「とほ宿」への長い道 その23:開業からの半年間
客が来ない日々
2022年12月8日、ようやく「民泊ねこばやし」は開業した。開業が決まらないと予約受付は出来ないし、12月といえば多忙な時期だ。それは十分にわかっていたが、ぜんぜん予約の連絡が入らない。
心のどこかで知り合いや旅宿好きな人たちが泊まりに来るのではないかという淡い期待を抱いていたが、甘い予想だということを思い知らされた。その上、新型コロナの第8波が到来し更に水をさした。積極的に集客はできない。
年が明け、登山会の団体が連泊したり昔の知り合いが来てくれたりして泊り客が全然いなかった訳ではないのだが、稼働日数でいえば
2022年12月:1日
2023年1月:2日
2月:4日
3月:2日
そして4月はゼロだった。
最初からうまくいくわけはない、と自分に言い聞かせるがさすがに気が滅入ってくる。
4月、庭にはエドヒガン(ソメイヨシノの1方の親)の大木が花をつけた。花見BBQを告知するもやはり誰も来ない。一人でBBQしながら、どうすればお客さんは来るのだろうかとつらつら考えた。
集客のために動きまくる
手をこまねいていたわけではない。
まず、2022年末に地元の「福井テレビ」から取材を受けたのだが、年明けにオンエアされた。
知り合いからは「見たよ」と連絡が入ったが、集客には何らつながらない。
何とかしなければならない。昨秋にとりあえずホームページのコンテンツを充実させた。「行き方がよくわからない」ということで、YouTubeに宿への行き方動画もアップした。
そもそも「民泊」という形式自体、一般の人には馴染みがない。どのような宿なのかを知ってもらうためにブログも定期的にアップした。今でも週に1回はブログを更新するようにしている。
越前大野駅から近くの宿とか、個室に泊まれる宿と勘違いしたお客さんが来るとクレームになる可能性がある。あくまでもゲストハウスということを強調した。自分の中ではむかし通った「とほ宿」が念頭にあった。
まだ慣らし期間中ということで、Booking.comなどのOTA(宿泊予約サイト)への登録についてはまだ判断を留保していたが、露出度を高めるために大野の観光協会のページとかTripAdvisorとかライダー向けサイトとかあちこちの情報サイトに登録した。
特に、Googleマップに様々な情報を掲載できる「Googleビジネスプロフィール」には写真やQ&Aなどできる限りの情報を掲載した。
ネット上だけでなく、地元の朝食会や異業種交流会などには積極的に顔を出し名刺を配りまくった。自分の知る限りでは、ネットで名前が売れている人というのはリアルの世界でも積極的だ。名刺は今まで800枚刷っている。
また、大野市の観光課から「農家民宿」の登録をすすめられたので登録し、観光課にも「農家民宿」を統括している農業ビジネスセンターにも挨拶に行った。「ふくいエコ・グリーンツーリズム」を運営していて、当宿も登録させてもらった。「農家民宿」はイベントの周知やセミナーなどで様々な支援があり、今でも足を運んでいる。
「旅の轍」のみぞう氏から「とほ」のお試し入会を勧められる
いろいろ手を打ったこともあり、ゴールデンウィークには宿泊客が数人という日が何日かあった。コロナは5類に移行した。しかしその後も閑散とした日が続く。
そして本業の売上は更に右肩下がりで悪化していった。更に焦る。しかし、むかし国際電話会社にいた時の記憶があり、構造不況の業界において個々人ががんばっても状況を挽回するのはほぼ不可能ということを理解していたので、まず宿を軌道に乗せ、それから地方移住ファイナンシャル・プランナーとしてのビジネスも売上を立てるよう心は決まっていた。
その少し前に、北海道追分のとほ宿「旅の轍」宿主・のみぞう氏から「とほネットワーク旅人宿の会」への入会を勧められた。自分もいずれは「とほ宿」になりたいとは思っていたが、それなりにランニングコストがかかることと、年180日しか営業できない民泊の宿は入会できないだろうと思っていた。しかし民泊でも加入できるという。そして、入会前に「お試し入会」という制度があるという。何せ全然客が来ないし、ノーコストでやれる手段はやり尽くした。ここは投資が必要な時。のみぞう氏の推薦を得てお試し入会してみた。
GW明けに「とほ」のホームページ上で簡潔にその旨が告知された。
それまでは宿のホームページへの経路はGoogle検索経由、それもスマホからの検索が8割を占めていた。特に先に挙げたGoogleビジネスプロフィールは効果的だ。しかしお試し入会告知後2週間は、「とほ」のホームページ経由のアクセスがそれを上回った。少子化や若者の旅離れで「とほ」の勢いはかなり弱くなってるのではとも思ったが、やはり老舗の影響力は健在だ。因みにいろいろ登録した旅情報サイト経由でのアクセスはほぼ無きに等しきだった。過去には「とほ」のような集まりを目指したサイトも何度か出来たが大体は自然消滅していった。40年近くの歴史というか持続している実績というのは重いものだと感じた。
