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私が占い師になったワケ(闘病記㉒サイトカイン阻害薬 弁膜症の疑い 27歳)

2006.03.24 昨日から右足の甲の骨が融けている痛みが酷いため、整形外科を受診する。リウマチ内科の先生は強直性脊椎炎の疑いもあると言っていたが、本当だろうか。

できれば大学病院を受診した方が良いと整形外科の主治医は言っていたが、この頃の私は右足の痛みと右ひじの滑膜炎(水が溜まる)に悩まされていたので、高速を飛ばして何時間もかかる大学病院を受診する気にはならなかった。

2006.03.28 今日はテレビで関節リウマチについて特集していた。その中でもサイトカイン阻害薬と言うものに興味を持った。

メトトレキサートが不十分な場合は、インフリキシマブを点滴すると良いそうだ。

今ならば何でもネットで調べられる時代なので、メトトレキサートがリウマトレックスでインフリキシマブはレミケードだと言うことは検索すればわかることだが。

この頃の私はリウマチについて初心者なので、テレビを見ながら必死にメモを取っていた記憶がある。

またリウマトレックスとレミケードで効果が出なければ、エタネルセプト(皮下注射・自己注射)を追加すると良いことを知った。

尚、副作用については、間質性肺炎などが挙げられるが、この薬の一番厄介なところは、薬価が高いと言うことだ。

それに1度使い始めたら、簡単にやめることはできないらしく、効いているのであれば死ぬまで打つのが一般的らしい。

ちなみにこのときテレビで関節リウマチについて話していた先生は、その昔、私が都内の大学病院へ通っていた頃の主治医である。

2006.04.05. 今日は左胸に痛みを感じた。今までに1度も感じたことのない痛みだった。そろそろ心電図を撮る時期が来たのかもしれない。

確か以前の診察ではリウマチ内科の主治医が「心雑音が聞こえるので、弁膜症かもしれない」と言っていた。

痛みは一時的で治まったが、病院でエコーをやるのでさえ、気がすすまない。

2006.04.14 今日は久しぶりに右足に激痛が走る。ボルタレンサポ50mgで痛みを飛ばす。明日には痛みが消えていると良いのだが。

2006.04.15 今日もまだ右足は激痛に見舞われている。ボルタレンサポ50㎎(座薬)が効いている間は良いが、痛み止めが切れたらきっと夜も眠れないだろう。

私はただ骨が融け、崩れ落ちていくのをじっと耐えている。

こんな時は決まってその場をやり過ごすしかない。

2006.04.19 今日は床の掃除をしていたら、右手に異変が走った。とても変な痛みだった。

最近は右手に力が入らないと言うことがあり、筋力の衰えを感じる。

2006.04.20 今日はリウマチ内科を受診した。採血の結果はMCHが少し高かったが、特に異常はないとのこと。

しかし心雑音がまだあり、弁膜症の疑いがあるので、大腸の検査(ファイバー)に続き、心臓のエコーをやらなければならないそうだ。

尚、今日からプレドニンは2mgではなく、1日1mgの服用になった。

2006.04.25 今日は朝の7時からラキソベロン(下剤)を飲み始める。大腸の内視鏡検査を受けるためだ。

生まれて初めての胃カメラは10代の頃に受けたことがあり、あの頃の胃カメラは本当に地獄だった。

それに比べれば、大腸検査の方がまだマシだと膠原病科の主治医は言っていたが、確かに鎮静剤を使ったせいか、昔の胃カメラほど痛くはなかった。

潰瘍性大腸炎の疑いもあったが、腸管ベーチェットの疑いもなく、良性の腫瘍も見つからなかった為、ポリペクトミー(内視鏡ポリープ切除)もおこなわれなかった。

内視鏡の専門医によると、下部消化管出血の原因は、ボルタレンサポ50mg(座薬)の使用に伴い、粘膜がただれておこった痔が原因とのこと。

ちなみに感染症検査(TBs抗原・ガラス板・TPHA定性)はすべてマイナスだった。

明後日はいよいよ弁膜症の検査だ。

2006.04.27 今日は右ひじの激痛で目が覚めた。おそらく1週間目にステロイドを1mgに減薬したことが原因だろう。

心臓のエコーを撮る前に膠原病科を受診した。

するとせっかく1mgまで減薬できたステロイド(プレドニン)を再び5mgまで増やすことになってしまった。

再度、右ひじの関節に水が溜まり、炎症を起こしているのだから仕方がない。

午後からは心臓のエコー室へ。

心臓のエコーは生まれて初めてだ。

早速ではあるが、エコーを撮ると弁膜症の疑いは晴れた。

詳しいことは3週間後に教えてくれるらしい。

2006.05.18 膠原病科を受診すると主治医は開口一番。
こう言った。

「弁膜症の疑いは晴れたけど、心雑音があるわけだから、加齢によって弁が閉じにくくなっているのかもしれないね」と。

そのため、経過観察が必要となった。

ここまで自分が書いた日記を見直していて思うのだが。本来ならば右足に骨破壊が起こっている時点で生物学的製剤の使用に踏み込むべきだったのかもしれない。

ただその当時の私は占いを勉強中の身で、障害者雇用の面接に落ち、無職だったと言うこともあり、お金がなかったので、1本打つのが高額な生物学的製剤の使用は、現実的ではなかった。

たとえ保険が効いたとしても、その当時で3万円から4万円だったと思う。

あれから20年が経過し、私は右手の血管炎に悩まされ、のちに悪性リウマチに対し、生物学的製剤を打つことになるのだが、それだって保険が効かなければ1本11万円くらいはする。

リウマトレックスが効かなければ、ステロイドを増やすのではなく、生物学的製剤をもう1本追加した方が良いと言うのが、今の膠原病科の主治医の考えだが、月に2本も打ったら注射だけで22万円。

医療費削減とは、程遠い世界である。

また日記を見直していて思ったのだが、この頃に初めて右手に異変を感じていることを知った。

と言うのも、私は8歳の頃から50歳を目前にした今までの間、ずっと病気なので、noteを初めてこの日記を見直すまで、大半のことは忘れていた。

実は今もステロイドを減薬し、1日に2mgまでプレドニンの服用を落としているのだが。

この時に書いた日記を見直すまでは、ずっと5mgを服用し続けていたのだと思っていた。

もちろん占い師になる前に私は病名を一切公開していないので、プロの占い師になってからは、闘病日記を付けておらず。

1番最初に始めたエキサイトブログから抜粋する予定なのだが、そもそも占い師としてデビューし始めた頃は、ブログに何を書いたら良いのか、まったくわかっていないので、闘病に関する記事はあまりないかもしれない。

また本来ならば最初に断っておくべきだったが、私は普段、占いの原稿を書くお仕事もしているのだが。原稿と言うものは、何度も何度も見直すと、直したい箇所が増えていくもので。

その結果、書きたいことがはかどらなくなりそうだと思ったので、noteに闘病記を書き始めてからは、1度も見直していない。

そのため、誤字脱字や重複した内容もあるかもしれないが、生きているうちに伝えなければならないと思うことが沢山あるので、ご勘弁を。


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