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将来への備えは、早い方がいい【多田修の落語寺・茶の湯】

多落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。
このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。今回の演題は「茶の湯」です。


 ある商家の主人、店を息子に譲り、根岸(台東区)に引っ越して隠居の身です。現役の時は仕事一筋で、趣味らしい趣味がなく、隠居してから毎日退屈しています。そこで茶の湯を始めました。

 だれからも教わらず、おぼろげな記憶が頼りの自己流なので、用意する物も作法もデタラメ。抹茶ではなく青黄粉を買い、それでは泡が立たないので椋の皮(無患子という樹木の皮。昔は洗剤として利用されていました)を入れる始末。それを毎日飲んでいるので、お腹を下してしまいます。やがて、仲間がいないと面白くないということで、近所の人たちを巻き込んで……。 

 茶を飲むことは、中国では古くから精神修養の一環とされてきました。8世紀の中国の文献『茶経』(「経」とついていますが仏教経典ではありません)には、茶には心を静める効用があり、徳につながるという意味のことが書かれています。

 やがて茶が禅寺に取り入れられ、それを鎌倉時代に栄西(臨済宗の祖)が日本に伝えました。栄西は、茶の効用を記した書『喫茶養生記』を残しています。ちなみにインドでの茶の栽培は、イギリスの植民地だった19世紀に始まりました。

 この落語のご隠居さんは、引退後の用意が不十分でした。「いずれ来るのはわかっているけど、まだ先のこと」と思っていると、準備不足でその時が来てしまいます。「来て欲しくないこと」への備えは気が進みませんが、大事なことです。

『茶の湯』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
柳家小三治師匠のCD「落語名人会32柳家小三治茶の湯」(SonyRecords)をご紹介します。力りきみのない語り口が、隠居暮らしの雰囲気をかもし出しています。

多田 修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺副住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。