「とほ宿」への長い道 その20:宿の物件が決まる
空き家の持ち主とオンラインで打ち合わせ
FP仲間がSNSで拡散してくれたこともあり、大野盆地の東の端で日本百名山・荒島岳の麓、蕨生地区で宿の候補となる物件を見つけた。前年に開業していた「道の駅越前おおの荒島の郷」にも近い。2022年7月7日、関西在住の空き家物件の持ち主の方とオンラインで打ち合わせをした。
お互い自己紹介と挨拶をした後で、持ち主の方が最初に言ったのは「小林さん、あの場所で宿をやって、お客さん来るんですか?」だった。
しかし前の物件の返事待ちをしている2か月の間に、知り合いの一部からも言われていた話だったので、自分としては想定していた反応だった。
オンラインでは伝えることができる情報量:話の内容というよりは表情や声のトーンのような「非言語的要素」が、対面と比べるとかなり少ない。相手に伝えられる熱量が足りないと、内容そのものも頭に入ってこなくなる。
それを補うためには口で説明するだけでは不十分、少しでも相手に自分の考えを伝えるために相手に説明するプレゼン資料などビジュアル的なものを用意しておくべきだと思う。動画コンテンツが隆盛を極めているが、多くのユーチューバーはただ語るだけではなく、目を引く大きな文字でテロップを用意し刺激的な煽り文言を並べる。ただの「テレビ電話」的なやり方では相手には自分の思いは伝わらない。この時もあらかじめプレゼン資料を用意していた。話の内容を箇条書きにしておくだけでも相手の理解力は高まる。
まず、自分の思いをストレートに伝えた。
このnoteの連載でも書いたように、自分自身旅が大好きでいつかは自分で宿をやりたいという思いを持ち続けていたこと、地方移住ファイナンシャル・プランナー(FP)として活動していて、宿を運営することは地方移住推進にもつながること、そして地元でFPとして活動する中で仲間がいて、今回は大野在住の仲間に話をつないでもらったことを話をした。
相手にしてみれば自分は見ず知らずの人間だ。いったい何者?だと思うのが普通だろう。この物件にたどり着いた経緯を丁寧に話をした。
初対面の相手と話をする前にしておくべき準備
今回は知り合いを介してオンライン面談にこぎつけたが、ほぼ初対面も同様だ。
今回の空き家の話というよりは一般論になるのだが、その場で内容の濃い説明をして情熱をぶつけたとしても、相手の気持ちを動かすのは簡単ではない。内容だけでなく、いやむしろ内容以上に相手の素性や人柄を気にするものだ。
ビジネスで話を進める場合、相手の肩書や学歴職歴、そして共通の知り合いがいるかどうかといった要素が大事だし、それだけでなく人間性も気になるところだろう。いわゆる有名人でないのなら、自分という人間を知ってもらう努力を地道に積み重ねていかねばならない。ビジネスで話をした相手が本気で取り組もうと考えているのなら、自分という人間に興味を持って、名前をネットで検索するのではないだろうか。
筆者の場合、ファイナンシャル・プランナーとしてのホームページを自分で作成し、自分の得意分野や講演・執筆実績などを掲載している。
またSNS、特にFacebookには定期的に近況や時事ネタに関する自分の考えなどを投稿しているし、異業種交流会や飲み会などで知り合った人には必ず翌日に友達申請をしている。友達の数は1300人を超える。
投稿のテーマについては、人の悪口や毒吐きや、政治などのデリケートなテーマについてはストレートな物言いはしないようにしている。表現についても毎回一言一句、「てにをは」も慎重に吟味した上で投稿している。ダラダラ長い投稿というのはそれだけで読み手の印象を悪くするので3行程度に集約している。自分でビジネスの案件を引っ張ってくる人はSNS投稿の頻度と質について気を配るべきだ。
また、こうやって自分の考えやものの見方をSNSに何度も投稿しているうちに、自分は何ものなのか、何をやりたいかという考えも深まっていく。そして人と話をするときには自信を持って話せるようになる。ビジネスの話というのは、話し合いに至るまでの日々の積み重ねのほうがむしろ大事だと思う。
筆者のFacebookアカウント
話をプレゼンに戻そう。
あちこちに旅をする中で、福井県はゲストハウスがかなり少ない土地だと感じていたが、逆に言えば伸びしろはあると考えていた。そして北陸新幹線開業など風も吹いている。そして、何度も何度も仕事で大野に来ていて、県外から来た人が感激するポテンシャルが高いということを以前から思っていた。筆者は福井県の中では一番ゲストハウスに泊まり歩いた人間だという自負があったので、このあたりは一つひとつの要素を自信をもって説明できたと思う。
サラリーマン時代には胸を張れるような能力や実績は何一つ無かったのだが、若い頃から旅して回ったことがこういう場で生きた。
そして、集客手段についてもある程度は見通しを立てていることを話した。空き家を貸すのを検討いただくことになり、次回福井に行く機会があれば現地で会いましょうということになった。
この家の家主さんは論理的に物事を考えることのできる方だった。ファイナンシャル・プランナーで家計相談に来るような人と同じ類の人だ。現状を認識し、課題を整理し、提示された解決策について客観的に検討することができる。持っているお金の大小も大事ではあるが、人生の満足度を左右するのはこういう要素なのではないかと思う。また、大野から離れて久しいがこの地区の区長さんとも関係を維持していた。いずれも一見簡単なようだが、思い込みに左右されて客観的な判断を下せなかったり、ちょっとした人づきあいを維持できないという人は少なくない。
地域活性化の拠点としての宿
このプレゼンの中で、宿をやることは地域おこしに寄与することでもあるということを説明していたのだが、そのことについて確信を深めるようなイベントがたまたまこのオンライン面談の数日後にあった。
