「とほ宿」への長い道 その15:隣の県・石川
石川県と福井県の関係
福井県は4つの県と接しているが、このうち岐阜県と滋賀県と京都府は東海・近畿と地方区分が異なるため、「隣の県」といえば同じ北陸地方の石川県と言える。そもそも古代は越前国の一部だった。
”県域は飛鳥時代には越国あるいは三越分割後の越前国に含まれていた。奈良時代に入り、718年に羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立てられた。
能登国は741年越中国に併合され、このころ大伴家持が越中国の国司として赴任している。757年には越中国から分離し、再び能登国が立てられた。
平安時代初期の823年になって越前国から加賀・江沼2郡を割いて加賀国が立てられた。これは令制上最後の立国である。”(Wikipediaより)
江戸時代には加賀国・能登国・越中国が幕藩体制最大の「加賀百万石」加賀藩となった。その監視役として、徳川家康の次男・結城秀康が越前藩主となったとも言われている。
明治の一時期(明治9年~14年)、現在の石川県と福井県の一部と富山県は「石川県」だったことがある。両県は色々な意味で関係が深い。筆者も、頻繁に石川県に足を運んでいる。
山中温泉のレトロ喫茶店「芭蕉珈琲」
以前、駅裏の広島風お好み焼き屋の店主が立ち上げたマラソンクラブ「チーム一期一会」のことを書いたが、石川県でもいちばん福井県寄りにある加賀市の山中温泉にある喫茶店「芭蕉珈琲」のマスターもランクラブを立ち上げていたことを一期一会の店主から聞いて行ってみた。
昭和41年創業、「レトロ調」ではなく本当にレトロな喫茶店だ。昭和の頃は社員旅行などで山中温泉は大層な賑わいで、この店も常に満員状態だったというが、店を立ち上げたマスターのお父様は既にこの世になく、お客さんも減り、お母様が細々と続けていたこのお店をマスターがUターンして引き継いだという。筆者と似たような境遇だ。
店に行くと「これ、ランクラブの〇〇さんのお土産だから」とか、「新しいメニューを作ってるんだけど試作品食べる?」とか、いろいろ出してくれる。
温泉街なのでそれほど住人が多いわけではない。週末は観光客が来ても平日は大体ガラガラだった。いつも新メニューを考えたりお土産グッズを開発したりコーヒー豆を通販で販売したりイベントに出店したりして試行錯誤していた。
筆者も何かできないかと思い、あまり活用されていなかったホームページの刷新を申し出た。店には専用の駐車場が無いので、山中温泉の公共駐車場の場所を表示するのと、外国人客向けにメニューを多言語で表示できるようにした。効果がすぐ出たわけではない。アクセス数はほんの少しずつしか増えない。それでも3年、5年と続けていくと累積の訪問者数は着実に積みあがっていく。ホームページを見た人のうち何人かは実際にお店に来るし、そのうちの何人かはリピーターになる。「芭蕉珈琲ランクラブ」に加入する人もいるし、更に知り合いも連れてくる。「芭蕉珈琲ランクラブ」は最初4人で始まったが、現在は200人近くになっている。このお店のホームページを運営することで、筆者もネットを使った集客手法を色々勉強させてもらった。理論も大事だがやはり実践が何よりの経験になる。
自分だけでなく、カフェの開業を目指していたアルバイトスタッフがいたのだが、このたび自分の店「Cafe Trois」を持つことになった。
商売を始める時に飲食業を考える人は多いと思うが、既にお店を持っている人でさえも経営は楽ではないのだから、新しく店を持つ人にとっては非常に厳しい世界だと思う。脱サラしていきなり始めるというのは失敗する確率が非常に高い。今までの仕事を続けながら、週に1回でも2回でもアルバイトしながらノウハウを積み上げていくという経験が必要だと思う。
さて、「芭蕉珈琲」は色んなことを試み、実を結ばない努力も多かったのだが、新メニューのひとつ「鉄板ナポリタン」がヒットし、今では地元のテレビ局やタウン誌からの取材がひっきりなしに来ていて、週末は店が一杯になる人気店になっている。
この山中温泉、コロナの期間中にいくつかの旅館ホテルが閉業したが、今年の春に加賀温泉駅が開通しアクセスが良くなったし、リゾート地として外国人観光客の人気を得られると思う。以前いた会社で、東南アジアに出張し現地の旅行代理店の人と会ったが、「欧米人は、海外に旅行してリゾート地のホテルのプールサイドでただただ寝そべるという時間を過ごしている。これぞ本当の贅沢」という話を聞いたものだが、考えてみたら日本人は温泉地に行って同じようなことを昔からしてきたのだ。
「金沢湯涌ゲストハウス」の思い出
2014年だったと思うが、年末に金沢に行こうと思って宿を調べていたら、郊外の湯涌温泉に新たにゲストハウスができたというので行ってみた。
もともとは寿司屋だったという建物で、部屋数も多く、そのまま旅館としても営業できそうな建物だった。宿主の足立さんは50過ぎ、宿を開業したころの筆者と同じくらいの年だった。
「何かを始めるなら40までに」というような考えが世の中にはあったし、実際旅人宿の宿主たちは20代か30代前半で宿を始めた人が多い。40を過ぎた自分はもう手遅れだと思っていたが、この宿の存在は「何かを始めるのに遅すぎることはない」ということを教えてくれたように思う。
