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エゴや嫉妬心を捨てたい。「利他の心」はどうしたら持てる?【仏教で答える悩み相談32】

人の数だけ、悩みは尽きぬもの。皆さまから寄せられた悩みに、お坊さんや仏教関係者たちが答えます。

今月のお悩み

Q 最近の社会情勢を見ていると、「利己」ではなく「利他」の心を持つことが大切だとつくづく感じます。ただ、言うは易し、行うは難し。どうしたら嫉妬やエゴを捨てて、「利他の心」を持つことができるのでしょうか?
(50代・男性)

A1 利他とは菩薩の歩む道


 仏教における「利他」とは、本来「自利利他円満」といって自他を隔てずにさとりをめざす菩薩の行いです。日常語にすると「私の幸せがあなたの幸せ」「あなたの幸せが私の幸せ」といってもいいでしょう。

 ただ、私たちは自分の幸せだけを追い求めてしまいがちです。例えば受験に合格したとき、不合格の人のために自分の枠を譲ることはできるでしょうか。自分の好きな人が自分以外の人と幸せになっていたらショックを受けませんか。台風の進路が自分の住む地域から別の地域に変わると、そこに住む人のことを忘れて安心していませんか。

 「嫌いな人が失敗をして嬉しい」など、人の不幸が自分の幸せになる場面もあります。

 仏教の自利利他の精神を学ぶと、どこまでも自他を隔てて利己的な私のすがたが知らされます。菩薩にはほど遠い不完全な自分であることを深く見つめていった先に、本当の「利他の心」に出遇うのかもしれません。
(編集委員・横内教順)

A2 あなたに向けられた利他

 この度の大地震でも、被災地に向けられる人々の気持ちに私自身励まされる思いです。でも行うは難しというのはその通りで、大きすぎる事象が自らを萎縮させてしまうことが何度もあります。

 東日本大震災のあと、よく言われたのが「支援する人を支援する」という考え方でした。できないことはできる人に託し、その分サポートに回る、そして関心を持ち続けるということです。

 仏教者として付け加えるなら、実はそういった気持ちを他から受け続けてきたのが私でもありました。

 ですから、他の人に向けた行動だけではなく、見過ごしてきた他者の思いに気づくことも利他の内容と思います。なお仏教では「利己と利他」ではなく「自利と利他」で考え、意味合いも異なりますので、特集の企画を編集部に提案しておきますね。
(編集委員・藤本真教)

 A3 人それぞれの「利他」がある


  私たちは、隣を歩いていた人が突然転んだとしても、痛くはありません。悲しいことに、他人の痛みを、私は感じることができないからです。

 しかし、私たちの周りには、人の痛みを我が事として受け取り、自分の身を顧みることなく、他人のために行動することができるような「利他の心」を持った人もいます。そして、その究極の姿が、私たちのいただいている阿弥陀さまという仏さまです。その姿は、自分と他者、損か得かといった考えにとらわれず、相手のことを最優先に行動するという価値観を私たちに与えてくださいます。

 理想とするような「利他の心」を持てない自分を苦しむのではなく、仏法や私たちの周りにある様々な「利他の心」に触れていき、人それぞれの「利他の心」を育んでいってはいかがでしょうか。
(築地本願寺職員・橘 俊了)
 
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※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。