場所は鯖江市河和田のゲストハウス、Sabae Megane House。大野市から車で1時間くらいのところにある。
自分も庭の整備のボランティアで泊まったことはあったが、SNSでこの週末「縁日」のイベントをするということを知り行ってみた。
福井というか地方は若者人口の流出が社会問題化しているが、このイベントは人口7万足らずの鯖江市の、更に東の端の山間部で実施されたにもかかわらず、この日は30人ほどの来客があり、大部分が20代30代の若い子だった。
都会には魅力があるから若者が引き寄せられる、というのは間違いではないが、むしろ都会に若者が多いから更に若い子が集まってくるのではないかと思う。
若者が集まる場があれば田舎でも若者は来る。そういう機会と場が必要だし、宿というのはその拠点になると考えていたので、この日のイベントの集客状況を見て我が意を得たりという感じだった。こうやって河和田に足を運んだり短期滞在した人がそのまま移住してくるケースは少なくないということだった。
因みに福井県の行政というのはそのあたりのことをよく理解していて、福井で若者が集まるイベントを告知するスマホアプリを作成運用している。
因みにこのイベント、酒を飲む人のために参加料にプラス3500円で泊まることができた。半分以上の参加者がそのまま泊まった。自分も全国あちこちのゲストハウスに泊まっているが、平均すると男女別相部屋のドミトリーで1人1泊3,000円台後半といったところだったので、自分の感覚を裏付けることができた。当宿は素泊まりで3,850円。地元の人からは「安い!」と言われるが、宿に来る人は首都圏や関西などの県外客であり、他の県の相場で考えなければいけない。
この物件で宿をやることに
空き家の持ち主の方は関西在住、いつ福井に来られるのかと心待ちにしていたが、案外その時は早くやってきた。7月30日、初めて中を見せてもらった。
築60年ほどというから「古民家」というほどではない。更に10年ほど前にリフォームしていたので中は想像以上に綺麗だった。定期的に親族の方が来て窓を開けて空気を入れ替えているという。外から見た時にはちょっと狭いかなと思ったが、中に入ると思いのほか広い。
20年以上前に北海道の「とほ宿」に泊まりまくったが、宿の広さとしては当時泊まった多くの宿と同等かそれ以上だと思う。定員は10数人を想定していたが十分だ。それより多いとオペレーションが大変になる。
筆者はこの物件を購入する金銭的な余裕が無かったし、FP有志で配信している「FPトークライブセッション」の仲間から、空き家問題を解決しようと思ったら最初から売買から始めるのは持ち主にとっても住む人にとってもハードルが高いということを聞いていたので、賃貸形式を考えていた。
持ち主の方も家に仏壇があり、毎年墓参りの時に仏壇にも手を合わせに来られていて、仏壇は残したいということだったので、賃貸にするということについてはお互いに合致した。仏壇はそのままとし、親族の方は立ち入りが出来るという条項を契約書に盛り込んだ。
また、最低限ではあるが電気代はかかっていて、300坪ある庭の草刈りをシルバー人材センターに依頼するなど、維持費がそれなりにかかっていたとのことであったが、これらの費用負担が今後家主さんにはかからないようにするというのが基本的な考えだ。さらに、経年劣化などで修繕すべき箇所が出てきた場合でも筆者の負担で対応することとした。家財道具もそのまま使用させていただくこととなった。自分としてはかなり助かった。布団から食器に至るまで今でも有効活用している。
自分の場合はいろいろなことが重なってこのような形で宿の物件を見つけることが出来たが、空き家を探す仕組みとして一番有力な手段は各自治体の「空き家バンク」だと思う。プロの不動産業者が介在するのでトラブル発生の可能性が少ないし、ある程度修繕した上で(修繕していない場合でもその旨を明記)サイトに掲載している。
また、買主・借主がリフォームなどで補助金などを申請する場合にはこのサイトへの掲載を条件としているところも少なくない。空き家マッチングの仕組みとしてはいちばん有力な手段と言える。
しかしながら「空き家バンク」に掲載されている物件というのは決して多くない。この大野市の場合、この記事を書いている時点で18件しかない。
このような形で空き家を他人に売ったり貸したりする場合には、基本的には仏壇仕舞いをしなければならないだろうし、家財道具も断捨離しなければならない。「空き家バンク」に掲載されるのは簡単なことではない。そのことを考えると、前の記事で書いたような「さかさま不動産」のように、物件ではなく空き家を持っている人と探している人をマッチングする仕組みの多様化が必要だと思う。
もちろん「空き家バンク」の存在を否定するわけではない。自分の場合はそれなりに大野という土地を知っていて知り合いも何人かいたし、今回は持ち主や地域の区長さんなど、良い縁に恵まれた要素が大きい。ここで書いた筆者の空き家探しのやり方というのはあくまでも参考にしていただければと思う。
因みに0円で物件を入手することができるようなサイトもある。タダで土地や建物が手に入るというのは魅力的に見えるとは思うが、タダで手放す人というのはそれなりの理由があるということは心に留めておく必要がある。
8月14日の午後、家主さんが親族の方とお墓参りに来られるとのことで、そこでこの家を借りて民泊をする旨の挨拶をさせていただいた。
鍵を受け取り、その晩初めてこの家に泊まった。
最初にこの物件を見てから1か月半、びっくりするほ早く決まった。ただ、リビングのソファーに横になりながら、もうこれからは今まで見たいに気軽には旅には行けなくなるという寂しさと、人が住んでいないことによる空気の澱みが肌に浸食するようで、この時は本当にこれでよかったんだろうかと思いながら夜を過ごした。(続く)