いつも、パーソナルやグループのセッションをしていて感じること。 それは、 「お客様は、今この時間このセッションが終わりスタジオの1歩外に出た時どんな気持ちで帰路につくのだろう」 ということ。 晴れ晴れした気持ちなのか 身体が変化し自信がついた気持ちか これからの自分にワクワクする気持ちか 身体の新たな感覚を噛み締めながら微笑む気持ちか 身体はぐったりだけど気持ちはスッキリしてるのか それとも、 ただ疲れただけか 本当に自分が変われるのか不安が解消されずどんよりしてるのか
今日を精一杯やり切った帰り道、ほっとしたくてコンビニで温かいカフェラテを買って歩きながら飲んで帰った。 カフェラテを飲み終わったら甘いものが食べくなりスーパーでチョコと明日の朝ごはんの食パンを買った。 チョコをつまみながら残りの家までの道のりを歩く。 家に着くころには食欲が増してきて、買ってきた食パンをトーストして食べる。 すると、食欲に歯止めがきかなくなり気づけばお腹いっぱいになるまで食べていた。 これは20代前半から後半までの私のパターン。 とにかく仕事が終わると張
”人生において、自分で自分を満たせるという事が、最高の保険になると思います” 以前、為末大さんがおっしゃっていた言葉。 最近、このことについて考える。 自分で自分を満たせるという事は 自分の幸せを他人にゆだねないという事だと思う。 あの人がこれをしてくれたら 会社がこうしてくれたら 社会がこうだったら、、、 自分で自分を満たせないから周りに過度な期待をしてしまうのだ。 他人や環境が自分の期待する行動や反応をしてくれなかったら一気に落ち込む。 自分の人生のかじ取りを他
先日、初めてコーチングを体験したという友人がいた。 これからのキャリアについて悩んでいたので申し込んだとのこと。 体験してみての感想は、自分の進む方向が分かったけど、コーチング序盤はなんだかもやもやしたとのこと。 なぜなら、こちらの悩みに対してアドバイスがほしくて申し込んだのに 質問ばかりされて、このコーチ大丈夫かな?と思ったとのこと。その友人は、コーチングを通して何を得たかったのか。 おそらく進むべき方向を指し示してほしかったのかなと思う。 ただ、答えはコーチにはわから
「体」と「身体」同じ”カラダ”だけれどどう使い分けられるのか。 体・・・生物の頭や胴、手足などの各部分を全て合わせたもの。 魚や、昆虫、植物にも用いるこちができ、外界との接触する部分として考えたとき、生物という物質としての部分が「体」になる。 身体・・・人間の頭や胴、手足を含めた肉体、心や精神も含む主体の全体。 人間にのみ用いられ、物質としての”カラダ”と”カラダ”の内部を含めた全体を表す。 人間という一つの物体を見たとき そこには「体」だけではなく「身体」が存在する。
同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。 - アインシュタイン - 変化を望むのであれば、今までと違う選択、違う行動、違う視点を持つ必要がある。 反省する、心を改める、覚悟を決めただけでは変われない。 行動が伴わなければ。 私はこの半年で生活の仕方を変えてみた。 朝起きたら 部屋中の窓を開ける うがいをして水を飲む ピラティスor知識のインプットをする 朝食とお弁当を作る サプリを飲む 掃除機&モップ掛け ベッドメイキング 夜は エプソムソルト
アンチグラビティ=抗重力 姿勢を保つため重力に抵抗できる筋肉を鍛えましょう とレッスンで伝えていた。 だが、最近は重力に対してアンチなのか? と考えるようになった。 なぜなら、重力があるからこそヒトも動物も建物も地球上のすべてのものが存在できる。 という事は、アンチ(anti)ではなくウィズ(with)グラビティという解釈ができる。 重力下で生きるためヒトは身体のあらゆる細胞を拡げ張力を発揮していく(バイオテンセグリティ)ことで重力を味方につけられる。 ヒト VS 重力(対
