「とほ宿」への長い道 その13‐福井へUターン
23年ぶりに郷里・福井に住むことに
2011年の暮れ、高速バスに乗って郷里の福井に戻ってきた。大学入学で関西に出て以来、福井に住むのはほぼ23年ぶりだった。この時点で41だったから、人生の半分以上は県外で生活していたことになる。
この時点では福井にはほぼ知り合いはいなかった・・・というか、大学進学で県外に出た若者が新卒で福井県に戻ってくるのは約3割だという。
「幸福度日本一」を標榜していることもあり、福井県の公教育のレベルは高い。公立の中学高校でも受験対策の課外授業があり大量の宿題が出る。私立中学とか学習塾とか行かなくても、学校のやり方をそのまま受け入れれば大学受験で成果は出る。それは教職員の長時間労働の犠牲の上に成り立っているのだが・・
偏差値の高い高校そして大学に合格すべく教員も生徒も頑張る。そして県外の大学に行く。福井県には2024年時点でも、福井大学・福井県立大学・福井工業大学・仁愛大学/短期大学・敦賀市市立短期大学の5校しかない。とくに有名大学は大都市圏に集中しているのが現状だ。そしてUターンして就職するとなると、自分の頃は公務員・教員・銀行が御三家と言われていたが、多くの地場企業は都会の大企業との給与格差が大きかった。その傾向は今でも続いているだろう。待遇や選択肢の多さを考えると、どうしても都会の会社に目が行くだろう。自分もそうだった。
もちろん地方のオトナ達も人口流出に問題意識は持っていた。だから中島みゆきの歌にあるように、県外に行こうとすると「ここを出ていくんならお前の身内も住めないようにしてやる」的な態度をとったり、たまに帰省したら「親をほったらかしにして薄情者が」みたいな言葉を投げかける(自分も言われた)人もいる。地方というよりは、恐怖や憎悪や不安を吐き出して相手に強烈なプレッシャーを与えれば人は生き方を変える、という考え方が日本全体にあった。平成の時代にかなり変わったと思うが。
そうやって地方から都会に出てきた人たちが全国に向けて情報発信する。帰省した時に投げかけられた言葉が記憶に残る。特に、この頃まだ大きな力を持っていたマスメディアは殆ど大都市というか東京に集中している。地方出身者も多いのだろうが、東京住まいの彼らには地方の断片的な情報しか入ってこない。県外に出てすぐのころは頻繁に戻っても、だんだん足が遠のき過去の記憶に基づいて自分の地元を語る。行くところがショッピングモールとパチンコ屋くらいしかないとか、田舎では独身者には人権が無い的なこととか、週休二日の会社が少なく日曜祝日も地域活動で潰れるとかステレオタイプな話が広まる。
それに対して地方側からは「このままでは地域は衰退の一歩だ」とか「都会は物価が高く空気が汚い、人間の住むところではない」といった類の反論がされるが、都会のキラキラの前には機関銃と竹槍のようなものだ。いま思えば2012年時点では都会への人口流出が続いていたのは当然だと思う。人口減を食い止めるには感情論ではなく戦略が必要だ。
繁華街に人がいない
福井に戻ってきて間もない頃に、福井県最大の繁華街である福井駅前に行く機会があったが、自分が高校時代の頃とほぼ変わっていない、というか更に寂れていた。
自分が子供の頃から福井県内のデパートは福井駅前の西武百貨店1つのみ。1980年の開業当初はこれまでにない感覚の宣伝コピーが店内に溢れ、店内の装飾も垢抜けていて、いつも賑わっていて憧れだった。それが老朽化し人も疎らで閉館が常に取り沙汰される状況だ。
駅前脇のアーケードには確かムントという小洒落た喫茶店というかパーラーがあって当時珍しかったドリアなどの料理をわくわくしながら食べたものだが、2012年には無くなっていた。その更に隣にあった「ポアンカ」というファッションビルはかなり前に廃業し廃墟となって骸を晒していた。
その日は土曜だったが、静寂といっていいくらい人がいなかった。毒ガス攻撃でもあったのかと思った。一方で、郊外にあるショッピングモールは大盛況で週末には周辺の道路が渋滞する。
どの家も「一家に一台」ではなく「一人に一台」で車を保有している。東京都内だと駐車場の賃料は月数万円だろうが、地方は家の敷地が広いので大体の家には数台分の駐車場があるし、筆者の家は福井市のやや郊外にあるのだが月極駐車場は3000円が相場だ。
そうなると車での移動が当たり前になる。駐車料金が必要な駅前には行かない。飲酒運転になるので繁華街に飲みに行くようなことが少ない。終バスは19時台という所が珍しくないのだ。(※2024年6月のダイヤ改正で、バスの本数は更に減っている。)飲酒を我慢するか代行運転を利用するということになる。(因みに筆者は福井駅前で飲み会があるときは片道5㎞の道を歩いて帰っている)。だから滅多には飲めない。東京にいた頃はちょっと気が向いたら神田や上野の立ち飲み屋で一杯ひっかけて帰った。友達とも頻繁に飲んでいたし、その10で書いた通り「代々木公園でビールを飲む会」のような場もあった。都会の人間が言う「地方の現状」は偏ったものではあるが、当たっている部分もあった。
この問題については今も解決途上だ。今、日本のあちこちで「まちづくり」がされている。そんなことをしても無駄という声もある。しかし、何もしなければ本当に衰退してしまう。