最初に行ったのは開業間もない2014年の年末だったが、客は自分ひとり。やはり宿業というのは甘くないのだと思った。しかし来るたびにお客さんが増えていく。金沢に観光に来た人がちょっと足を伸ばして温泉地に泊まるというのもあるが、この「湯涌温泉」というのは、母親と別れた主人公の女子高生が祖母の営む老舗旅館で仲居さんとして成長していくというアニメ「花咲くいろは」の「聖地」で、アニメファンの人たちが多く訪れていたのだ。
最初は素泊まりだけだったが、そのうち特別料理も出すようになった。足立さんが自ら釣ってきたイワナ、知り合いから調達したというイノシシ肉などが並び、囲炉裏端で足立さんを交えて飲み明かした。
足立さんはSNSで宿の状況を定期的にアップしていた。どのようなお客さんが来ているのかとか、どんな料理を出したとか、釣りに行ってきたとか、特別なことではなく日々の営みだったのだが、それを見ているうちにまた行きたいと思うようになる。この手法は筆者も真似させていただいている。
こうして「金沢湯涌ゲストハウス」は開業数年で人気宿になった。自分も今宿をやっていてまだお客さんが多いとは言えない状態ではあるが、続けていればきっと増えていくと信じていけるのは先達の存在あってこそだ。
しかし残念ながら、この宿はコロナの最初の年に閉業してしまった。宿主の足立さんはその後白山一里野で空き家状態になっていた「ケリエ山荘」の支配人となったが、最近になって別の方に交代されたとのこと。しかしながら足立さんの次の挑戦が楽しみだし、自分もがんばらねばと思う。
金沢での定宿"Blue Hour Kanazawa”
筆者は民泊の宿主でありファイナンシャル・プランナーだが、本業だけでなく副業で経験を積み、60以降は自分のやりたいことをしながら定年に関係無く収入を得ていくのがこれからの生き方だと思っている。それに加え、投資活動により資産を増やしていくのも大事だ。一念発起して株で資産を築こうと思い、金沢にある株のスクールに通っていたことがあった。
株式投資には、業界の状況・経済指標・政治的社会的な要因から相場の値動きを分析する「ファンダメンタル手法」と、チャートやローソク足の形状から将来の株価を予測する「テクニカル手法」があるが、このスクールは基本的に後者だった。講師の人は自我流で株式投資を始めて何百万もの損を出した末にトレーダーとして一本立ちしたというだけあって説得力があったし、自分と一緒に受講していた生徒が資産を築いていわゆる「FIRE」して金沢校の講師になったりしていたので自分ものめり込んだ。
しかし今でも株で多額の資産を築けているわけではない。スクールの講義内容が間違っていたわけではなく、テクニカル手法で株を選ぶには毎日何百社ものチャートに目を通して投資銘柄を選択しなければならないし、ファンダメンタル手法も取り入れているので各種指標も毎日チェックしなければいけない。株で成功する人というのは、今の仕事を辞めたい・お金を稼ぎたいという強いモチベーションも必要だが、そういう分析のが好きで好きで仕方が無いという人なのだ。自分は今の仕事が嫌いで仕方がないというわけではないし、他にやりたいことがいっぱいある。銘柄選びに血眼にならなくとも、「長期積立分散投資」をすれば着実に財産は増やせる。とは言ってもここで株の面白さを知ってしまったので、今でも細々と続けているし諦めたわけではない。夢を見るのは自由だし楽しい。毎日YouTubeで株情報を見ているし、金沢でのスクールの集まりには極力参加するようにしている。
お酒が入るのでいつも金沢で泊まるのだが、定宿にしているのが金沢駅近くの"Blue Hour Kanazawa"だ。
時期にもよるが、早く予約すればドミトリーが2000円台だ。そして何といっても立地が良いし、窓から見る金沢駅が美しい。コンビニで酒を買ってきて、ここで呑むだけでもリッチな気分になれる。
この宿を運営している吉岡さんという方は、他にもゲストハウスを運営しているし、コンサルティングも行っている。自分も宿を始める時にここの動画教材コンテンツを見た。結果として設備投資をしたり予約サイトを使ったりせずに集客したりと、スタンダードな民泊運営とは全然違う手法になったが、普通のゲストハウスや民泊経営がどのようなものかを知っておくのは大事だと思う。
能登半島のこと
最後に能登半島の宿について少し話したい。
東京にいたころから足を運んでいたのが「能登漁火ユースホステル」。
能登半島でもかなり北にあり、有名な「見附島」の近くだ。目の前に九十九湾が広がっており、客室から見える。
ここの宿主というかペアレントさんが漁師で、食卓には新鮮な魚介類が並んでいた。今回の地震でもかなり被害が酷かった地域なのでかなり心配していたが、SNSを見ると建物は無事だったようだ。落ち着いたらまた行きたい。
あと、能登島にある「千寿荘」は、天然温泉とボリュームたっぷりの食事がついて5500円という破格の宿だ。
ここは少し離れたところで「お食事処みず」というレストランを経営していたのだが、今回の地震でこちらの建物が大きな被害を受け、この「千寿荘」で営業しているらしい。
普通に宿を続けていくだけでも大変だろうに、今回の震災で様々な困難に直面していて切ないものがある。その中でも存続に向けて動いている。自分もがんばらねばと思う。(続く)