今まで色々なトレーニングを受けてきて、なぜピラティスを好み、続けているのかと考えたとき、 今までこんな筋肉使ったことない! こんな感覚始めて! と運動による身体へのフィードバックが明確でその新たな感覚に出会う瞬間がとても楽しいからだなと思う。 あるセミナーで 「ヒトは”運動”ではなく運動から得られる”フィードバック”を学ぶ」 という事を言っており まさに!! と思ったことがとても印象に残っている。 人間は良くも悪くも適応能力が優れているため同じ環境同じ刺激にすぐ慣れてしまう
自分がご機嫌でいる時間を増やしたい。 そう思ったとき、じゃあ私がご機嫌になる要素って何だろうと考えた。 私の場合、感謝、充実感、自己肯定感を感じるときご機嫌になる。 それを感じるのはやはり仕事をしているときが多い。 特にいいレッスンができた!と思うときとても晴れやかな気持ちになる。 ただ、逆にいいレッスンが出来なかったと思うとき1日の終わりはなんだかもやもやしてしまう。 そもそも「いいレッスン」てなんだ? というところを考える。 私が思ういいレッスン ・キツさの中に楽しさ
最近、「内科学」という学問があることを知った。 健康産業に従事していながら今更、、、という感じもするが。 内科学・・・主に身体の臓器を対象とし、一般に手術によらない方法での診療とその研究を行う医学の一分野。 疾病の本態と原因を明らかにし、疾病を発見し、対処して、患者の社会生活を可能な限り健康にするための臨床科学である この学問に触れて感じたことは ”全ては繋がっている” という事。 身体と心 運動と栄養、睡眠 トレーナーだから筋骨格系だけみれればいいなんてことはなく 人の
最近、お客様との会話で色々なシンクロが起きるのでこれは、 いい加減気づきなさいよ!!というメッセージだと思い備忘録として。 都内の一等地に事務所を構え一人で事業を切り盛りしている女性。 いつも疲れた~とはいうものの誰よりもパワフルなエネルギーがみなぎっている方。いつも忙しそうだけどいつも楽しそう。 その方が、こんな高いところに事務所借りちゃっていつまで続くかわからないよね~ なんて話していた。 「不安になることありますか?」 と聞いたら、 「ずっと不安だった!」と。 でも今
少し前に読んだ本に 「自分のことを大切にできない人は、その自分の身体は大切な人からの借り物だと思うといい。そうしたら傷つけないよう綺麗な状態で返したいと思うでしょ?」 と書いてあった。 思わず、なるほど!と口にしてしまうほど新たな視点だった。 私は人からどう思われるかという視点で、痩せたい綺麗になりたいを考えていたけれど、 借り物だと思えば、体重は少し軽いほうが動きやすいかな、肌は乾燥していないほうが嬉しいよな、歯は綺麗なほうが食べやすいいよな など、この身体を返却された人
“なんだかこの人楽しそう” “いつも穏やかだな” “なんでも上手くやりこなすな” そんな人を見るたびに、羨ましさと劣等感とどうしたらそうなれるの?という疑問が湧き上がっていた。 もしかしたら、 そう見えていただけなのかもしれないし その人自身もやっと身につけた術なのかもしれない 私から見た、その人のほん少しの側面を切り取っていいように解釈して自分と比べては落ち込んでいたのかもしれない。 昔から、猪突猛進型。 こうと決めたら絶対そうしたい。 0か100でしか物事をジャッジ
ここ1,2年日々のルーティンを意識するようになった。 最近は少しその数が増え生活に馴染んできている。 ルーティンがあったほうが気持ちが落ち着くのと生活が整う気がする。 ・起きたら窓を開ける ・ベッドメイキングをして家を出る ・玄関の靴はしまう ・お塩を入れたお湯につかる 数年前までの私は、本当に生活をおろそかにしていた。 仕事のためだけに生きて生活は後回し。 本来、自分らしい生活の上に仕事やプライベートが成り立つはずなのに。 そんな私に魅力なんてあったもんじゃない。 生