三島由紀夫。抑圧に抗い、殺人者に憧れ、愛を知らず、自決に至った少年詩人。(ぼくの三島論、前口上。)
三島作品を読むことはおもしろい。まず第一に、三島の書く文章は極めてグラマラスだ。いったい三島はなんのために、あるいは誰を誘惑するために、あんなにも蠱惑的な文章を書いただろう? 美のために? 自己愛の満足のために? 文学的権威を獲得するために? しかし、けっしてそれだけだとはぼくにはおもえない。では、いったい三島はなにを、誰を、求めただろう? しかも三島ほど他人を愛することが下手くそな人はいないのだ。
次に、三島の過剰な性的ファンタズムである。三島は(男色関係を別として)29歳まで童貞であり、したがって〈女〉への肥大した愛憎の妄想がおもしろい。また、作品に見え隠れする苦痛に喜悦するマゾヒズムが果たして性的関係にも反映したのかどうか? これもまた興味深い。
第三に、29歳から3年間貞子さんと幸福な恋愛をしたにもかかわらず、三島の女性嫌悪が変化しなかったことも不思議である。
第四に、三島は、コドモから青年になるまでにできなかった経験をおこなうべく、ボディビルで体を鍛え、自分自身の芸術化に着手し、ギリシア彫刻さながらの美の化身として自分自身を作り上げた。自分自身の肉体を脱自然化させしめ見る人=観察者=認識者であるところの三島が、今度は大衆から熱いまなざしで見つめられるポップ・アイコンになることに悦楽を見出し、そのよろこびに身を震わせたということである。さらには三島は剣道に精を出し、映画に出演し、歌を唄い、行動する人になってゆく。三島の場合は、ここにマゾヒズムの開花があるのではないかしらん。
第五に、貞子さんとの恋愛が終わり、絶望の果てに見合い結婚をしてから、三島はひそかにバイセクシュアルになって、それが奥様の瑤子さんにバレて家庭は地獄と化す。その後の40歳以降5年間の、憂国感情とともにどんどん死に傾斜してゆく三島については、いったいどう理解していいのかわからないし、ぼくには気の毒すぎて言葉もない。おそらく早すぎる晩年の三島は精神世界~神秘主義に惑溺していって、見えない世界と交流するようになっていったでしょう。
なぜ、ぼくらには、総体としての三島由紀夫がわけがわからないのか? ひとつには三島が戦中/戦後にまたがって生きたからではある。なるほど、「神国日本、天皇陛下万歳、鬼畜米英、進め一億火の玉だ」で育った三島は戦中にはラディゲ‐ユイスマンス‐ワイルド流のブルジョワ的ロマン主義に惑溺し、少年らしい、甘美で官能的な夢想に浸ることで自我を護った。いかにも幻想の王子さまの夢である。戦後の〈アメリカ型民主主義 対 共産主義〉の見かけ上の対立構造の日本においては、三島はこの国体を破壊された惨憺たる現実をニヒリズムで乗り越えようとした。なお、いまにしておもえば、ニヒリズムが生き延びるために有効な思想だったかどうかはわからない。そして早すぎる晩年、三島は憂国思想にとりつかれてゆく。
ここで重要なことは、三島は自我が脆弱ゆえ、考え方生き方が時期ごとに激変すること。カメレオン三島である。三島の人生はピカレスク(悪漢小説)であり、同時にサイコ・ホラーだ。なんて生真面目な悪漢だろう。しかも恐ろしいことに悪漢たる三島自身がサイコ・ホラーに飲み込まれてゆくのである。
いったい三島の人生のどこがサイコホラーなのか? 世にも気の毒な境遇で育った心優しい少年が、祖母、母、父の期待に沿うようないい子を演じながらも、内心「祖母や母、はたまた父に殺されるくらいなら、いつか自分の息子を殺す殺人者になってやる」と決意する。なお、かれにとって殺人者とは芸術家の比喩ではあるにしても、しかしそこには同時に、愛の名のもとに自分を抑圧してやまない祖母、母、そして父を殺してしまいたいという昏いパッションが潜んでいる。にもかかわらず、実生活においてかれはつねに祖母、母、父をおもいやり、よもやかれらを傷つけてしまうことをなによりも怖れ、一貫して良い子を演じ続けるのだ。しかし、それはけっして三島がかれらを愛しているのではない。三島はただかれらの願望に沿う自分を演じているだけなのだ。そうしなければ生きてゆけなかったから。三島はロックンロールにまったく関心を示さなかったけれど、しかしながら三島の魂は反逆する殺人者なのだ。しかし、いったい誰がそんなことに気づけただろう? しかも、この殺人者は人生の最後で、自分自身を殺してしまうのである。
