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「とほ宿」への長い道:その25(完) とほ宿になった

「旅の轍」経由、とほ宿総会の会場・東大雪ぬかびらユースホステルへ

2023年11月7日。年に一度行われる「とほネットワーク旅人宿の会・総会」出席のため小松空港から北海道・千歳空港へ飛んだ。1989年3月、北海道大学受験のため同じ航路の飛行機に乗り初めて北海道の地を踏んだ。受験後のあの夜のことが無ければこの世界は知らなかったかもしれない。

千歳空港に着いたら、筆者を「とほ」に誘ってくれた、追分の宿「旅の轍」宿主ののみぞう氏が迎えに来てくれていた。コロナの頃オンライン飲み会で出会い、福井でも会ったことがあるが、氏の宿に泊まるのは今回が初めてだ。
しまなみ海道の「かがやきの花」宿主・タニさんが先に着いていた。晩飯までは時間があったので少し観光した。近くといっても北海道はスケールが違う。

右から筆者、タニさん、のみぞう氏

「旅の轍」は、小さな集落の中にある一軒家だった。最後に北海道の「とほ宿」に行ったのは2006年、「とほネットワーク旅人宿の会」代表の一休さんがやっている「ぼちぼちいこか増毛館」に行って以来だ。

建屋は普通の民家だが・・・


宿の玄関で、むかし北海道を自転車で旅をしていた頃、初めて行く宿に着いた時のことを思い出した。どんな宿なんだろうというワクワク感と、自分に合うのだろうかというちょっとの不安。
「旅の轍」は、鉄道マニアであるのみぞう氏の「好き」が詰まった空間だった。マニアックな立ち寄り湯で旅の疲れを癒し、スーパーで北海道ならではの惣菜を買い込んで宴会した。宿泊施設というよりは、遠方から来た友人を迎え入れるといったような雰囲気だった。

どう見ても民家にしか見えないが天然温泉
ひたすら自分の趣味の人生を貫くのみぞう氏

翌日、のみぞう氏の車で総会の会場「東大雪ぬかびらユースホステル」まで約200㎞の道を走った。「かがやきの花」のタニさんとも色々なことを話す。

夕張。日本の将来の姿かもしれない・・・

むかし旅したこととか、宿をやろうと思い立ったきっかけとか、経営状況とか、お客さんへの接し方とか、コロナ期間中のことなど。。この時点では宿を始めてまだ1年経ってなかった自分にとっては貴重な内容ばかりだった。

十勝は初冬だった


タウシュベツ陸橋に寄ったので到着がギリギリに

宿主たちと再会する


総会開始の13時直前に、総会会場の「東大雪ぬかびらユースホステル」に着いた。

年に一度の総会

席は特に決まってはいなくて適当に座ったが、向かいに昔何度か通った厚内の「まちぼうけ」宿主のゲタさんがいた。昔と全然変わっていなかった。


その隣には、小樽の「B&Bいちえ」宿主の久保田さんがいた。1980年代にはキャピキャピのOLでファンシーな旅行ばかりしていたのだが、礼文島の「桃岩荘ユースホステル」で旅に対する考え方だけでなく人生まで変わってしまったという人だ。

あと雨竜町の「ゆき・ふる・さと」の重久さんがいた。2006年9月、ここの宿に泊まり、登山口まで送迎してもらい日本第二位の高層湿原である雨竜沼湿原を経て暑寒別岳に登り、日本海側に降りて「ぼちぼちいこか増毛館」の一休さんに迎えに来てもらった。あのとき昼食のおにぎりを重久さんに持たせてもらったのだが、本当に忘れられないほど美味しかった。
他にも、「ニセコ旅物語」の五十嵐さん、「小さな旅の博物館」のわんわんさん、「ゆう」の隊長など、むかし泊まった宿の宿主さんたちがいて、
何というか、総会の内容よりも懐かしさで胸がいっぱいになった。

総会が終わり部屋割りされた部屋に行った。のみぞう氏とタニさん、あと当宿と同時期に加入した「弟子屈ベース」の土屋さんがいた。56歳でサラリーマン生活に見切りをつけて、とほ宿だった「ひとつぶの麦」を譲り受けて開業したという人だ。

”56歳でした。多分定年が65歳に延びるだろうというのはあったんですね。で、65歳まで働いて、さぁ、これからどうする?となった時に、どうしようもないだろうな、と思ったんですよ。まだ元気で、なんかできるうちに辞めて次の仕事をしようかな、と思いました。” 

「とほネットワーク」HPより

自分も今54歳だが、同年代の人でこれからの人生に迷いを持っている人は少なくないだろう。新しいことに挑むのは大量のエネルギーが要る。現状維持を選んだほうがラクではある。しかし決断を先送りにしていくうちに体力も選択肢もどんどん少なくなっていく。最初、50代後半で宿を始めると聞いて(52で始めた自分のことは棚に上げて)随分遅いスタートだなと思ったが、実際に会ってみると想像よりもずっと若く感じた。新しいことに挑んでいる人は誰もが若者だと思う。
あと1人同室は、十勝の「こもれび」の川勝さんだった。この時45歳で「とほ宿」の宿主としては最年少。しかし宿主としてのオーラを放っている。自分ももっと早く宿をやっていればよかったと思った。