信州大町「ポッポのお宿」に行く
細々ではあるが、ファイナンシャル・プランナーとしての仕事も継続して入っていた。
7月上旬、日本FP協会富山支部からの招きで「とやまFPフォーラム2023」の講師として登壇することになった。お題は「Z世代の方へ! インフレ時代を生き抜く「将来のための3つの投資」をFPが解説!」。
福井から富山へはJRを使えば1時間そこそこで行ける。しかし交通機関の乱れがあることを想定し前日夜に富山入りした。
宿は富山駅近くの「泊まれる図書館 寄処」を選んだ。富山大学の学生たちが運営しているゲストハウスだ。
宿ではあるが学生たちの溜まり場のようになっている。
20代のワカモノたちと話をする機会というのは中々無いものだ。率直に言うと、宿をやっている個人事業主である自分とそれほど意識のギャップは感じない。というか、如何にしてイージーな人生を歩めるかという今にして思えば甘っちょいことを考えていた30年前の自分と比べるとしっかりモノを考えていると思った。インターネットで様々な情報が手に入るし、先輩たちがインターンであちこちの企業で働いてるからだろうか。30年前は企業と学校教育というのは隔絶された世界だった。ビジネスマンとして適切な教育を受けずに社会に出た若者と、企業人がアカデミズムとビジネスを切り離して考えていたのが今のこの国の停滞を招いた一因なのではないかと思う。ただ一夜の寝場所というだけでなく、いろいろな気づきがあった。
翌日、「とやまミニFPフォーラム」で本番を迎えた。
決して一般論で話をしたわけではない。自分の会社員時代の経験を踏まえた内容だ。企業というのは永続するわけでなく、それを前提に人生設計すればいつかは詰む。この30年間はデフレが続いたがこれからはそうなるとは限らない。会社員時代の蓄えだけで生きていくのは厳しい。だから自分でライフプランを立て、「金融商品」「自分が住む家」「将来」に投資し、インフレに対応しつつ副業や投資も活用して一生を乗り切ろう!という内容だった。
しかし終了後、年配の知人から「オマエの言うことは悲観的過ぎる!」と叱責される。日本という国、自分の勤めている会社に滅私奉公すれば大丈夫。それに凝議を挟むとは何事か?ということだ。でも、それは自分たちが良い時代を生きてきたからだろう。人の想像力というのは過去の経験にある程度制約される。彼とは10歳くらいしか離れてないが価値観のどうしようもない相違を感じた。
翌日はそのまま福井に帰ってもよかったのだが、せっかく富山まで来たので信州にまで足を運ぶことにした。
「旅の轍」のみぞう氏から、「とほネットワーク旅人宿の会」の正会員になるには2つの宿から推薦が必要と聞いていた。のみぞう氏とは別にもう1つの宿主から推薦が必要だ。まだ本会員加入を決めていたわけではないが準備はしておきたい。むかし通った宿は数多あるが、大部分が北海道だ。本州にもいくつかあったが閉館したり脱退したりしている。信州・大町の「ポッポのお宿」は何度か行ってるし、こういう依頼にも応えてくれそうに思った。
行くのは20年ぶりくらいだった。当時は目の前に「大町スキー場」があり、小規模ではあったがスキー場唯一のレストランとして営業していたのでそれなりに実入りはあったようだがその後閉鎖されていた。
どうなっているだろうかと思いながら行ったが、宿も宿主のポッポさんもほぼほぼ昔のままだった。ポッポさんは70を過ぎていたが、相変わらず呑んべえでいい加減であったかい人だった。
その日の客は自分ひとり。しかも、7月に入って初めての客だという。ポッポさんはホームページどころかメールも使えない。「とほ」以外にプロモーションの手段もない。しかしスキー場跡地に出来たクレー射撃場のお客さんとか、むかしからのリピーターのお客さんが来て宿は維持できている。決して繁盛している状態ではないとはいえ、ポッポさんには悲観的な空気も年下の人間を見下す姿勢も微塵も無かった。先に書いた知人とはエラい違いだ。自分も歳をとってもいい意味で変わらない生き方をしたいものだ。
自分はといえば、宿は低調だし自分自身の将来も不安しかなかった。しかしずっと変わらないポッポさんの生き方を見て、将来に不安があったからといってジタバタし過ぎることはないし、宿を維持し旅人たちと酒を飲み交わすことができれば、人生に不足することなど何があろうかと思った。
決して順風満帆とはいえないが、自分の中に旅宿の宿主としてのマインドが固まっていく。(つづく)
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