ある意味で三島は〈女〉への復讐に失敗して死んだとも言える。しかし、けっしてそればかりを見るわけにはゆかない。晩年の三島の神秘主義への惑溺、そして霊的国防論を抜きには、三島の自決の謎は解けない。はやいはなしが、世の改憲論者たちが主張するところの〈残念ながら現状の日本国憲法においては自衛隊の位置づけがなされていない、これでは十分に国を護ることはできない、したがって改憲して自衛隊合憲を明確化すべきだ〉という合理的発想だけでは、けっして失われたやまとごころは取り戻せない、随神の道を忘れてしまった日本がいかに自衛隊を増強しようとも日本を護れるわけがない、と三島は主張したわけである。なるほど、一部の保守派論客たちが三島を讃美する理由はここにある。しかしながら、この表の主張はあくまでも早すぎる晩年5年間のものであり、しかも前述の三島の個人的なパッションと複雑に絡み合っているのである。
なお、三島は最期の作品『豊穣の海』4部作で、流れゆく〈時〉を主題にして、生まれて生きて死んでゆく人びとのドラマを描くにあたって、阿頼耶識と輪廻転生を基本概念に据えた。この阿頼耶識が三島読者全員を困らせる躓きの石になっています。おそらくこれは個々人の心は一つの大きな海(阿頼耶識)のなかにあって、ひとりひとりは小さな波の如き存在であり、人はまず感覚、自我をそなえ、心(阿頼耶識)を持ち、やがて死とともに阿頼耶識のなかへ還るという考え方ではないかしら。(これはユングのアカシック・レコードとひじょうに親近性がある。)しかも、この阿頼耶識の教えには、現実に存在するものと妄想によって生み出されるものを峻別し、在るものは在り、無いものは無いことを知れ、という厳しい教えも含まれています。阿頼耶識に従った三島はけっして自決を怖れなかった。たとえ内心はどうであれ。しかし、それは同時に、自分が築き上げてきたすべての文学的営為をただの妄想として否定するものでもあった。
では、なぜ三島はこういう厳しい考え方(阿頼耶識)に至ったのか? まずは三島の人生を振り返ってみましょう。三島は神国たる大日本帝国が大東亜戦争に突入していった最中、読書を通じてロマンティシズムに魅了され、いつ自分が死んでしまうかわからない現実のなか、幻想のなかで死を希求する。なぜなら、三島にとって死は抑圧された生からの解放であり、しかも幻想のなかの死は崇高だった。しかし、だからといって学徒動員で戦場で死んでしまうのはおっかない。けっきょく三島は徴兵をまぬがれ、不幸なことに夭逝の天才少年作家になる夢も潰え去り、戦時下を生き延びてしまう。三島が愛し愛されることができたのは、ただひとり3歳年下の妹・美津子だけだった。しかし、その美津子は敗戦直後、三島が二十歳のときに死んでしまう。そして戦後日本は国体を破壊され、アメリカ形民主主義に洗脳されてゆく。
精神科医たちによる病跡学研究においては、三島にナルシシズムを見る論考が多い。なるほど、三島にとってナルシシズム‐自己愛は外界からかれの自我を防衛する重要なものだった。逆に言えば、あれだけ過剰なナルシシズムがなくては生きてゆけないほど、三島の自我は脆く虚弱だったのだ。いかに三島が愛という名のもとに虐待されて育ったかがわかる。
