文章を書くことが楽しい人は一生幸せである🐼子ども時代は駄目人間?だった私😿
小学生・中学生時代の私は、国語教科が苦手で、あまり好きな教科とは言えませんでした。国語の中で最悪だった分野が、読書感想文です。私はこれが大嫌いで、いつも書くことが難儀で苦労していました。
とにかく「書けない、書けない、書けない」(涙😿涙😿)。
子ども時代のこの「悲痛な心の叫び声」がわかる人は、私の仲間です(笑笑笑)。
そんな苦悩の子ども時代を過ごしたにも関わらず、今の私は文章を書くことが楽しいです。そして、大好きです。
なぜそんなことになってしまったのでしょうか(笑笑笑)。
今回は主に、「文章を書くことが楽しい人は一生幸せである」について書きます。いつも通りの雑記となります。
なお、今日は月曜日ですので、軽めの記事にします。月末は只でさえアクセスとスキ💛が少ないです。さらに、月曜日は多忙な現役世代が多いらしく、私と同世代の人からの反響が少ないです。記事を軽めにする理由は、そういうことです(笑)。もちろん、例外の月末と月曜日もたまにはあります。
昨日の記事はこちらです。
相変わらずスキが増えている記事がこちらです。少し前までは310スキ💛でした。いつもありがとうございます。
子ども時代は駄目人間?だった私😿
私の頃の義務教育は週6日授業がありました。そして、小学生低学年の頃は国語の授業が週7日あり、さらに他に書道の授業もありました。<記憶違いであればごめんなさい。>
その国語の授業が私には大変苦痛でした。どうやら幼児の頃に両親の読み聞かせを嫌ったことが原因のようです。
これは100%自己責任なのですが、嫌なものは嫌なのです。とにかく文字を見ることも読むことも書くことも嫌いでした。
その代わり、何か独創的かつ創造的な遊びをすることが大好きでした。例えば、ブロック遊びがそれです。
小学校に上がる前はおもちゃ用ブロックで楽しんでいて、自分の傑作作品の前で微笑んでいる当時の写真が今も実家にあります。
幼少の頃の私は、何もないところから何かを創造することが大好きだったようです。そして今の私にもその傾向があります。ですので、無料ブログ時代の記事投稿では独創的かつ創造的な記事が多かったので、私の記事を真似したり盗用したりする非常識な不届き者が非常に多かったです。
当時noteがあったならば、それらを有料記事で書いていたと思います。というのも、当時一部の読者から「(将棋)上達の探求さんの記事は有料級だ」と言われていたからです。
そんな私が学校の国語の授業を好きになるわけもなく、授業そのものは私には拷問に近かったです。それに今当時を振り返ってみると、授業もあまりわかっていなかったと思います。
ただし不思議なことに、高校受験勉強では朝日新聞の天声人語と社説の要約、大学受験勉強では入試問題の要約をやったところ、現代文に関しては東大レベルの実力を持っていました。それは、当時受験していた駿台予備校の偏差値があるレベルに達していたからです。
また、数学だけは小学1年生の頃から成績が良かったです。5歳の頃から2桁の掛け算を理解していたことは間違いないです。
小学生・中学生時代は全く文章を書けなかった私
子どもの頃の私は全く読書をしませんでした。それゆえ、インプットのなさが、私の文章力の欠如に繋がりました。
その影響で、授業や夏休みの宿題における読書感想文では大変苦労しました。今では考えられないほど、苦痛でした。
でも今は、文章を書くことが楽しいです。
これは、大学生時代の大量の読書、前職時代に真面目に取り組んだ社報、そして、インターネット、無料ブログ、note、最後にnoteで知り合った仲間たちのおかげ、その他の私を支えて下さった皆さんのおかげと言えます。
本当に心から感謝しています🐼本当に💛
文章を書くことが楽しい人は一生幸せである🐼
その私が断言します。
文章を書くことが楽しい人は、一生楽しいと思います。
