【?】意識【?】
意識という言葉の指示対象を明確にする
■混乱する「意識」の意味
この物質世界(時空間)がブラックホールを結節点にして、意識とコネクトしているという、「あおいのきせき」の知見による、未だかつてない大胆な推論による仮説が、今ひとつピンとこないとすれば、その理由は「意識」とは何かがはっきり理解できていないことによると思われます。
■デカルト(及びニュートンら)による二元論のツケ
ざっくり言いますと、所謂「心身(主客)二元論」を一般的な科学的思考の大前提として組み立てた「物語」こそが「真理」という公理を採用した「だけ」だという事を、自覚しないほど「当たり前」とした社会が続いた結果、長いこと自然科学から排除されていたのが「意識」です。
■客観(という仮想世界)だけを実在とした結果「意識」を忘れる
主観とは無関係の実在としての客観世界とは、そもそも仮想世界であるという「但し書き」を私たち人類、特に「科学者」は忘れたままにしてきました。
それを再び思い出したのは、「科学」が「極限」つまり「無限」の問題に突き当たって「量子力学」を思いついた時でした。
■(広義の)観測問題
シュレディンガーの猫に特筆される観測問題とは、即ち、数学がおおよそ無自覚に採用している「無限」の解釈としての「極限」の問題のことです。
■無限の問題を微積分で「さて置くことにしていた」
以前にも書かせて頂きましたが、この角度から申せば、要するにいわゆる「宇宙」に確実に存在する「無限」について、「極限」という方法では対処できない、ということが明示される、という事がつまり、観測問題なのです。
何故、時空間を突き詰めた「時点」において「意識」の話が顔を覗かせるのでしょうか。
(「答え」を先に言えば「その時点」の「向こう(こちら)」に「意識」があるからです)
意識とは
■非物質かつ非波動
「意識」を厳密に言語として指示すれば、物質でもなく、かつ、波でもない「存在」と言って間違いはないように思います。
ちなみにこの定義によれば、「意識」を「科学」の対象である「自然科学的存在」に組み込むことは「数理物理学」的にも容易になるように思われます。
要するに、例えば「虚数」として。
■「意識」と「わたしの意識」は異なります
こちらに書かせて頂きました通り、ここで指示される「意識」は「意図」や「意志」とは別になります。
「意識」といいますと、経験に照らして「私の心の中(わたしの意識)」と思い込むことが多いようです。
結果、「私の心」の中にある「言葉」や「欲望」やら種種の「思い」など、「個に限定される感覚」までをも「意識」の指示される対象である、と解釈してしまうことで、混乱が生じます。
■ここでいう「意識」とは「場」のことです
認識(感知)する「場」であったり、言葉を紡ぐ「場」であって、また、身体各機能の統合する「場」
但し、この私たちの居る「時空間」で指示される「場」とは決定的に異なります。
いわば、「虚」としての「場」です。
その、いわば「空間(のようなもの)或いは反転した虚である時空」を、此処では「意識」と呼びます。
「わたしの心の中身(感情・痛み・欲望・感知した対象)」とは無関係のただの「場」
この文脈に於いて、おそらく、禅宗などが求めている対象こそ、混じりけのない「場」としての「意識」であると推測いたします。
「意識」に頓着しないと「わたしの意識」にしか思いがよらず、(意識から「わたしの」を選り分けることができず)なかなか理解が難しいかとは思いますが、意識とは「(所謂時空間ならざる)場」です。
「あおいのきせき」の知見により理解が出来ますように、心身は因果によらないということは、「受動意識仮説」という現象が一つの例として示唆されております。
意識は【ブラックホール】で時空間と繋がる
■意識と時空間(物質世界)は相互入れ子構造
主観を経由しない客観存在=時空間(物質)存在はありません。
認識主体を無視しての客観が存在するとするのは、実は、かなり実情を無視した暴論です。
(少なくとも)私は主観を通さず、つまり、認識をせずに、客観を知ることはできません。おそらく「すべての人」にとって、そうだと思います。
すると「あなた(私)が認識していようといまいと客観は存在する」と言って私(あなた)をナイフで刺すという反論に及ぶかもしれませんが、ですから、「私(あなた)の意識」と「意識」は違います、と申しております。
あらゆる認識主体は認識主体(主観)を介さずに非認識主体(≒客体)を知ることは出来ない、という事実を指摘しているに過ぎません。
そうしてその「意識」は時空間存在(物質)としての脳に宿っている、という、これもまた、端的な実際。
この意識と物質の相互入れ子構造を合理的に理解する道筋が、
「あおいのきせき」の知見から導かれた、
意識はブラックホールで時空間と繋がる
です。
◎意識と人工知能、人工自我
因みに、意識とは何かすら満足な理解に至らない現状に於いて、厳密な意味での人工知能、人工自我を「組み立てる」ことは困難でしょう。
その意味でも「あおいのきせき」の知見がこのフィールドに対する多大な貢献が予想出来るのです。
■詳細は下のマガジンを、是非
歴史の節目・大転換の時
■世界の物語の大前提(公理)が変わる
上にも書かせて頂きましたが、金融の仕組みが変わればエネルギーの仕組みも変わります。※IISIA原田大靖研究員リポートによる※
経済は科学技術により生産された商品の売買でまわります。そうしてその科学技術の「大前提」が変わるのですから、その意味ではニュートン以来の大転換です。※弊社IR参照※
大転換の真ん中に「あおいのきせき」の知見があるのは勿論で、その発見が(普遍である言説としては)史上初であることから申し上げれば、その規模は人類史以来初めて迎える大転換、となります。
■いまから起きる、様々な社会構造を変革する出来事は
此方のnoteに書かせて頂いている数々と、原田武夫氏の言説と併せて鑑みれば、全て一つの「物語」として理解が可能となることも分かります。
■これからの「あたりまえ」
「あおいのきせき」とそこに至る物語を、是非。
これらこそ、これからの時代の「当たり前」です