「とほ」のプレートを授与

夕方からは宴会となった。自分にとってはむしろこれがメインだ。いろいろな宿の人に顔を覚えてもらい、各宿の飲み会の場自分の宿を話題に出してもらいたい。

途中、「とほネットワーク」代表の「ぼちぼちいこか増毛館」一休さんから、「とほ」のプレートを授与された。

一休さんよりプレートを授与

1997年、まだ雄冬にあった頃に初めて会ってからそれなりに年は取られていたが、全然変わっていないピーターパンのような人だった。

あのとき一休さんは、番屋を改造した鄙びた宿の居間で電気を消してランプの灯りの脇でギターをかき鳴らし旅の歌を歌い、酔っぱらいながら「俺の夢は、宿だけで食っていくことだよ!」と語っていた。学校の用務員とかいくつかのアルバイトを掛け持ちしていたのだ。
一休さんと呑みながら、「僕はこれから宿やっていけますかねえ」と少し弱音を吐いた。すると一休さんは「コバヤシくん、お金が無いんならバイトをすればいいじゃない!」と言った。「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という言葉を思い起させる。一休さんは今でも郵便局のバイトをしているという。他の宿主たちもそれぞれバイトネタを語りだした。夢というものには終わりがなく、常に叶えている途中なのかもしれない。

一休さんの音頭で乾杯

その後も宿主たちとひたすら呑んだ。しかし同業者の集まりにもかかわらず、客単価や稼働率や収益の向上とかSWOT分析といったような話は出ず、ひたすら旅の思い出話とか他の宿とか旅人たちの噂話ばかりで、ほぼ旅宿での飲み会の話と変わらない。
自分も儲けようマインドは低い人間だと思うが、みんなここまで悟りきった境地になれるものだろうかと思った。カネというのは人生において手段であって目的ではない。ここにいる人たちにとって人生の目的は宿をやっていくことと、宿で楽しむこと。そして、儲かっていなくても20年30年と宿を存続させている。

車が出るたびにお見送り


翌朝、お互い見送りながら宿を後にした。宿を始めてからは旅行の終わり頃には自分の宿に早く戻りたいと思うようになっていたので、旅から帰るのが切なく感じるのは久しぶりだ。来年も必ずまたここに来ようと思った。

旅の終わりが近い

「とほ」vol.33に掲載

そして2024年3月末、自分の宿が掲載された「とほ vol.33」が宿に届いた。

自分の宿が「とほ」に!

20代の頃、北海道旅行に行く前に何度も何度も読んで行き先を考えた「とほ」に自分の宿が載っている。


この記事を書いている時点で、
開業から1年11か月。
宿をやると決めてから2年8か月。
サラリーマン生活に終止符を打ち、福井にUターンしてから14年。
最初に「とほ宿」に泊まってから28年。
最初に北海道に行ってから35年。

現在の状況をひと言で言うと「儲かってはいないがムチャクチャ楽しい」に尽きる。7割は趣味というか道楽だ。自分がお客さんを楽しませる、とはあまり考えていない。見知らぬお客さん同士で盛り上がって楽しんでいるのを見ると宿をやって本当に良かったと思う。

宿主の中には、最初に北海道に行った時から強烈に魅せられて、20代のうちに開業した人も多い。それに比べたら、何と遅い決断だったんだろうと思う。しかし、色々遠回りしたからこそ見えたものもあるのかもしれない。いっぱいいっぱい試行錯誤したし、時には人からバカにされたし、足掻きながら色んな事を覚えた。時間はかかったかもしれないが宿を開業できた。意味のない時間ではなかった、そう信じたい。

でも開業してからも悩みは尽きない。特に集客は一筋縄ではいかない。このまま続けていけるんだろうかということは毎日毎日考えている。少しでも集客につながりそうな事があったら即実行している。

しかし、何とかなるだろうという拠り所はある。20代の頃に「とほ宿」に泊まって楽しい時間を過ごすと同時に、「こんなんで宿をやって続けていけるんだろうか?」と、ほぼどの宿でも思った。どこの宿も安い割には気前が良く豪華な料理が出て、どう見ても儲かっていない上に客もそんなには多くはない。でも現在、高齢や家族の事情のため閉館したり「とほ」を退会した宿はいくつかあるけど、まだ多くの宿は続いていて、日本社会は大きく変わったのに宿も宿主たちもあまり変わっていない。

もちろん順風満帆というわけではないのだろう。でも、こうして実際に宿を続けている人たちをに会うと、旅宿をやろうと決意した時の気持ちを忘れなければ何とかなるのではないだろうかと思う。サラリーマン時代にいろいろな会社を見て来たが、世の中準備万端で始めたビジネスでもあっけなく終わることがある。目的が「収益」であれば儲からなくなった時点で続けていく理由はなくなる。しかし、「自分のやりたいこと」なら何とかして続ける方法を考える。

現状自分の宿は人気宿と言われるには程遠いし、まだまだ改善点は多いし、宿だけで食っていけてるわけではなく、本業と二足の草鞋なのであまり偉そうなことを言えるわけではない。

ただ、一つだけは胸を張って言える。

好きなことを仕事にするのは最高だ。

(完)

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