三島の祖母も母も父も、三島を愛したつもりながら、しかしその愛は自分勝手好き放題に三島を支配することだった。したがって、三島は誰かからの愛によって、自分が全面的に肯定された経験を持たずに育った。その帰結として、三島は他人を愛することがどういうことなのかわからないのだ。しかも、三島は反抗期さえも持てなかった。三島はひたすら愛されることを求め、しかし、自分を愛そうとする者を拒絶してしまう。
三島はまず最初に、自分のナルシシズムを小説を書くことで満足させた。三島は作品を書き、全能の神として、作品のなかで美化された自分の分身たち(認識者/行動者)、あるいは自分を抑圧してやまない人たちを活躍させ、かれらをコントロールし、登場人物に罪を犯させ、自分を支配する者を殺すことで、辛うじて心のバランスを保ち、なんとか生きようとした。すなわち三島にとって書くことは、生きることの代償行為なのだ。だからこそ、青年時代の三島は必死で職業作家になろうと努力し、見事にスター作家になりおおせた。なぜならば、職業作家だけが書くことを生きることにすることができるから。三島は山のように小説を書いた。そうしなければ、自我を護ることができなかったから。また、三島が週刊誌のグラビアに出もすれば、映画の出演し、歌まで唄いスターであり続けたかったのは、虚像を演じることによってしか自分自身を表現できなかったからである。三島があれほどノーベル賞を欲しがったのも同様の動機にもとづいている。輝かしい名声、権力、そして自分自身に備わった誰にも敵わないほどの美、これらを三島がどれだけ渇望したか知れないし、またじっさい三島はそれを獲得した。
三島の作品ではひんぱんに生きることへの意志が表明される。その代表は『金閣寺』のラストである。あれだけの大犯罪を犯した後で、犯罪者は生きようと決意するのだ。その後かれが生きる世界は牢屋のなかしかないというのに。これぞアイロニーである。しかし、このアイロニーの毒はやがて三島自身にまわってしまう。
三島の性的嗜好もまたつねに揺れ動く。二十歳の三島は当時つきあっていた女性(『仮面の告白』に描かれるつまらない女・園子)とキスまでもっていったものの童貞のまま失恋。三島はこの失恋を契機に(三島にとって空虚な戦後のなかで)男色に傾斜してゆく。(『仮面の告白』~『禁色』)そこには男色者をエリートとして、世俗のヘテロたちを見下す歪んだロマン主義がある。ところが、そんな性的さまよいを経て、三島は29歳で19歳の貞子さんと大恋愛をしてめでたく(女性関係における)童貞も捨てて有頂天。果たして三島はこの時期、人を愛することを学んだろうか? 必ずしもぼくはそうはおもえない。なぜなら、この時期の三島の小説、たとえば『沈める滝』においても、けっしてヒロインは幸福な運命をたどることができない。それでも三島は貞子さんとの恋愛によって幸福だった。三島は自分の貧弱な肉体を嫌悪し、ボディビルに情熱を捧げる。三島は文弱だった少年期を恥じ、筋骨隆々のマッチョな男になってゆく。この時期三島は作品が書けて書けて仕方がない。しかし三島にとって不幸なことに彼女との恋愛も3年で終わってしまう。一説には三島は絶望にのたうちまわり、けっきょく瑤子さんと見合結婚する。そして子供をさずかってからは(夢にもかれらを殺すことなく、むしろただひたすら)愛した。果たして愛することを知らない三島がどのようにコドモたちを愛したのか、それは誰にもわからない。三島にとって他人への愛は、もっぱら社交によって肩代わりされている。三島は立派な紳士であり、華やかな社交家だった。三島は他人に自分を愛するような気持ちにさせる術にだけは卓越していた。誰もが自分は誰よりも三島に愛されていると信じた。
結婚後三島はバイ・セクシュアルになる。これが発覚し、三島と瑤子さんの関係は地獄と化す。そしてコドモの頃から内に秘めていた死の欲動が、いつのまにかふがいない戦後日本への怒り、そしてそれに起因する愛国心と結びついて、楯の会を結成する。三島にとって、志をともにする若者たち百人とともに訓練したあの時期はさぞや幸福だったろう。同時に三島は自分がどんどん中高年に近づいていて、若かった日の美しさが失われつつあり、自分が醜くなってゆきつつある現実を極端に恐れた。だが、どれだけ努力しようとも、老いは万人に訪れる。そして三島は計画どおり盛大なパフォーマンスによって、自決してしまう。
