「とほ宿」への長い道 その24:本州の宿主たちと会う
初めての夏
宿を開業して初めての夏が来た。
「とほ宿」は49宿中40宿が北海道にあり、カラっとして暑くない北海道にはたくさんの旅人たちがやってきて宿の稼ぎ時だ。しかし福井は都会ほどではないにせよ日中は暑い。夜は気温が下がるが・・・当宿に泊まる人は荒島岳に登る人が多いのだが、標高が1523mしかないので夏は灼熱だ。
それでもいろんなお客さん来た。
関東から九頭竜川に鮎釣りに来たグループ、関西から来たスポーツ少年団、BBQしに来た地元の大学生のグループ、中京方面から来て恐竜博物館を見ているうちに遅くなり急遽宿を求めた家族連れなど多種多様だった。
「福井楽しいワイン倶楽部」の会長が宿でワイン会を企画してくれて、来た人の中で気に入ってくれた人がまた泊まってくれた。6月までの閑散とした状況から少しは宿らしくなってきた。
決して順風満帆とはいえないが、いろいろな人が応援してくれているのを肌で感じた。
この夏はほぼ宿にかかりきりでどこにも行かなかった。しかし次から次へと訪れる旅人たちと会う毎日は、今までのどの年よりも夏休みらしかったと言える。
琵琶湖の「離島」沖島へ
9月下旬、神戸で用事があり、7月初旬に信州・大町の「ポッポのお宿」に行って以来2か月半ぶりに旅に出た。途中、琵琶湖に浮かぶ有人島「沖島」に寄ることにした。
近江八幡市内の船着き場から沖島渡船でたったの10分だが、人口239人でコンビニも商店もなく浮世離れした雰囲気が漂う。お手軽だが離島気分を存分に味わえる。
この島にある2つの宿の1つ、「民泊 湖心」に泊まった。
集落の中の空き家を活用した宿だが、部屋から琵琶湖に沈む夕日を見ながら一杯。それだけでここに来た価値があると思った。
翌朝、宿に泊まっていた「日本外ヨガ学会」の方と朝ごはんをご一緒した。その名の通りヨガ文化の普及を目指しているということで、沖島の小学校の校庭を借りてヨガをするという。夢に向かって動いている人とは波長が合う。
宿を立ち上げた人は今漁師をされているようで、今は地域おこし協力隊として来た若い女の子が管理人をしている。
宿の運営の話もした。当宿同様予約サイトには登録していないようだが、どのような宿なのかを理解してから泊まってほしいという考えとのことだった。
それまで9か月宿をやっていて自分もそれを感じていた。宿のホームページを見てどのような宿なのかを理解した上でないとクレームになるかもしれない。宿といえば個室が当然という感覚で来て相部屋形式だとわかり、部屋に空きが無ければ対応のしようがない。ゲストハウスや山小屋のような相部屋の宿というのは世の中ではマイノリティなのだ。
また、この頃宿泊予約サイト大手のBooking.comが不払い問題を起こしていた。
宿泊予約サイト頼みの集客になってしまうと「生殺与奪の権を他人に握らせる」形になってしまう。そして、宿の個性ではなく他の宿と値段や立地を比較して決められてしまう。そういう運営はするまいと立ち上げの時に決めていた。
「お試し入会」という形で加入した「とほネットワーク旅人宿の会」だったが、この頃には正式入会を決めていた。
「とほ宿」本州ブロック会議へ
「とほネットワーク旅人宿の会」では、年に1度11月に全ての宿が集う「総会」を行っている。
その前に意見を集約する「ブロック会議」を各地で行う。北海道では道北・道東という具合に分かれているが、49宿中北海道が40宿なので、本州以西の9つの宿は「本州ブロック」という形になる。
ブロック会議の会場は持ち回り。この年の会場は信州・八ヶ岳山麓の宿「こっつあんち」だった。
自分も20数年前に一度行ったことがある。
宿主のこっつあん自ら野菜を作っていることもあり、とにかく野菜料理が出てくる宿ということで有名だった。近年ではヴィーガンなど野菜食が当時よりも重視されているし、かつての旅人たちも高齢化しているので野菜料理というのはプラス要因だと思うのだが、近年関東にいた息子さんが戻ってきて自家製ピザの店をオープンし、夕食はそちらでするようになっている。
キャッチフレーズは「遊びたいけど お金がない 暇がない そんな あなた向きの 宿です」。気どりのない旅人向けの宿だ。
本州会議は10/2月曜日だったが、前日は宿の地区の草刈りがあり出発したのが昼だったので、下道をひたすら走り、途中伊那市で泊まった。
居酒屋で食事して、ホテルに帰る途中でこんな店があった。
平日の日中はカフェ、週末は居酒屋をしているという店だ。