その一番の理由は、人生の最期まで自己表現をできるからです。
私の子ども時代は自己表現で大変苦労しました。自分の内面を外に出すことができず、いつも頭と心がもやもやしていました。
実はこれは、大学生時代の大量の読書の後もしばらくの間続いていました。しかし、会社の書類や社報で文章をたくさん書いている内に、それらの問題が徐々に消えて行ったのです。
会社の仕事、特に雑用には全く価値がないと言う人がいますが、本当にそうでしょうか。むしろ私はそれらの雑用が中高年になってから非常に役立っています。当時仕事を一生懸命行っていて良かったと思います。
今は、アウトプットによる自己表現で、いつも頭の中がスッキリしています。
正直なところ、1日に5~7回記事投稿をするとさらに良い状態になるのですが、今は1日1投稿で我慢です(笑)。
余談ですが、男性には口下手で暴力的な人がいます。私には何となく彼らの気持ちがわかります。暴力はいけません。しかし、心の中にある表現できない鬱憤は、表現力がありませんと溜まり続けるのです。それが、暴力という形で外に露出しても仕方がないと思います。繰り返しますが、暴力は絶対にいけません。
前述したように、自己表現で困らなくなった私は毎日が楽しいです。
そして、noteを利用させていただいて記事を書くことで日々自己成長している自分を気に言っています。特に、自分の頭が良くなっていることが最高に嬉しいです。これは毎日長文記事を書いているからこそ、実感できることかもしれません。
最後に 自己表現が好きな私たちは幸福だよね
noteクリエイターによる自己表現の形は、人それぞれです。
私の場合、主に、文章とイラスト(無料サイト使用)で行っています。でも、他の方々は、それが小説や随筆、随想、詩、短歌、日記などだけでなく、絵や四コマ漫画、演奏、カラオケなど多岐に渡っています。
おそらく全員の皆さんが、それらを大好きで行っていると思います。
このような自己表現の手段と方法を見つけた人々は、幸福です。
人が生きるということの意味と価値、そして目的の一つは、その自己表現だと私は思うのです。
ですから、noteという媒体を使って好きなだけ自己表現ができている私たちは幸福と言えるのです🐼
そして残念ですが、その自己表現を楽しめない人が、次から次へとnoteから離脱していくわけです。
追記:ブロック遊びがもたらす6つの知育効果
ブロック遊びには6つの知育効果があるそうです。若い頃の私のIQが異常に高かった理由の一つは、もしかしたらこれかもしれません。
なおその6つとは、「集中力が高まる」「手先にが器用になる」「発想力や「創造性を育てる」「空間認識能力が向上する」「自己肯定感が高まる」「協調性やコミュニケーション能力が高まる」だそうです。
私の場合、最初の「集中力」以外はすべて該当していると思います。私はいつも気が散ってしまい、1回当たりの集中時間は異常に短いです。これは小学3年生レベル(5分間)かもしれません(笑)。
ただし、もし仮に私が集中すると、一瞬で二時間が過ぎてしまいます。私はこれが恐ろしくて、できる限り集中しないようにしています。
6つの知育効果に関する詳細は、ブロックイラストの下に貼り付けたリンク先からご覧下さい。
<今日の3行日記>
今日は朝から雨でしたが、気象病で悩まされることはなかったです。体調も優れています。しかし昨夜から気温が下がっており、この寒暖差には気を付けなければなりません。
イラスト素材:パンダ13 絵本を選ぶ親子パンダ
幼児の頃に両親と一緒に絵本を選んだ記憶はありません。本屋や図書館でも一切ありません。私より年下の弟や妹は、それを頻繁に行っていました。でも、私は、0回です。
でも、驚くべきことに、今では私の方が圧倒的に文字や言葉、文章に接する機会が多いです。多分表現力も私の方がずっと上のはずです。
今日の記事はここまでです。
文字数は約3,300字となります。
いつも最後までご覧いただきありがとうございます。