果たしてそれは神国日本への愛だったろうか? もしもそうだとすれば、三島の人を愛することの不可能が、国を愛することに転化したということになる。たとえ他人を愛することができなくとも、しかし理念のためならば死ぬことができる男。それが三島由紀夫なのかもしれない。なるほどそこには日本浪漫派の再来をおもわせるものがある。しかし、繰り返すが、あれは霊的国防の必要性を訴えての自決なのだ。しかも、そこにはけっして死を恐れず、自決に至った三島こそが崇高な美と栄光に包まれ、他方、世俗にまみれ、現生利益を求め、ネズミのように這いまわり、一喜一憂しながらいつしか老いて死んでゆく俗物たちは哀れで愚かとしか言いようがない。そんな不遜な美学を三島は持っていた。そして三島はこの美学に殉じた。
ところが、三島の最期の大作『豊穣の海』4部作の最後『天人五衰』を読み終わるとき、われわれ読者は呆然とする。これは三島の〈女〉への敗北宣言であり、自分の作家人生は無意味だったのだ、という三島の失意と絶望の表明ではないか。いったいどうしてこんなことになってしまったのだろう? 三島は起筆にあたってプルーストの『失われた時を求めて』に匹敵する名作を目指しただろうはずなのに。三島は作品のなかで永遠に生きようとしたはずなのに。
では、果たして三島の人生はあの自決に行き着くほかなかったのだろうか? そのように解釈することも可能ではあるでしょう。しかし、それは事後的に遡行して三島の人生を解釈するからではないか。われわれはけっしてあの自決に帰着しなかった三島の人生をいくつも想像することができる。たとえば、もしも三島が少年期に反抗期を持てていたならば? もしも妹・美津子が生きながらえていたならば? もしも『仮面の告白』の園子が欺瞞的で陳腐な女でなく、三島に対する包容力を持っていたならば? もしも三島が29歳から3年間つきあった貞子さんと結婚できていたならば? もしも三島の結婚相手が瑤子さんでなかったならば? はたまた三島が瑤子さんと友情を築くことができたなら? もしも三島の『鏡子の家』(1959年)が好評に迎えられていたならば? あるいは文学的に見るならば、もしも三島があの〈俗世間を軽蔑し、天に輝く至高なる美に身を捧げ、闘うロマン主義〉と決別できていたならば? あるいは持ち前の幻想文学者の資質を隠すことなく、幻想文学者に転身していたならば? 三島の人生はまったく違ったものになったことでしょう。すなわち、ぼくは三島の自決をけっして必然とはおもわない。あんな死に方をせずに済んだ三島の人生がありえたはずだ。そこでこれからぼくは、実際には生きることができなかったけれど、しかし可能性としてはありえたはずの、三島のもうひとつの人生を読んでゆく。もちろん他方で、三島の自決のほんとうの意味をも解き明かすことを目指しながら。
あ、ぼくは大事なことを書き忘れていた。三島由紀夫の作品にはけっして納得できない挑発的見解が多々ある。しかし、だからこそ多くの読者は自分もなにかを書かなくてはならないという勇気を駆りたてられる。代表的な例は大江健三郎で、かれが作品を書く動機にはそれこそ〈われわれは三島を殺さなくてはならない〉という使命感が見え隠れしています。
どうぞ、興味のある人はぜひ最後までおつきあいください。人によっては〈世界でいちばんおもしろい三島論〉になるかもしれません。もっとも、読んで怒り出す人もいるかもしれません。「ひどい駄文だ。三島が泣いている!」とかね。そんな読者にはあらかじめ謝っておきましょう、ごめんなさい。
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