因みに、宿を立ち上げた理由は色々あるのだが、帰りを気にせずに飲める場所というものをずっと探していたというのもある。今、宿ではお客さんが来たときは毎回宴会だ。
mixiで友だちが出来始めた
そんなこんなで最初の数か月は福井ではほぼ遊べず、大阪や信州に行ったりしていた。
今はSNSといえばLINEやTwitterなどだろうが、2012年当時はmixiだった。今では信じられないだろうが、日記をアップしたら20くらいコメントがついたものだ。mixiにコミュニティやイベント告知機能があり、5月のある日に低山ハイクがありますとの告知があった。福井駅裏に「一期一会」という広島風お好み焼きの店があり、そこのマスター「ぐっさん」が主宰しているマラソンクラブのイベントだった。
まったく知らない人ばかりだったが、ほぼ自分と同年代、自分自身フリーター時代からジョギングをちょくちょくしていたしマラソン大会にもエントリーしていたのですぐ仲良くなった。以後週末は山に行ったりマラソン大会やその練習会に行ったりするようになった。福井県は信州のように日本百名山クラスの山がいくつもあるわけではないが、標高500~1,500mくらいの、日帰りで行ける山が結構ある。
まず当宿の近くにある日本百名山・荒島岳。それと日本百名山の座を争った能郷白山。南越前町にある「越前富士」日野山。ミズバショウの群落のある取立山。
また「日本三名山」霊峰白山には、福井からなら日帰りで行けた。朝3時くらいに自宅を出て約1時間半で登山口である市ノ瀬に着く。そこからシャトルバスに乗り朝5時半には登山開始、4時間後に登頂し14時頃には下山。
そして福井県内の各市町村で行われるマラソン大会にも参加。出走前にみんなで記念撮影をし、お互い励まし合いながら走る。
東京にいた頃のように、ちょくちょくお泊りで旅に行くというわけにはいかなかったが、近くに山があり気軽に行けるというのはやはり良い。浦和に住んでいた頃は丹沢まで片道2時間かかったのだ。
そして学校や職場でのつながりでない人とも知り合いになれる。
地元の人間でも「福井は何も無い場所」と言うが、全国あちこちを見て来た旅人の目線だといろいろなものが見つかる。「福井には何も無い」のではなく、見えていないだけだ。
東京にいた頃は、福井で生活しても楽しいことはほぼ無いと思っていたが、予想外に楽しい日々を送ることができた。
駅裏のお好み焼き屋に入り浸る
この頃は広島風お好み焼き屋のマラソンクラブ「チーム一期一会」のメンバーと毎週のように会っていたし、お店にもちょくちょく足を運んだ。
カウンターのみ、10人も入れば満員という店で、マスターのぐっさんが一人で営業していた。この時点で開店から10年近く経っていたという。いつ来てもメンバーの誰かがいて話に花を咲かせた。お好み焼きを食べに行くというよりは、ぐっさんやメンバーと会いに行くという感じだった。コンセプトとしては「とほ宿」に似たものがある。(因みに「旅の情報誌とほ」Vol.31のキャッチフレーズは「宿主に会いに行く旅」だった)
ぐっさんはよく身の上話をした。地元の工業高校を出てすぐに県外の自動車会社の工場で働き、鉄板焼き屋に憧れて広島で修行し、福井に戻ってきて店を持った。
最初は全然お客さんが来なくて苦労したらしい。しかし少しずつ人気が出始め、多店舗展開してもっと規模を広げようとした。しかし常連のお客さんから「ぐっさんは店を増やして、事業を拡大して、最終的には何をやりたいの?」と問われ、「最後には小じんまりした店で、気の合ったお客さんと一緒に楽しみたいな」と返したところ、「今がその状態なんじゃないの?」と言われ、小さいながらも自分の好きな店を続けていく道を選んだとのこと。ぐっさんは毎晩お好み焼きを作りながらお客さんと話をして、心の底から楽しんでいる感じだ。
昭和の価値観で言えばとにかくビジネスを大きくしていくのがサクセスストーリーだろう。個人事業から始め、売上が大きくなれば法人化、従業員を雇う。事業を拡大し、株式を公開して大規模な資金調達を行い、知名度が向上するに伴って創業者のステータスも上がる。しかしそれは本当にやりたかったことなのか。ビジネスを安定させるために事業規模を大きくせざるを得ないというのもあるだろうが、大きくなると変化への対応が困難になるし、過去の成功体験が事業変革の足を引っ張る。
自分は従業員数千人クラスの大企業のオーナー経営者と親しく交流しているわけではないので彼らの人生の満足度については直接話を聞いたことはないが、少なくとも自分のやりたいことをやり通すぐっさんについては心の底から羨ましく思った。人生の成功のためには能力も必要だが、自分のやりたいことを見定めて行動に移し、それを貫き通すのが本当に大事なのではないかと思う。能力や人望は後からついてくる。
地方移住について語られることは、その地域と移住者の交流と軋轢だが、実際には違う。先達の移住者もいるし、進学や転勤で県外や海外で生活経験のある人は珍しくなくなってきた。県外に住んでても福井に頻繁に足を運ぶ人もいる。(その逆もいる)。そういう人たちの割合は年々増えている。地方のあり方というのは10年前20年前と同じではない。
(続く)
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