都会であれば、店の賃借料が重いランニングコストとして発生するからほぼ毎日営業しないと採算がとれないだろう。しかし地方の小規模な街というのはだいたい衰退していて、格安で借りれる物件が結構ある。飲み屋というのは平日はなかなか客が来ず、食材を仕入れてもロスする可能性が高い。無理して店を開けるよりは割り切って週末のみの営業にして、平日は他の仕事をしていたほうが良い。
当宿も同じだ。平日は本業をして週末は宿をやる。宿業だけで食ってかないといけないという焦りがないので収益に執着しすぎなくてもいい。宿は7割くらい趣味という意識でやっているが、開業から2年近く経った今でもまあまあ何とかなっている。
宿主というだけでなく、ファイナンシャル・プランナーとして、このような生き方をする人たちを後押しできればと思う。
翌日、会場である「こっつあんち」に向かう。
会議は午後からだったので、Facebookを通じてつながっている知り合いとランチした。以前は外資系IT企業で経営幹部をしていたが、八ヶ岳山麓に移住し、今は都会から八ヶ岳への移住・起業支援をしている玉利 裕重さんだ。
1時間少々の短い時間ではあったが、お互い都会から地方に移住したことと、以前外資系IT企業に勤めていたという共通点があり、大いに盛り上がった。
自分の民泊のことも話したが、いろいろ共感していただいた。この頃はまだ手探りで運営のあり方を模索していたので励みになる。そして地方移住してよかったことを語りあった。同じ志を持つ人と話し合うのは本当に楽しく嬉しいことだ。
伝説の宿主たちと再会
会議開始の14時少し前に「こっつあんち」に着いた。
夕方まで会議して、とほ本の販売状況とか集客状況とかいろんなことを話し合った。
夜は隣の「カナディアンロッキー」で焼きたてのピザを食べ、また宿に戻り飲み会となった。旅のこととか旅人のこととか、旅人宿の談話室で繰り広げられる内容そのものだった。
いちばん左が筆者、時計回りに隣が5年前に宿を開業した、三重県松坂の宿「笑旅(Nicori)のレーコさん。自分も昨年5月に行ったが、観光名所がすぐ近くというわけでない普通の民家の宿だが、ここの宿で話をするために旅人が集う。
その隣は、「その8」でも書いた、「白馬風の子」大畠さん。最後に会ってから10年くらい経っていたが相変わらず若々しい。
隣は、信州佐久の宿「三輪舎」の大場さん。まだ行ったことはなく今回が初対面だったが、いかにも宿主らしい人だった。
そして一番右がこっつあん。
写真には写っていないが、AwajiTouristTrophyHouseの正井さんもいた。淡路島という場所のせいか、関西人といった感じの陽気な人だ。
「とほネットワーク旅人宿の会」にお試し入会してから、宿主たちと会うのはこれが初めてだった。それまでは自分の記憶の中の存在であった「とほ宿」の宿主たちと再会したわけだが、年を取った以外は変わっていなかった。旅と旅人が好きで、宿を愛していて、コスモポリタン気質。
「ゲストハウス」を名乗る宿は数多い。また、一棟貸しの民泊の宿も多い。収益が目的なのであればノウハウは大体確立している。「儲かる」という接頭語のつく本がたくさん出ている。集客が見込めそうなエリアで物件を探し、経営計画を立てて収益が見込める範囲内で入手し場合によってはリノベーションし、競合や時期を見ながら毎日価格設定する。
しかし、旅人との交流を目的とする宿をやるのなら成功の方程式は無い。そもそもこのような旅宿において収益というのは宿を持続させるための手段であって目的ではない。各地にカリスマ的人気の宿があるが、ほぼ宿主のパーソナリティに拠るところが大きい。新たにこのような宿を立ち上げるのであれば、旅宿に泊まりまくり、宿主や他の旅人から話を聞いて、自分ならどういう宿にすべきか、どういう宿をやりたいのかを考えそれを実行に移していく他にないと思うし、宿主の集まりである「とほネットワーク」に加入するのは宿を繁盛させるリーズナブルな方法だと思う。
2022年12月に宿を立ち上げ、10か月間試行錯誤を繰り返してきたが、宿主たちの話を聞くことで今後自分がどうすべきなのかが明確な形になったように思う。「旅人同士の交流」、これが自分の宿のコア・バリューなのだとあらためて思った。時代の流れに合わせ柔軟に対応していく必要はあるが、根っこの部分は変わってはいけないし、変えなかった結果宿のビジネスを存続させている人たちがここにいるのだと思った。(つづく)