんですか?」だった。 しかし前の物件の返事待ちをしている2か月の間に

          「とほ宿」への長い道 その20:宿の物件が決まる

          「とほ宿」への長い道 その19:宿の物件探し

          「貸してほしい」という返事を3か月待つ2022年3月末。 「その18」で書いた、ゲストハウスの開業を断念したという人に今後開業の予定は無いかあらためて聞いてみたが100%無いという。自分が物件を借り、管理人となりゲストハウスを立ち上げたい旨伝えたのだが、そう言われてもすぐには判断できないので検討しますということになった。 それからは何も準備が出来ず、宿の開業を決意したというのにただ待つだけの日々だった。ある意味この期間が一番辛かった。ごくごく親しい人には、宿の開業を考えている

          「とほ宿」への長い道 その19:宿の物件探し

          「とほ宿」への長い道 その18:ついに宿開業を決意

          父親の事業を継承し個人事業主に2020年の春は誰もが鮮明に覚えていることだろう。新型コロナウイルスの蔓延で、まともに外出出来ない日が続いた。   zoomが急激に浸透した。その14で書いた「彦根ゲストハウス無我」の宿主・村田氏からFacebookでオンライン飲み会の告知があり、北海道で千歳空港から一番近いとほ宿「旅の轍」の宿主・鈴木氏(通称:のみぞう)と一緒に旅の話題を肴に飲んだ。後の話になるが「とほ宿」への加入を勧めてきたのはのみぞう氏だ。   2012年に福井にUターンし

          「とほ宿」への長い道 その18:ついに宿開業を決意

          「とほ宿」への長い道 その17:大野との縁

          その1 営業・活動でたびたび大野を訪問筆者は福井県の県庁所在地である福井市の出身で、いま宿を構えている大野市に住んだことがあるわけでも、血縁者がいるわけでもない。しかし、全くつながりが無かったわけではなく、今思えば思い当たるところはいくつかあった。 因みに大野市というのはこんな場所である。 ・福井県ではいちばん東に位置し、岐阜県高山市・郡上市・関市・本巣市・揖斐川町と接している。面積は福井県で最大(福井県の約5分の1を占める) ・人口:30,185人(2024年5月1日現在)

          「とほ宿」への長い道 その17:大野との縁

          「とほ宿」への長い道 その16:福井の変化

          福井駅前に賑わいが戻ってきた「その13」で、2011年末に福井にUターンしてきた時の状況を書いた。 浜田省吾歌うところの「Money」の一節、「この街のメインストリート 僅か数百メートル」のような状況だった。自分が小学生の頃・1980年に唯一の百貨店である「だるまや西武」(現・西武百貨店福井店)がオープンして以来つくりがほぼ変わっていない、むしろ車社会で人の流れが郊外のショッピングセンターに移っていたので更に寂れていた。 しかし2009年に北陸新幹線の「福井駅部」が完成し、2

          「とほ宿」への長い道 その16:福井の変化

          「とほ宿」への長い道 その15:隣の県・石川

          石川県と福井県の関係福井県は4つの県と接しているが、このうち岐阜県と滋賀県と京都府は東海・近畿と地方区分が異なるため、「隣の県」といえば同じ北陸地方の石川県と言える。そもそも古代は越前国の一部だった。 ”県域は飛鳥時代には越国あるいは三越分割後の越前国に含まれていた。奈良時代に入り、718年に羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立てられた。 能登国は741年越中国に併合され、このころ大伴家持が越中国の国司として赴任している。757年には越中国から分離し、再び能登国が

          「とほ宿」への長い道 その15:隣の県・石川

          「とほ宿」への長い道 その14:関西に通う

          営業活動で福井県ほぼ全域を訪問2012年、23年ぶりに福井にUターンしてきたわけだが、仕事のほうはというと、父親がやっていた保険代理店の手伝いだ。 車で福井県の嶺北地域一帯を回った。(因みに福井県は嶺北地域と嶺南地域、旧国名でいえば越前国と若狭国に分かれるが、北陸トンネルで嶺北と隔てられている敦賀は嶺南地域でかつ旧越前国エリアである。 なお、嶺北地域と嶺南地域の人口比は約4:1) 本当にたくさんの家庭を訪問した。東京にいた時には「地方生活者」というのはステレオタイプなイメー

          「とほ宿」への長い道 その14:関西に通う

          「とほ宿」への長い道 その13‐福井へUターン

          23年ぶりに郷里・福井に住むことに2011年の暮れ、高速バスに乗って郷里の福井に戻ってきた。大学入学で関西に出て以来、福井に住むのはほぼ23年ぶりだった。この時点で41だったから、人生の半分以上は県外で生活していたことになる。 この時点では福井にはほぼ知り合いはいなかった・・・というか、大学進学で県外に出た若者が新卒で福井県に戻ってくるのは約3割だという。 「幸福度日本一」を標榜していることもあり、福井県の公教育のレベルは高い。公立の中学高校でも受験対策の課外授業があり大

          「とほ宿」への長い道 その13‐福井へUターン