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双極症の体験記

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記事一覧

B①退院直後の恐怖

【B:引きこもり〜復帰編】
 久しぶりに乗る車は怖かった。そういえば退院時に不安時の頓服はもらっていなかった。入院中の不安時・不穏時はセレネースの筋肉注射のまま変わらなかったからだ。最悪だ。後部座席で私は緊張したまま3時間を耐え、何とか実家に到着した。
 実家に着くと緊張は和らぎ、夕食と入浴を済ませ、布団に入った。その時突然「⚪︎⚪︎さんが家に殺しにくるのでは?」と思ってしまい、恐怖が湧いた。妄想

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A①〜⑩の解説【研修医〜入院編】

A①うつ状態で死にたくなったら、仕事を休むという決断が必要です。命より大事な仕事はありません。
A②うつ状態で発症した場合も、躁状態になることで双極症の診断がつく。
A③躁状態になっても能力は上がらないと言われているが、私の場合脳が高速回転し、いろいろな発想が湧く。
A④躁状態に伴って妄想(精神病症状)が出現したので、診断は「双極性感情障害、現在精神病症状を伴う躁病エピソード」。錯乱状態で事故に巻

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A⑩春の退院

 3月に入り、A先生の診察の際に「そろそろ開放病棟に移るか?」と聞かれ、怖い気持ちはありつつもお願いした。看護師さんたちには「おめでとう。退院も近いね。」と言われ、そうなんだとびっくりすると同時に、嬉しくなった。
 開放病棟は女性看護師がほとんどだった。患者は男性も女性もおり、病棟の空気感がかなり違った。開放病棟に移り、単独の院外外出許可となった。最初は1人で外出するのは怖かったが徐々に慣れて、院

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A⑨人生はどうなる?

 入院して1ヶ月半が過ぎた2月、男性看護師さん同伴で病院の周りを散歩できることになった。久しぶりの外。病院は田舎にあった。すれ違う車が異様に速く感じられ、怖い。閉鎖病棟とは刺激の量が違う。たまらずすぐに帰った。
 1日4錠のアキネトンによる口渇に苦しんでいた私は、A先生にリスパダールの変薬をお願いした。「太るよ。」と言いながら代わりに処方されたのはジプレキサだった。私はジプレキサと相性がよかったよ

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A⑧隔離室を出て

 正月3が日が明けてA先生がやって来た。「目が落ち着いてきた。今日から隔離室を出てもいいが、疲れたら隔離室に戻ること。」
と言われ、男性患者のみの閉鎖病棟に移動した。A先生、早くないですか?
 閉鎖病棟は隔離室に比べ刺激が多かった。脳を使い過ぎると脳にどくどくと何かが流れ、脳が重くなった。それが危険信号(殺される)に感じられ、閉鎖病棟は安全な場所ではなくなった。そうして隔離室には2回戻った。
 閉

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A⑦現実か妄想か

 1週間近く妄想の世界に飲み込まれていた私を、少しずつ現実に引き戻したのは人だった。
 親が来た。殺されたわけではなかった。私の考えは間違いだったのか?隔離室の鉄格子ごしの面会で親はショックを受けていたが、「ここが一番守られている。」と伝え、来てくれたことに感謝した。
 ある男性看護師さん。ご飯を全く食べない理由を聞かれ、「毒が入ってるから」と答えると、真っ直ぐ僕を見続け、「毒は入ってない」と力強

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A⑥妄想の隔離室

 隔離室からは出られない。退院しても殺されるだけだろう。幽閉された気分だった。
 看護師さんは男性も女性もいた。みんな親切。ただし⚪︎⚪︎さんに操られているので、信用するわけにはいかない。
 1日3回薬を渡された。私は病気じゃないから飲むわけがない。薬は口に含んで舌の下に隠し、看護師さんが去るとトイレに吐き捨てた。
 食事も水も毒が入っているようだ。味は変ではないようだが、姑息なことをするものだ。

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A⑤入院したくない

 目が覚めると暗闇の中。6畳くらいの広さで鉄格子が見えた。隔離室だ。異様に眠たいのでまた寝た。
 明るくなり起こされた。隔離室を出て部屋に入ると白髪交じりの精神科医(A先生とする)と親がいた。A先生は一目で信用できた。A先生に入院が必要で、任意入院にするから同意書にサインするように言われた。ちょっと待ってくれ。私はここが一番安全だから逃げてきただけで、病気ではないし、入院も必要ではない。A先生に診

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A④クリスマスの錯乱

 精神科医に休養を言われたのはクリスマスだった。マンションに帰って突然思った。「私みたいなやばい奴は殺されるのではないか?もし殺しにくるとしたら⚪︎⚪︎さんだ。」その瞬間にたまらなく怖くなった。マンションに1人でいるのは危険だ。車で逃げるか?いや、事故を装って殺されてしまう。どこに行けばいい?病院なら味方がいる!
 研修病院に戻った。味方を求めてさまよった。「助けてください。私は殺されてしまう。」

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A③救急外来の神様

 「適応障害」が寛解し、治療なしで初期研修医2年目に突入した。研修医の仕事にも少しずつ慣れて、それに伴い自信もついてきた。
周りの評価も「大したことない研修医」から「普通の研修医」、さらに「そこそこできる研修医」に変わった。
 2年目の秋、だんだん睡眠時間が短くなった。まだ夜の暗い時間に目が覚めて、眠たくないので暇だった。だったら救急外来でも手伝うか、と当番日でもないのに救急外来に行く日々が始まっ

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A②抗うつ薬で躁転

 心療内科の部長に診察してもらい、「適応障害」と診断され、3か月の休職の診断書が書かれた。処方はアモキサン(注:三環系抗うつ薬。効果は強いが副作用も強い。)であった。
 休職といってもすることがあるわけではない。趣味なんかする意欲もない。ただひたすら寝ていた。
 1か月が過ぎ、元気が出てきた。そして元気を通り越して気分が高揚してきた。休職中にも関わらず、一人でリゾート地に旅行にも行った。なんで自信

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A①研修医1年目のうつ

【A:研修医〜入院編】
 医師国家試験を合格し、4月から病院での初期研修が始まった。同期は私を含め10名で、自分より優秀に見えた。事実、同期は優秀だった。日々の救急外来カンファレンス、週1回の症例検討会で自分が初期研修医として劣っている事実を思い知らされ、焦った。    
 自信を失った私がうつ状態になるのに時間はかからなかった。頭は一向に働かず、研修医として何をやっているのかわからない。朝は起き

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